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年収、フォロワー数、知名度、知識、「他人のモノサシで生きる」とは?

こんにちは。
キルギス共和国で「Ipdate.me」というオンラインサロンを運営している、皆川です。

日本に帰ってきて3か月、福岡市に住み始めて2か月が経ちました。

日本に帰ってきた当初、

「来年にはまたキルギスに帰りたいんだけど、どうしたもんかなあ...」

と悩んでいたのですが、次のプロジェクト構想が少しずつ固まってきています。

その第一歩として、「ロシア語圏向けに日本に関するYoutubeを撮る」ということから始めてみました。

特に、日本のクッキングチャンネルに力を入れていこうとしています。

ロシア語がペラな人はぜひチェックしてください!!

人間、行動していないと不安に感じますが、具体的にやりたい事や方向性が決まると、ひと安心するもんです。

なおかつ、何かに挑戦して四苦八苦している時が一番楽しいですね(笑)

ということで、キルギスプロジェクト第二弾ドンドンいきます。

それでは、早速今回シェアしたいテーマについてです。

年収、フォロワー数、知名度、知識、「他人のモノサシで生きる」とは?

みなさん、プロ奢られヤーさんって知ってますか?

Twitterをやっている人ならフォローしている人もいるかもしれませんが、そのプロ奢さんがこんなツイートをしていました。

そこで、考えさせられたことがあります。

それは、

他人のものさしで生きていると、自分の人生グチャグチャになる

ということです。

「他人のものさしで生きるんじゃねえよ」というのは、苫米地英人さんの本に書かれていた言葉ですが、ここをもっと深堀してみます。

正直、SNS上で他人を評価する時に僕もよくやりがちなのが、こんな感じなのではないでしょうか?

・この人の知識やスキル凄い!タメになりそう!
・年収1000万!どうやってこんなに稼いでるの?知りたい!
・やたらフォロワー数が多い!なんか良い事でも言っているのだろうから、とりあえずフォローしとくか!
・えっつ、有名人と知り合いなんだ!凄い!
・マッキンゼー出身!凄そう!

等ですが、我ながら本当にバカっぽい(笑)

というか、とんでもなくバカです。

まず、「凄い!」という言葉自体が語彙力や理解力が足りていない、おバカワードだなあと自覚致しました。

反省です。

それでは、ここで問題提起なのですが、こんなくだらない世俗的な概念で人を評価していいのでしょうか?

さらに、そもそも人を評価すること自体に意味があるのでしょうか?

もちろん、職場で適切に評価され、それに見合った報酬を得るとは大事です。

しかし、自分らしく人と付き合うには、

プライベートやSNS上で世俗的なものさしで人を評価したり、自分と比べたりすることはナンセンスで、結局は自分独自の価値観に合うか、合わないか

が大事なのです。

実際に、10年以上もダラダラと付き合っている「ザキヤマ」という漢がいるのですが、もう本当にどうしようもないんですよ(笑)

ただ、やっぱり10年以上付き合っているということは、「なにかが合っている」んでしょうね。

怖いですが。

それが価値観だったり、タイミングだったりするのかもしれません。

また、お互いの関係性において、そこには間違いなく年収やフォロワー数、知名度、知識は重要ではありませんし、それは妻との関係でも同じことが言えます。

結局、

世俗的なものさしではなく、自分独自の価値観に合うかどうか?で人とつながる方が、幸せに対する貢献度はかなりアップするのです。

ということで、自分の中にある他人のモノサシはトットトぶっ飛ばして、自分と価値観が合う人と絆を深めて幸せになろう!

というお話でした。

それでは、今回も最後まで読んで頂いてありがとうございました。

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