みんな同じ

 信号待ちをしていた時、
「彼氏いますか?」
と唐突に聞かれた。質問の主は、当時通っていた税理士試験予備校の講師。その夏の受験を終え、クラスのみんなとカラオケボックスで朝まで騒いだ後の出来事である。
 私は、目の前を通り過ぎるトラックに目をやりながら問い返した。
「彼氏の定義は何ですか」
 今思い返すと、なんとも味気ない受け答えだが、試験の直後であり、論理的にしか物事を考えられなくなっていたようだ。
 そんな私に対し、彼は別段驚く様子もなく、淡々と答えた。
「彼氏とは、将来、結婚するかもしれない相手のことです」
 一瞬耳を疑った。なんて時代錯誤な答えだろう。私は思わず右横にいる彼の顔を見上げた。すると、彼は私ではなく、通りの向こうの赤信号を見つめていた。
 その横顔に真面目さを感じ、私も真面目に答えなければと思った。
「その定義にあてはまる人は、いません」
 正直なところ、食事に誘ってくれる男性はいた。朝まで一緒にいることもあった。しかし、もう十年近く、自分が結婚するというイメージを持てずにいた。もっと正しく書くと、そういうイメージを持たずにすむ相手としか付き合ってこなかった。
 私の返事を聞いた彼は、クルリと私の方を向いて
「じゃあ僕、立候補してもいいですか」
と言った。おかしな人だと思った。答えを聞く前から既に嬉しそうな顔をしていたからだ。
 そして、その嬉しそうな顔につられて私の心もほころびかけたけれど、すぐに「この嬉しそうな顔を悲しい顔に変えてはいけない」と考え直し、断るつもりでこう言った。
「ありがとうございます。でも私の父親、自殺しているんです」
 父の最後について、身内以外の人に話すのはこの時が初めてだった。その死因は我が家のトップ・シークレットであり、心に貼り付けた絆創膏の下で膿み続けている生傷でもあった。
 父を守れなかったということは、父を見殺しにしたのと同然であり、もしそのことを口外すれば、みんなから石を投げられると思っていた。だから、絆創膏は傷口を広げないためにというよりも、むしろ、傷口を隠すために貼っていたような気がする。
 そんな大切な絆創膏を、私はあの時、べりべりっと剥がしてみせたのだ。時々不思議に思う。何故あの時、私は絆創膏を剥がすことができたのだろうか。
 剥がす一瞬の痛みより、仲良くなってから傷物であることがばれた時の痛みの方が怖かったのだろうか。それとも、私はあの時点で既に彼に対して一縷の望みを抱いていたのだろうか。
 よくわからない。でもとにかくあの時、私は彼の申し出をありがたいと思いながらも、彼が安易に私のテリトリーに入ってくることを避けたかった。そして、一番誠意のある方法で予防線を張ったのだ。
 すると、それに対する彼の反応は意外なものだった。
「それがどうしたんですか」
「え?」
 私は彼が私の言葉を聞き逃したのだと思い、同じ内容を咀嚼して繰り返した。
「つまり、十年程前に私の父親が首をくくって死んでしまったのです」
「だからそれが今の僕の申し出とどう関係しているのかと聞いているのです。因果関係がよくわからない」
 物分かりの悪い人だなぁと半分呆れながら、私は言葉を尽くして説明した。
 私には家族を守れなかった前科がある、そういう人間には家庭を持つ資格がないと思っている、というかそもそも家庭を持つ持たない以前の問題で、父のことがあってからというもの私は自分以外の人に影響を与えることを極端に恐れて生きてきた、できれば野に咲く花のように一人でひっそりと寿命を全うしたい、等々。
 あの場面のやりとりをこうして原稿用紙に落としてみると、ふざけてじゃれあっているようにも見えるし、力んで口喧嘩をしているようにも見える。でも実際には、二人ともごくごく自然に会話をしていた。
「僕に言わせれば、急性脳疾患も心臓発作も自殺もみんな同じ。どれも病気による突然死です」
「でも父は病気ではありませんでした。体も心もです。むしろ、そういうこととは一番縁がなさそうな明るい人で。だから周りは父の強さを過信してしまって…」
「たとえそうであったとしても、かわいそうな言い方かもしれないけれど、自殺を選んで実行に移す瞬間は健全ではないと思う。その瞬間、突発性の病気に見舞われたんだと僕は考える。突発性の病気のために、お父さんは後に残される家族の苦しみを想像することができなかったのでしょう。いや、想像できたのかもしれないが、それでも死に向かう自分を止めることができなかったのでしょう。それは脳出血を止められないのと同じだし、心臓発作を止められないのと同じじゃないですか」
 そんな会話をしながら、ふと幼い頃に父から「お前は理屈っぽいな。女の子がそんなに理屈っぽいともてないぞ」と言われたことを思い出した。私は心の中でクスッと笑って、「お父さん、残念でした。私よりも理屈っぽい男性にはもてるようですよ」と言い返した。
 この人といれば、父のことを秘密にする必要がない。この人といれば、傷は乾いていくような気がする。そのように感じて、私は彼の立候補を受け付けることにした。そして彼は見事に当選を果たし、私の夫となって早十四年。
 彼のおかげで、絆創膏を剥がした心の傷はすっかり乾いて跡に変わり、私は今、落ち着いた気持ちでこの随筆を書いている。ありがとう。