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「大人の男性」は魅力的という幻想から目覚めて 超年の差恋愛を経験して

 私がかつて憧れた「大人の男性達」の遍歴
 

  歴史上の偉人と言われている人たち、文学者、スポーツマン、映画スター、音楽家、芸術家……等々、ほんの少し前の私なら、何とも思っていなかったけれど、改めて考えると目立って多くの場合名前を挙げられるのは、男性であることが多いと思う。

 そんな私は最近になるまで、そのことに違和感も持たず、生きてきたため、今思うとかなり恐ろしいことだけれど、ほんの少し昔の私は、そんな彼らを聖人視し、彼らが持つ才能や、賢さ、強さに惹かれ、憧れだけでなく異性としての魅力を感じていたのも事実だった。

 そんな少し昔の私の遍歴を辿ってみると、中学時代はメタルギアシリーズのスネークに惹かれ、高校時代は父が西部劇や古いハリウッド映画好きだったのもあり、まずチャールズ・ブロンソンの男臭い魅力に惹かれ、スティーヴ・マックイーンのファッションや格好良さに惹かれ、父に何度もダーティハリーシリーズを観せられて、キャラハン刑事の無骨なキャラクター性から、いつの間にかクリント・イーストウッドも素敵だと思うようになっていった。

 そんな高校時代のさなか、文学の方面でもドストエフスキーの『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』に出会い、それまでこんなにも重厚で複雑な深みのある物語を読んだことがなかったため、人間描写や宗教の要素を取り入れながら、これほどまでに上手い構成やドラマチックな表現で書ける人はなんて素晴らしいんだと読むのに凄い時間が掛かったけれど、感動した記憶がある。でも、ある意味、ドストエフスキーの小説よりも感動したのが、トルストイの小説であり、『戦争と平和』を読んで、リアリティのある様々な人間像に驚き、特に作中のマリヤ侯爵令嬢という信仰心が強く、常に父や兄のためを思って、言葉を掛け、何があっても一途に尽くそうとする彼女の自己犠牲的な姿の美しさと憧れを抱き、この架空の人物の存在は後に私が一時期プロテスタント教会に求道することになるきっかけのひとつでもあったと思う。

 それでも、私のかつて憧れていた人達、好きだった人達というのは、ほとんどが男性だったのである。元々男性アイドルや同年代の男性に対する恐怖心も当時はあり、あまり年齢の近い異性を好きになることができなかったというのもあるんだけれど、当時の私が憧れ大好きだった「大人の男性達」は私の異性に対する好みの原型や価値観を形成するのにとても大きく影響してしまった。それらが決して悪いものではないんだけれど、問題だったのは当時の私は大人の男性は知的で賢く、強くて魅力的であるものだと盲信してしまったことだった。

 

22歳の頃、27歳差の49歳との超年の差恋愛をする。

 元々交際経験や異性の友人がほぼおらず、それこそSNSやアプリを使わないとパートナーを作れる人ではなかったけれど、同年代と付き合ったことはあった。だけれど、やはり大人の男性への憧れは捨てきれず、一度でいいから歳上の人と交際したい一心でアプリをやることになった。もちろん、つらいこともあったけれど、思いのほかすぐ出会うことができた。

 相手は当時私が大好きな花の写真を載せていて、顔写真は一切載せていなかったが、プロフィールの文章と、メッセージを常に私と同じ分量で返してくれること、話題を一つ一つ拾ってくれること、私はハーフであることを自衛のため隠していなかったけれど、マイクロアグレッションのようなことを言うこともなかったため、彼を誠実な人柄だと思い、実際に会うことにした。

 会ってみると、彼は身なりはきちんと整えており、会う誘いやデート場所も私に丸投げしたり、会う前にあちらが盛り上がり過ぎていたことには、少し違和感があったけれど、話はとてもあったし、私のことを年下の女の子としてではなく、一人の女性として見下すことなく、接してくれたことが当時は嬉しく、一度目のデートの後、良好な関係となった。ちなみに相手は告白らしい告白はしてくれなかったけれど、相手からするとこのデートの後付き合ってると思っていたらしく、2度目に会った日に私は付き合ったことを認識した。(この時点で少しいくつか今思えば、かなり違和感はもちろんあったわけだけれど)

 

「大人の男性」像が打ち砕かれ、愛情から情に変わっていた時。現実的な問題を目の当たりにして

 彼とは約9ヶ月ぐらい、比較的長く続いたのだけれど、極論を言ってしまうと、彼との交際を経て私は大人の男性への幻想が打ち砕かれることとなり、現実的な問題やこれまで彼との間に起こった様々な問題を考え、自分自身が彼に別れを告げることとなる。彼に別れを告げ、大人の男性を憧れの目で見なくなった自分というのは、自分の中の理解では、もうそれ以前の私とは違うし、幼虫が蝶になるように、それまでの私とは全く価値観も生き方も短い期間の気付きと経験ではあったかもしれないけれど、違うのである。そして、これは私にとって新たな人生の旅路でもあった。メーテルと鉄郎や、レオンとマチルダが別れなければならないように、私達も必ず別れなければならなかった。

 何故彼と付き合っていたかというと、彼の人間的魅力を言えば、私を一途に愛してくれたこと、会うと服や私の髪型、あらゆるものをいつも褒めてくれた。交際費に関しては心配させたことはなかった。私のことを大人の女性として見てくれたこと、毎日連絡をくれて、デート中にはスマホをいじることはほとんどなかった、ということが挙げられると思う。交際中は私も彼を一途に愛し、時に年相応ではない、頼りなさ過ぎると不安になることもあったけれど、私の可愛いおじいちゃんというような感覚で当時はあらゆる問題やおかしさについてスルーしてしまっていた。

 ここまで書いてみても、彼だけでなく、私にもおかしさを感じた人もいると思うけれど、それだけ恋愛というものでおかしくなってしまっていたのである。でも言わせてほしい。確かに良い思いもさせてもらった。沢山愛してもらった。でも相手は人間としてのおかしさがあったのだと……。(結果的にそのおかしさによって、私は歳上男性への呪縛から抜け出すことが出来たのだけれど)

 彼のおかしかった点は、彼もやはり所謂同年代の女性と付き合えない男性の1人だったことである。自分がアプリやっていた時のことを話す時、27歳年下の私と付き合っておいて、自分より歳上の女性からいいねやアプローチが来ることを小馬鹿にしていた。それに対して、私は怒ったし、気分を害した。そして、言葉による同意や相手の気持ちを無視したりすることがあり、告白が曖昧なまま、2度目のデートにはホテルデートを誘ってきた。当時私は断れなかったのである。交際中はわいせつな動画や写真まで撮りたがってきたこともある。臭う人や清潔感のない人を馬鹿にしながら、いつも彼が着ている服の匂いが生乾きのようで凄かったので、流石に槽洗浄の不足か、乾かし方に問題があるのかと思い、何度も指摘したが、結局大した問題と取られずにずっとそのままだった。(彼いわく、浴室で乾かしているとのことだった)私が母親に大病が見つかり、家や家族の心配をしている時には会った時に具体的なアドバイスもくれると言ったのに、会ってもだんまり、考えてない(彼は困ると子供のように黙るか、分からない、考えてないと逃げるだけだった)という有様でそんな中体を求めてきたり、今考えても色々と問題はあった。デート決めや会話のリードも常に私に丸投げ、大手企業で長年経理をしているといっても、Googleマップすら使うこともできなかった。私が扁桃炎が酷くて、彼との接触で性病を心配していた時も、心配するどころか、他人事のように、いかに自分は潔癖か性病の可能性なんて1ミリもないと、私を精神的にも追い込んだ。愛情表現も性的なことばかりを言ってくる。極めつけは、付き合っていても個人情報だからと家族の名前や写真すら見せない(私のわいせつな写真は撮りたがるに……)彼には離婚歴があり、親権をとった娘さんが一人いたけれど、なんというか付き合ってみて、育児の方面では自分の母親にほとんど任せっきりにして、離婚理由は元妻の育児ノイローゼだと言っていたけれど、彼にはどう考えてもその原因はあるのでは?と思わざるを得なかった。

 そんな彼に対して、私は愛情から徐々に情に変わっていき、相手に付き合ってあげてるという感覚が生まれ、自分のおじいちゃんのように思うようになってしまい、いつの間にかデート費用を負担してもらうことにも罪悪感や感謝も薄れていってしまった。私はとことん自分の身内のことは徹底的に守ってしまう性格なので、彼のことがおかしいと思いつつも、やはり私にとっては恋人なのだと当時はそういいきかせていた。普段からデートや会話から何でも私にリードを任せる、なのに、例えば返信がないとキレたり不機嫌になったり、黙り込んだりするため、話し合いすることも難しかった。そんな相手といても、流石に私も自分の将来やキャリアに影響するし(50目前にしながら老後のことは考えないようにしているといい、結婚の話をすると常にだんまりだった)彼のケアをするために生きている訳では無いので、彼から旅立たなくてはならない、と決心したのである。

 

別れることの困難さについて

 歳の差恋愛では、恐らく歳上側が凄く好きという傾向が多いと思うけれど、私の場合もこれで、別れるのには大変苦労した。会って伝えてみても、何度も縋られたり、抱きつかれたり、何時間も拘束されたり……かなり体力気力を使ったけれど、私が伝えるべきことは全て正直に真面目に伝えたつもりである。(もちろん、なるべく穏便に別れられるように相手を責めるような感じにはしなかった)別れても、私の幸せを願うようなLINEを送りながら、私の返信が思ったものでは無いと、以前のようにまた逆ギレされるということがあった。その瞬間にものすごく恐怖を感じ、もちろんLINEはブロ削した。

 アプリで趣味が合うので、60代の方と会ったこともあるが、相手がかなり本気になってしまい、私の意思や意見を確認することも無く、一方的に好意をぶつけてきただけでなく、LINEをブロックしても別垢を作りいくつも登録しようとしてきた人もあった。その人は初対面で腰触ったり、付き合う前提でグイグイ話を進めようとし、挙句帰る時には自宅に連れて帰りたい。だめ?とか平気で言う人だったので、逃げられなかったら、という恐怖もありながら、そもそも女性を物としてしか見てなかった人なのだという認識があり、もうできれば申し訳ないが、会いたくない人達である。

 「大人の男性」は必ずしも人格者であるわけではない。今の私の気付き。 

 色々大人の男性に憧れて、付き合ったり、関わったりしてみた私だけれど、結局のところ大人の男性は必ずしも魅力的なものなんじゃなくて、むしろそうじゃなく問題ある人たちもこの現実世界には沢山いるということ、そもそも私の身近なところやあらゆるものにも尊敬できる「大人の女性」たちが沢山いて、私は今もその人たち救われ、憧れの対象となっている。ただたんに、付き合った男性と私が馬鹿なだけじゃないの?と思う人もいると思うけれど、私が言いたいのは、歳の差恋愛で問題なのは、やはり歳上側が歳下側の時間や若さを奪ってしまうという現実は事実としてあり、それは取り返せるものでは無いし、今はよくても、少し先は常に不安定なままである。歳上側が経済力がしっかりしているならば、まだ良いのかもしれないが、それでも結婚、出産、子育て、介護等といった現実の問題にぶつからずにいられない。歳上側がそれらの問題に対する解決策や責任を取るつもりなら問題ないと思うが、残念ながら、ただたんに若い子と責任のない恋愛ごっこしたい、あるいはお世話してもらいたいだけの人が世の中にわんさかいるのが事実である。いっそのこと、そうなら若い子にお金を払うなりして割り切った関係でいいのではと思うのだけれど、残念ながら自分の恋人になってほしいと相手に負わせる責任も考えないで楽しいことだけ考えて必死になる人が多いのも事実なのだ。

 そもそも、まともな人なら自分の子供や孫ぐらいの人に手を出そうと思わないというのも確かだと思うし、きちんとした常識を持った人ならば、同年代と付き合えるはずである。

 人生は色々経験してみないと分からないことが沢山あるのだと、私にとってはこの恋愛が教えてくれたのである。もし、今歳の差恋愛をしている方がいて、不快になった方がいたなら、申し訳なく思う。もちろん、カップルそれぞれの価値観はあるだろうし、それで納得しているのならば全く問題はないし、批判したい訳では無い。ただ私の場合、実体験を通して、こんな気付きや考えを得たということで読んでもらえたら、幸いである。

 





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