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本屋プラグのためにならない読書⑦

 衆議院議員総選挙から一夜明けた今週月曜日の朝。いつものように車を運転していると、偶然カーステレオから流れてきた音楽に心を射抜かれた。ミディアムテンポのソウルミュージックに、ダミ声の男性ボーカル。2009年に結成された男性8人組バンド、思い出野郎Aチームの楽曲「君と生きてく」だった。彼らは歌う。「声を重ねたい 見過ごされてきた人々の声に」「高い壁の向こうで 遮られてる誰かの声に」

 後で調べたところ、この曲のリリースは今年10月6日。ちょうど衆院選の日程が明らかになったころだ。タイトルであり、曲中で何度も繰り返し歌われる「君と生きてく」というフレーズの「君」は、偏見や差別、経済的格差など、さまざまな壁に直面する人々を指す。選挙が終わった今、改めて思う。私たちの社会は、そうした人々の声に耳を傾け、共に生きていく未来へ向かっているだろうか。人ごとではない。自分自身が何かしらの理由で困難な状況に陥ったときに、社会はそんな自分を見捨てはしないだろうか。

 政治思想史の研究者、将基面貴巳さんは新書『従順さのどこがいけないのか』の中で、「市民社会が成立するための基礎であり必要条件」に、共通善(the common good)という思想を挙げる。共通善とは、自己や一部の人々の利益よりも、共同体全体の利益を優先する考えだ。そして、この思想を端的に表すものとして引用されるのが、映画「七人の侍」で島田勘兵衛が村人たちに戦い方を教える場面で話す台詞。「他人を守ってこそ、自分も守れる。己のことばかり考える奴は、己をも滅ぼす奴だ」

 人々の間に信頼関係が築けず、誰も他人を助けようとしない社会は崩壊していく。しかし、今の日本はそうした事態が進行中だと、将基面さんは警鐘を鳴らす。その一例が、「自助」や「自己責任」という言葉。自分の身に起きることは自分自身の責任で、他人に助けを求めるべきではない。もしも、その通りに、誰もが他人の利害に関心を寄せないならば、残るのは自己利益の追求だ。

 だからこそ、「自助」や「自己責任」を唱える権力者がいても、それに従順になってはいけない。従順にさせようとする空気や同調圧力には抵抗の声をあげる必要を、本書は古今東西のさまざまな文献や事例、そして映画を参照しながら説いていく。特に、若い人には一読してほしい。

 抵抗の声は、時に歌の形でも現れる。思い出野郎Aチームの「君と生きてく」は、この社会に共通善を取り戻そうとするプロテストソングだ。月曜日の朝、この歌は自分の心に痛切に響いた。(本屋プラグ店主・嶋田詔太)

https://mainichi.jp/articles/20211105/ddl/k30/040/424000c

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