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地方の街づくりについて、思うこと。

都心の大学を志望していた私だけど、なぜか秋田県にとつぜん進学。出会う人にはほぼ毎回「なんでわざわざ秋田?」と聞かれる。一番ぶっちゃけた理由は、国際教養大がハイレベルの教育を格安で実現している夢のような場所だったこと。いざ来てみると、やっぱり田舎での生活は横浜ぐらしと全然違う。都市と地方のギャップになかなか慣れない大学一年目でした。

でも、この記事で私が書きたいのは、秋田での生活がいかに特殊かではありません。日本の地方の街並みが一定化し続ける現状について、何か書き留めておきたいと思い、noteをかくことにしました。まだまだ勉強中なので、どうぞ温かい目で読んでいただけると幸いです。

有力なチェーン店進出の功罪

秋田県にはイオンのショッピングセンターが10個あり、中でも県内最大のモールが国際教養大(以下、AIU)の近くにある。意外にも、秋田は日本で二番目にイオンモールができた都道府県だという(ちなみに一番は青森だそう)。イオンはその後全国展開を続け、今や日本で知らない人の方が少ないであろう有名ショッピングモールとなった。

それはつまり、日本のどこへ行ってもイオンがあるということ。
そしてこのような現状は、あらゆる有力なチェーン店にいえること。

例えば関東人の私が九州へ旅行へ行こうが秋田へ出ようが、ある程度の人口を抱える街にはおなじみの看板が並ぶ。イオン、セブンイレブン、マクドナルド、スターバックス、マツモトキヨシ、などなど。
私や私の周りの世代の人で、個人商店で普段の買い物を全て済ませる人はいるだろうか。ローカルな焦点や飲食店などの独特の雰囲気を壁と感じる現代人は多い。その点、マニュアル化された店の雰囲気と、分配型の製造・販売によって生み出される「日本のどこでもだいたい同じ」店の雰囲気と商品ラインナップは、ある程度予想がつくため心地いい上、クオリティもわかりきっている。

一方で、こういったチェーン店があらゆる地域の色を奪っていることに注目したい。

かくいう私も、小さい頃から地元に根付いたものに触れる機会が少なく、チェーン店の予定調和感で落ち着きを求めてしまう人間で、AIUへ進学後もスタバへ通い続け、コンビニもイオンもヘヴィーユーザーだ。
しかし、せっかく秋田へ来たのだから、と友人に連れられ地元の店やカフェを利用するうち、それまで見落としていた地域の色を見出すこととなった。田舎といえど、否、田舎ゆえの個人経営の店やオリジナリティあふれる店がたくさんあったのである。さらに、個人商店や専門店などについていうと、歩いていけるところにある店は増え続ける高齢者の需要を満たす力を十分にもっている。それどころか、店を基盤に地域のコミュニティを強化することで、人と繋がりたすけ笑い合う、健康的なまちづくりが可能となる。

イオンなどのチェーン店は商品を手に入れやすく、価格もそれなりに手頃なことが多い。全国どこでも同じ商品が手に入ることと、マニュアルに守られた空間の心理・物理的安全性は素晴らしい利点だ。しかし、それらの店が果たす機能は地方に還元しない。都心のような店員と客の線引きがキッパリしているチェーン店ではコミュニティは生まれにくく、仮に形式的に発生したとしてもまちで生まれるものに比べれな希薄だ。加えて、それらに支払われる「カネ」は地方に還元されない。いわばチェーン店は出稼ぎをしているのであって、本社がある場所へ利益が還元され、税金が収められる。便利を追求する市民にとっては生活の味方でも、人とのつながりや地域固有の経済循環を阻む大きな障害となっている。

「ここにしかない」を応援したい

たとえばあなたの知っている地方を一つ思い浮かべてみてほしい。その街並みにユニークな点がいくつあるだろうか。その風景を写真に撮って誰かに見せた時、あの都道府県のどこだ、とわかる何かがあるだろうか。そこが観光地でもない限り、そうはならないと思う。
私にとって、日本のような小さな島国で、東西南北、気候、言葉や生活、文化に違いがあることは大きな魅力だ。
もはや都心へ一極集中の時代ではない。リモートワークやローカル志向の若者の増加、地方再生などの動きが高まる中、まずは街並みに注目してみるのも良いのではないだろうか。

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