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3万円で静けさを買った。

夜、さまざまなスイッチを
消してしまうと、
静けさが訪れるはずだった。

独り暮らしを始めてもうあっという間に
3か月が経とうとしている。

寂しいのかなって思ったけど。

案外それは訪れなかった。

夜になると、片づけをしたくなったり
読書をしたくなったり、見逃したドラマを
みたくなったりする。

誰かにメールを書いている時も、キーボードを押してる音ともうひとつ聞こえるのはシンクの蛇口の音だった。

水漏れしていた。

よく昭和の映画とかのシーンでちょっと
寂れた部屋とか、すがれてる感じの
主人公の部屋の台所の蛇口からは、 
ゆるんだ栓のせいか水がちょんちょんと
シンクにあたる音が
していた。

村上龍の『限りなく透明に近いブルー』でも、
そんなシーンがあるような気がして、本棚を
探してみたけれど。

あの本自体がみつからなかった。

でもあの小説はとても渇いた世界が描かれて
いたし。

濡れているようでもリュウの身体からわずかな水分さえも残されていないようなあの主人公には、水道の蛇口からもれでる
水は必要なかったかもしれない。

水道から一滴の水さえも滴らない

とかなんとか思いながら。

真夜中、静けさが訪れた合間を縫ってその
蛇口からの水のしたたる音が聞こえてきた。

考えのまとまらない文章を書いていたわたしはそのせいにして。

うるさいって一喝した。

一瞬止まったような気がしたけど。
またそれは息継ぎするみたいに滴ることを
やめなかった。

それでも、そのまま放っておいたら
そのリズムを刻んでいた感覚が小刻みに
なってきた。

さすがに無理だと思って翌日の朝に
業者さんに来て様子をみてもらった。

以前頼んだことのある業者の方で。
わたしの家の色々な不具合を覚えて
くださっていた。

それは修理というレベルじゃなくて、
これはリセット案件だと知った。

そして後日、工事してくれる方に
来てもらうことになった。

来てもらうために台所の流し台の下の
掃除を夜中していた。

流しの下って聞くとわたしは、あの
江國香織の『流しのしたの骨』しか
思い出せない。

三人姉妹と弟律の四人と父母、
六人家族の物語。

「流しのしたの骨」は、「かちかちやま」の
物語に出てくる
「流しのしたの骨をみろっ」から来ていた
ことを思い出していた。

流しのしたにはおそろしいものが隠されて
いるらしい。

離婚するそよちゃんのお家の流しのしたの
整理をするためにこと子ちゃんと
しま子ちゃん姉妹がそこにいた。

いろいろな調味料や、パスタやなにか
その中身が
わからないような瓶詰め。

そして扉の裏の包丁をみていたしま子ちゃんが言う。

「私、もし誰かを殺してしまったら、骨は流しのしたにかくすと思う」

そしてこと子もわたしもって答える。

そしてこのわたしまでわたしもって
胸の中で答えていた。

不穏なのに甘美な台詞だ。

そして翌日わが家に業者さんがやってきて
くれた。

やっとあのぴちょんぴちょんっていう
やけに主張する水の滴る音ともお別れだと
思うとすがすがしかった。

施工してくれる業者さんは、岡崎体育さんに
似ていて。

今彼のことが好きなのでどうみても
岡崎体育さんにしかみえなくて
ちょっと幸せだった。

シンクのした、流しの下はからっぽに
片づけてあったので、彼は作業しやすい
ことのお礼を身体を縮めながら
言ってくれた。

体育さんどういたしまして!

作業は15分ばかりで終わった。

新しい蛇口は、一段と光っていてそこだけ
あまりに真新しくて少し恥ずかしかった。

そして夜がやってきた。

とても静かだった。

いつもの夜となんか違うと思ったのに
それがどうしてなのかもう朝の
岡崎体育さんのことを忘れていて 
暫く気づかなかった。

わたしはこのnoteを書くために
蛇口関連の記事やエピソードを
いやというほど
Google先生に聞いていた。

そこでみつけたのが「蛇口」という
作品だった。

数も形も明らかにされていない無数の蛇口からしたたる滴たちの轟音、鳥たちは蛇口の旋律を奏で、犬たちは満月の夜に蛇口の歌を吠える……チベットの奥地にある秘境を旅した思い出を、幻想かつ詩情あふれる文体で描く表題作「蛇口」、ブチ切れるたびに自らの肉体を嚙みちぎる猟奇的な自傷行為をくりかえし、自ら命を落としてしまう女の悲劇をユーモラスに語る「マルバ」、迷信深い女と結婚した語り手の男性が、見知らぬ女へと変貌していく妻を前に困惑する「砂糖の家」、聾啞学校全生徒の一斉失踪の奇跡譚「これが彼らの顔であった」、ボルヘス風の幻想譚「見えない本の断章」など、36篇収録。

『蛇口』オカンポ短編集amazon 概要より。

あの蛇口のお陰でわたしはなんだか
すてきな一冊に出会えた気がする。

ケガの功名みたいだった。

そしてキッチンは、もうなにも
最初からなかったかのように
静かな蛇口しかそこにいなかった。

あんなにうっとうしかったはずなのに
ちょっとだけその水のでない蛇口に
余白と物足りなさを感じていた。

それは夜の真ん中でただ光っていた。

わたしは3万円で静けさを買ったの
だと思った。

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