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日本のサムライが盾を使わない理由

なにかと比べられがちな、西洋の騎士と日本のサムライ。
その一番の違いは西洋剣と日本刀という武器の違いのほかに、
盾を持っているかいないか、というのも大きな違いです。

今回は、日本のサムライたちがなぜ盾を持たなくなったのか、
その理由について考えていきましょう。

◆元々盾は存在した

日本の盾の歴史のはじまりは、紀元前3世紀頃から3世紀頃の間で、
いわゆる「弥生時代」とよばれる時代です。
その間、日本では片手に持つ小型の「持ち盾」と、
自陣の周囲に置く「置き盾」(別名:掻楯[かいだて])が開発され、
初期はどちらも木製で、樅(もみ)や杉、檜などがよく使われ、
古墳時代中期になると、木枠に動物の革を張った「革盾」が用いられるようになりました。

ちなみに銅鐸(釣鐘型の青銅器)などに鳥装の司祭者が盾を持っている場面が描かれていることから、弥生時代から古墳時代には、盾は祭器としても使われたと考えられています。

◆何故日本では盾が使われなくなったのか?

ここで言う盾は、片手で持つ「持ち盾」の事です。
日本で完全に盾と呼ばれるものが使われなくなったわけではなく、
少なくとも「置き盾」については、平安~鎌倉時代まで用いられており、
陸上の陣や櫓の周囲だけではなく、船縁に並べて海戦に使用したとする様子が「平家物語」や「源平盛衰記」に描かれています。

「置き盾」の役割に最も影響を与えたのは「火縄銃」(ひなわじゅう)でした。
従来の木盾では火縄銃に対抗することができないため、「置き盾」は兵士個人を守る物というよりも軍陣自体を守る防御壁のように大型化し、いわゆる持ち歩く盾とは別の発展をしていったのです。

話を戻しますが、「持ち盾」が使われなくなった理由は1つではなく、
いくつかの理由が混在して「持ち盾」が淘汰されていったと考えられています。その中でも主要な理由をピックアップしていきます。

◆馬と弓が主要な武器になった

5世紀にはついに鉄の盾も生まれましたが、その頃に主力となっていたのは機動力に優れた馬と弓でした。

鎌倉時代以降、武士は長弓による射撃戦闘がメインになっていきます。
弓は当然両手で扱いますので、盾は持てません。
また、馬上の白兵戦では太刀のみを用いるようになりました。
平安時代から南北朝時代までの戦は、主に一騎打ちによる馬上戦が行なわれ、馬上から薙ぎ払って倒す「薙刀」が主力。槍は盾と同様、飛鳥時代までに廃れ、復活するのは室町時代以降のことになります。
また「薙刀」も鎌倉時代あたりでは主に歩兵の武器でしたので、騎乗する位の高い武士は弓を持つなら太刀を選択するしかありませんでした。
その後、戦国時代においても再び槍が復活していましたので、これまた両手で扱う武器の為、盾をもつことはありませんでした。

◆武器の使用技術によって盾の機能を補った

日本における、武器を扱う技術の発展にも理由があります。

西洋にも武器術というものは当然ありますが、
日本は異様なほど武器の使用技術の昇華にこだわりました。
例えば現存する主要な兵法や剣術においては、武器を防具としても兼用するための様々な工夫が伝わっています。

日本刀では鎬と呼ばれるものを使った受け流しというものに非常に深く広範囲な技術を伝えています。
槍においても巻き技や突き返しなどの技があり、大半の武器においてはむしろ相手が攻撃すればするほど、いくらでも返し技につなげられるように、技が発展していったのです。

◆鎧の発展により、盾が消滅

日本では非常に古くから全身鎧が用いられるようになりました。
そして、武家階級が台頭した平安時代の末期頃、短甲や挂甲の形式に改良を重ねた大鎧や胴丸が成立します。
これは日本の甲冑の歴史における大きな転換期でした。

日本の甲冑の中でも「大袖」は、胴の肩部分に装着し、肩から上腕にかけて防御するための部位です。
戦において、まずは、武器を扱う両腕を何よりも守らなければなりません。
日本式の甲冑は、基本的には紐によって身に着ける作りとなっているため、その時々の必要性に合わせて、自在に装着することが可能。肩をひねることで、簡単に盾として構えられる「大袖」は、非常に合理性のある、防御のための部品です。

南北朝時代を描いた「太平記」には複数人の武士が密集しこの大袖を使って敵の攻撃を受け流しながら間合いを詰めていく描写がある為、もうこのあたりから盾を使う必要がなくなってきていたのかもしれません。

戦国時代に入ると、槍・弓を始めとして、新しい兵器である鉄砲が活用されるようになり、これらの武器を用いた戦闘に対応した部隊と、より頑丈で軽快な動きができる甲冑が必要とされるようになりました。

この時代に成立したのが「当世具足」です。
「当世」とは現代風という意味で、「具足」とはすべて備わっていることを表します。
つまり当時の最新防御技術を備えた鎧であったことをうかがわせます。
この時代の甲冑には鉄を多用するようになり、簡単に着脱することが難しい代わりに、非常に堅牢でした。

このように、日本では鎧が発展していったため、盾の有用性がさらに失わてれていったのです。

◆ほかにも様々な理由が・・・

他にも様々な理由があるといわれています。
例えば、日本人同士ではありませんが、
鎌倉時代や戦国時代、朝鮮や明との戦で、 盾と剣を持って戦う大陸の兵を刀だけを持った日本の兵が圧倒していたと当の中国側の多数の文献に記されています。
その影響で、日本の武士が持ち盾はやはり不要だと判断した可能性もあります。
また、鎌倉時代には置き盾を背負った専門の兵がいたりと、必ずしも誰もが盾を持つ必要はなかったのかもしれません。

◆結果、持ち盾は日本ではあまり使われなくなった。

このように、日本では戦にかかわる技術が独自に発展していったため、西洋ほど手に持つようなサイズの盾は発展しなかったのでした。

補足としては、
そもそも、「なぜサムライが盾を使わないのか」という疑問自体が、
剣と盾はセットになっているという思い込みがあると思っています。

実は鎧が発達すると盾は持たなくなるという現象は世界中で起きていて、
ヨーロッパでも鎧が仰々しいものになると、実際の命がけの白兵戦では盾は使われなくなり、馬上槍試合のようなセレモニーは別にして、戦場においては家柄と身分を誇示するための名札のようなものになっていきました。

なので、必ずしも剣と盾はセットではないのです。




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