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私の病(慢性疼痛とともに生きる)  ~その1~

今週は、ゆったりとした生活ができました。寝てばかりでしたけど。笑。
もう2月!!信じられない。ついこの間年が明けたと思ったのに。びっくりだわ。見たかったアニメや読みたかった本を読んで充実した1週間を過ごすことができました!家でだらだらしたりしてたので、運動しないとと思います…
ちなみにアニメは呪術廻戦(漢字あってるかな…)の2期を一気見しました。めっちゃ悲しかったです。あんな結末なんやってなりました。

今週のおいしかったもの

念願のエビ天

今週は結構自炊を頑張ったので写真はたくさんありますが、エビ天がどうしてもどうしても食べたくてはなまるうどんまでエビ天を食べに行きました。去年の年末くらいから夢でエビ天を食べる夢を3回くらい見て「エビ天おいしいな」って思ったらいつも夢でがっかり。みたいなことがあったので、やっと念願のエビ天を食べました!めっちゃ幸せでした!初めてはなまるうどんに行ったのですが、モチモチでおいしかったです!

わかめうどんとエビ天、ちくわ天、おいなりさん

自分で作った3色丼

あとは、今週作っておいしかった3色丼です!いろんな3色丼を作ってきましたが、一番はやっぱり鶏そぼろがのってるものが好きです。今回は、家に生姜がなくて仕方なく納豆をのせました。それでもおいしかったです!

3色丼


本題

さて、本題に入りましょう。タイトルを見て、びっくりされたかも知れませんが、若いのに私には持病があります。ある意味、爆弾みたいな体を抱えて生きています。こういった痛みの病気があることをいろんな人に知ってもらいたくて投稿しました。これは、記録として時々書き記そうと思います。それの第一弾目だと思っていください。

病気の発症

2年前、私が大学2年生の時発症した病です。前日まで元気に活動して、友達とご飯食べたり自転車で走ったりしてました。
でも、次の日、朝目が覚めると体に激痛が走って動けませんでした。体を起こそうとすると、背中は鋭いもので刺されているように痛く、左のお腹は殴られているように痛かったです。一人暮らしなので助けを呼ぶにも家の鍵を開けなければならず、数時間かけて頑張って起き上がり、鍵を開け助けが来るのを待ちました。
救急車で搬送され、その時はCTと血液検査を行い異常はありませんでした。歩くのもやっとなため即入院+絶食。その日はエイプリルフール(4月1日)だったため悪い夢でも見たんじゃないかと思いました。でも、朝起きるとそれは現実。病院の天井、殺風景なカーテン、窓からは見たことない景色。
「夢じゃなかったんか。なんでや。もーほんまに最悪やわ。」その時はそう思いました。
「悪いもんでも食べたんかな。」とか「自転車乗りすぎたかな。」とかいろいろ考えましたが原因がわからず、数日の間に担当医が内科から消化器内科に変わりました。

日々地獄

その後、私には怒濤の地獄が待ち受けていました。入院中あらゆる診療科を回り、検査を行い、たらい回し。ある意味医者も必死の様子でした。痛みはありましたが、歩けるようにはなったものの学校があるからと無理矢理退院。
それからが大変でした。私の大学の授業時間は1コマ100分になっています。ですが、痛みで100分座ってられなくて授業も休みがちになり毎日ふらふらの状態で学校に行ってました。
あの時の私の根性すげーなって今でも思います。よくあんな体でいってたなって。笑
今では笑い話にできますが…

2度目の入院

痛みに耐えながら学校に行き、病院で検査を受ける日々でした。
「この検査をすればきっと原因わかるやろう!」ってポジティブに考えていましたが、現実では何もわからず病院の先生もお手上げ状態。
ちょうどそれくらいの時に2度目の入院。痛みに耐えられなかった。期末テスト前で、みんなと同じように学校にいって勉強をしたかった。プロジェクトの繁忙期だったため手伝いたかった。でも私は何もできなかった
それが悔しくて悔しくてめっちゃ泣きました
「なんで自分だけこんなに苦しまないとあかんねん。なんでやりたいことできへんねん。」と言いながら。
その時、私には2人の支えがあって立ち直れました。まず1人目は、当時入院してたときの看護師さん。仕事がいろいろあって忙しいにも関わらず静かに私の話を聞いて励ましてくれました。その時は本当にうれしかった。本当に支えになった。
もう1人は母です。私が号泣しながら電話すると、
「あんた、周りのいろんな人に助けてもらってるんやからあんたも恩返しするつもりで頑張りなさい。そんなめそめそしとったらあかんで。あんたはそのままでええんか。はよ、気持ち切り替えて勉強しなさい。」と。関西弁やからすこし口調がきつく聞こえるかも知れませんが、いつもこんなもんです。2度目の入院の時も緊急だったため勉強道具がなく、課題もテスト勉強もできなかったため学校の先生が各科目の先生に掛け合って対策プリントなどを病院に持ってきてくれたんです。それが母の言う「周りの人の助け」です。私はつくづく周りの人たちに恵まれてるなって思います。こんなに恵まれててええんかなって思うときもあります。
だからこそ、周りの学校の先生や看護師さんや病院の先生、友達、教会の先生、教会員の方たちとも信頼されて、愛されてるのかなって思います。

退院そして、阪大病院へ

また、学校関係で早めに退院。夏休みに入ってからは、実家に帰省をして阪大病院に行くことになりました。この時は、本当に怖かった。怖くて怖くて、親に明るく振る舞ってないと正気でいれなかった。本当に治るのか、治療方法はあるのか、元の元気な体に戻るのか。それだけが不安でたまらなかった。
でも結果は、原因不明
「なんでやん!阪大病院やで。なんでわからんの。ここ総合診療部やのに全部のことわかるんじゃないん?マサチューセッツいかな治らんのちゃうか(冗談です)。」って母と話してました。
医者から言われた言葉は、「半年くらいかけて検査せな、原因を特定することはできません。今できることは対症療法だけです。」と。医者は対症療法って言葉好きやなって思った。この時にはすでに、左のお腹と背中の痛みだけでなく、胸・左足・頭・右のお腹まで痛みが広がっていました。4月から半年くらい経ってるのわからん(原因不明)ってことは、このままわからない可能性のほうが高いな。その時はそう判断して、金沢大学病院に行くことにしました。その方が、学校に通いながらでも通院することができるからです。

金沢大学病院

金沢大学病院に行ってからは、病気が発症して半年経ってたせいか薬で痛みをコントロールすることができるようになりました。
徐々に体調も良くなり、波があるものの順調に授業も受けることができて、何とか2年生を乗り切ることができました。

薬の副作用

金沢大学病院に行くまでいろんなことがありました。
薬の副作用がきつくて泣いてしまったり、吐き気が酷くて吐いてしまったり、じんましんが出たり、手のけいれんや痛みが出たり、ペンやお箸を持つことができなくなったり…
考えたら切りがないくらい副作用では苦しめられました。でもだからこそ今自分に合う薬があって、今の生活ができてるんやって思ってます。

現在

今は、何とか痛みをコントロールすることができています。ここまで来るのは長かった。大変でした。笑。
病院では、私の日々の様子を記録するように言われています(体温とか痛みの場所、程度)。まぁこれも一種の人体実験ですね。でも、私はこの「痛み」の病気になってから慢性的な痛みに苦しむ人の数や実態を知って衝撃的でした。日本中や世界中にこんなにいるんやと気づかされました。私を調べることで、多くの痛みに苦しむ人の助けになれば幸いです。これで、医学が進歩するきっかけになればいいなと思っています。

気づいたこと

病気になってから気づくことって多いなって思います。いい医者は1度は大きい病気になるべきだと私は思いました。理由としては、患者の気持ちがわかるからです。その人にしかわからない「気持ち」って言うものがあると思うからです。

まとめ

長くなってしまいましたが、私の病気について少し知れたかなと思います。私のような慢性疼痛だけでなく、様々な病気で苦しんでいる人が世の中にはいっぱいいます。でも、病気になることが不幸とは思わないようにしてください。病気は、その人の一部やと考えています。私は、神様がどんな人でどんな形でどんな顔をしているか見たことがないからわかりません。でも、神様はその人に乗り越えられない試練は絶対に与えないと考えています。人生においていろんな試練があります。人生はsinカーブやと昔誰かがいっていました。つまり山あり谷ありのいいこと悪いことの積み重ねで面白くなっていくと思います。だから、病気になったからといって悲観的にならず自分なりにおもろいと思うこと、おもろいと思う人生を生きればいいと思います。病気は人生において少しの悪いことに過ぎないと。
生きていればきっと、周りの人が助けてくれたり、励ましてくれたり、笑わせてくれたりします。その人たちに恩返しをする意味でも笑顔で行きたいです!


今週は…

今週はとうとう第一志望の企業のWeb面接です!めっちゃ緊張します。めっちゃかみそう。笑笑
でも、何とかなるだろうと思っています。まぁ私を採用しない企業なんて、見る目ないわって思ってるので大丈夫でしょう!
今週は、バレンタインのチョコレートのラッピングをしたいと考えてます!みんな喜んでくれるとうれしいです!
まだまだ寒い日が続くので、皆さん暖かくして頑張ってください!!

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