見出し画像

98点を責めないで! - 子供の育て方 -

みなさん、こんにちは。Naseka です。
私は 哲学者・エッセイスト として、
自らを定義しています。

大それた表題を掲げておいて、
最初に言っておくことがある。

私には子供がいないので、
子育てをしたことがない。

(ハイ、今日の話おしまい)

…だが、ちょっと待ってほしい。

私、育てたことはないけれど、
育てられたことはあるの!!
(「ひとりで勝手に育った」
 なんて恩知らずなことは言わない)

衣食住に困らない程度には育ててもらったので
(真冬に防寒着なしで家を追い出されたときは
 さすがに困ったけど)、
成長して今 考えると
「この育て方は良くなかったんじゃないか」
と思うことは いくつかある。

もちろん私の親も初めての子育てだったから、
あれこれ考えて自分たちなりに
ベストを尽くした結果だったのだろう。
それは理解しているつもり。
今さら責める気もない。

それでも私は、ある育てられ方の影響で
だいぶ苦労をしてきた。
(というか、現在もしている)

だから、これから子供を育てる親となる方々には
「なるべくこんな育て方は
 しない方がいいと思いますよ」

って言いたい。
たとえそれがお節介だとしても…

今回はそんな話。


98点のテスト

自分で言うのもなんだけど、
小学生の頃は 割と勉強できた方だったのよ。
中学後半くらいから徐々にボロが出てきて、
高校生になる頃には、
中の下だか下の中だかのレベルまで落ちたけど…

” 十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人 ”
だっけ??

ていうか、ごめん。
よく考えたら神童だった頃なんてなかったわ。
(過去を美化し過ぎたね)
せいぜい「ちょっと賢い子供」くらいかな?

98点の正解を見るか、2点の失敗を見るか

冗談と前置きはこのくらいにして、
ときどき不注意でしょうもないミスもするから
100点満点を取り損ねることも多かったけど、
98点とか99点とか 惜しい点数はよく取ってたのさ。

100点満点のテストで98点っていったら、
そこそこ優秀じゃない?
「クラスで一番」なんてこともしばしばだった。

うちの父親は教育熱心とまではいかないけど
「学校のテストはちゃんと親に見せなさい」
って方針だったわけ。

で、家に帰って それを父親に見せるじゃん?
昭和30年代生まれの厳しい人だったから、
テストを提出するときは対面で正座だったよ。

最初の頃は「どう?すごいでしょ!?」なんて
得意気に見せてたと思うんだけど
(そんな期間はいくらもなかったけどね(後述))、
私の父親は全然褒めてくれなかった。

なぜなら
「100点満点で、2点分 間違えてるじゃないか」
と考える人だったから。

父親は理系のエンジニアだったもんだから、
算数と理科
(今も第1分野とか第2分野とかあるんかな?)
には特に厳しかった。

「なんでこんなしょうもない問題を間違える?」
「こんなありえない答えになるわけないだろう?」

正座でお説教?補習授業?を受けることになる。
だから、テストを出すときは憂鬱だったな…

お忘れになるといけないので念押ししておくと、
これ、98点や99点のテストでの話ですよ。
0点とか赤点とか、そんな低いレベルじゃない。

「でも、クラスで僕の98点が最高点だったよ?」
なんて言い返そうものなら、
「こんな田舎の学校の中で比べても意味ないだろ」
「全国にはもっと賢い奴らがたくさんいるんだぞ」
だってさ。

もうそれ聞いてからは、
一切 反論することは止めた。
テスト提出後のお説教タイムは、
心を無にして時が過ぎるのを待つのみだった。

ちょうど正座だったから、
座禅に近い状態だったかもしれない。
(その気があれば、お坊さんになれたかもしれぬ)

ただ、無心にしようにも足は痺れるんだよねぇ…

たとえ満点のテストでも

そうなると
「じゃあ、100点満点だったらどうなるか」
って思うじゃない?

え?思わない??
そんなこと言わずに
少しは興味を持ってくださいまし。

そりゃ ひとつも間違えてないんだから、
非の打ちどころはないはずなんだよ。
98点でも 99点でも褒めてくれないなら、
せめて100点満点のときくらい
褒めてくれても罰は当たるまい。

ところが、褒めてなんぞくれないんだな。
「こんなもの、満点取れて当然だろ」ってさ。

…なんかもう、どうでもよくなっちゃったよね。
何したって褒められないんだもの。

そんなうちの父親、
どれだけ神童だったんだろうね。
少なくとも それっぽいエピソードなんて、
ただのひとつも聞いたことなかったけどな!
(もう興味ないからいいんだけど)

完璧主義者の出来上がり

小学校低学年からそんな育て方をされた結果、
見事な「完璧主義者」が出来上がった。
(「完璧者」ではないことに注意)
(完璧超人でもパーフェクトヒューマンでもない)
それが私。

いやぁー、能力の伴わない完璧主義者ほど
生きづらいものもないと思うよ、マジで。
(実体験として)

それまでの過程が
どれだけ素晴らしいものであっても、
たった1回小さな失敗をしただけで
「はい、もうこれ終わり。0点!!」
って気分になるんだもの。

たとえば学習用のノートを書いていて、
ほんの少し気に食わないページが出てきたとする。
(それまでのページと体裁がズレたとか)

たとえそれが2,3ページ目だろうが、
私にとってそのノートは
途端に存在を認めたくないものになる。

だから、数ページしか使ってないのに
捨ててしまったノートは、少なくとも
両手じゃ数えきれないくらいはあったと思う。
(本当にもったいないことをした)

遊びもいっしょ。
どれだけイイ感じに進行していたゲームでも、
ちょっとしたミスひとつで
「あー、もうダメ。や~めた!」
と投げ出したくなる。
対人ゲームでこれをやるのは失礼極まりないので、
結果的に対人ゲームは ほとんどやらなくなった。
(今は妻とマリオパーティーで遊ぶくらい)

ある程度大人になって
これが悪い思考の癖だと自覚してから、
どうにか自分なりに考え方を強制してきたので
多少はマシになった。

それでもコアの部分は変わらなさそうだから、
意識的に だいぶ テキトーに振る舞って
やっと人並みのニュートラルになるくらい。
たぶんもう、本能レベルで
完璧主義が刻まれてしまっているんだと思ってる。

最初の頃は 楽しくやっていた将棋が
嫌いになって止めてしまったのも、これが原因。

どれだけ上手く指していても、
たった一手間違えるだけで形成逆転だからね。
それが本来 将棋の魅力のはずなんだけど、
私からしたら興醒め以外の何物でもない。
一手でも気に入らない手を指してしまったら、
それは存在を消してしまいたい一局になる。

ちなみに一局で全く間違えない将棋なんて、
あの羽生名人だってそうあるもんじゃないらしい。
史上に残る大棋士ですらそうなのに、
許容範囲はアマ低段の私の方が遥かに狭いって…

将棋を始めたのは社会人になってからだから、
やはり完全には吹っ切れていないようだ。
(完全な克服はもう諦めてる)

指導もいいけど、褒めてあげて!

つらつらと自分の幼少時代を書いてきたけど、
とどのつまり言いたいことは
「子供のことは、なるべく褒めてあげて」
ってこと。

もちろん指導が必要なこともあるだろう。
「ダメなものはダメ」と教えることも必要だし、
習い事やスポーツだったら、
足りてないところを指摘することもあると思う。
「全く叱らない」なんてのもどうかと思ってる。

ただ、それはそれ。これはこれ。
できていることは認めて「褒めて」あげてほしい。
褒められることがあれば、
厳しい指導にも耳を傾ける余裕が生まれるはず。

褒められずに指導される(≒叱られる)だけ
というのは、
親が考えている以上に子供にはダメージが大きい。

子供に明るい人生を歩んでほしいと思うのならば、
ぜひ「褒める」ということを大切にしてほしい。

そうすれば、私のように
米ソ冷戦並みに冷え切った親子関係となることは
避けられると思う。
(失敗しか経験してないので、保証はしかねるが…)

なんだかふと記憶が蘇ってきてしまったので、
柄にもないことを書き綴ってしまった。

次はまた、気分を一新して記事を書きます!!

お読みいただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?