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おい、そこのおまえ! ぼくの話を聞くのだ!

文章は前置きが命なのだ。勢いで押し切ればあとはどうとでもなるのだ。なのでこのまま突っ走るのだ。ちなみにこれは前置きに言及している前置きなのだ。メタ前置きなのだ。そうなのだ。そうなのだ? わからんのだ。メタという言葉は適用範囲が広すぎてわけわからんことになってるのだ。正確な定義を教えろなのだ。あとメタ要素を入れたアニメとかゲームってたいてい勢いよりもぐちゃぐちゃなカオスを楽しむって感じになってしまうのだ。そりゃキャラが第三の壁を越えてきたら誰だって走るのを止めてしまうのだ。つまりこの文章はメタを入れたことによって勢いがなくなってしまったのだ。なので結果として直接の言及に失敗してることになるのだ。これは果たしてメタなのだ? メタっていったいなんなのだ? 四国めたんと関係あるのだ?そんなのないわよ。あるわけないじゃない。おい、出てくんななのだ。黙って聞いてろなのだ。

ところで最近noteのnoteを書いたのだ。noteの紹介をしてるのだ。とてもいい経験になったのだ。面白いからもし読んでない人がいたら読んでくるのだ。この文章を読んだ後だとより楽しめると思うのだ。リンクは貼らんから自分で探すのだ。なぜならリンクを貼ると勢いが死ぬからなのだ。誰でも急には止まれねぇのだ。どうせスルーされるのだ。だから自分で探すのだ。このnoteの隣にあるからすぐ見つかるはずなのだ。だけどこれって未来人ほど不利になるのだ。もしこのnoteが時間がたって埋もれてしまったら探すのだけでも一苦労なのだ。だから早めに読んでくるのだ。今ならなんとタダなのだ。限定公開先着無料なのだ。嘘なのだ。今でもいつでもタダなのだ。なんなら広告の今だけ限定は99割ウソなのだ。だまされたらあかんのだ。とにかくあとで見てこいなのだ。別に今でもいいのだ。とにかく見るのだ。じゃないと話が進まねぇのだ。

ところでぼくは読んだ文章にすぐ影響受けるタイプなのだ。読んだもので出来てるのだ。食べたもので出来てるのだ。はらぺこあおむしなのだ。だから例の紹介note、全然テンション違うのだ。文体も違うしスピードもトーンも違うのだ。なんでこんなことになるのだ? 自明なのだ。それは紹介だからなのだ。紹介というかぼくが勝手に見せびらかしたいって思っただけなのだけど、そこは別にどうでもいいのだ。紹介するからには熟読しないといけないのだ。「この人めっちゃいい!」って思ってるから読むのは全然苦にならずむしろ超楽しいのだ。そうしていっぱい読んでたらどんどん思考が似てきちゃうのだ。降霊なのだ。憑依なのだ。そういうイタコ状態も含めて書くのはめっちゃ楽しかったのだ。東北イタコ姉は関係ないのだ。そうですわ、ぜんぜん関係ないですわ。おっと、乗っ取られてしまったのだ。油断も隙もありゃしねぇのだ。

こういう状態のときは書くのがめっちゃ楽なのだ。言いたいことが出てくるだけだから悩んだりとかしねぇのだ。だけどこれには欠点があって、普段のテンションがわからなくなってしまうのだ。普段っていったいなんなのだ? 普通と同じ意味なのだ? 素面のときってことなのだ? じゃあこんなのだのだ言ってる自分は素面なのだ? のだのだ言わなくなったらシラフなのだ?それでも影響は受けてるのだ? 自分ってなんなのだ? 普通ってなんなのだ? しらふってなんだ? おっと、素が出てしまったのだ。こういうことをメタと呼ぶのだ。ね?勢いが止まったのだ?


どうやら人間は素面では生きられないようだ。常に何かしらから影響を受け続けている。ちなみにさっきまでの、人によってはしつこい喋り方も明らかな影響が認められる。この動画だ。

リンクは貼らないのではなかったのかって? はは、そんなのはいち人格の戯言だ。俺に責任はないよ。


そうなのだ。これが俗にいうメタいというやつなのだ。ん? なんでそんな目でぼくを見るのだ? その哀れなものを見る目を今すぐやめるのだ。

この動画にはメタ認知の話が出てくるのだ。ずんだもんにおすすめの音楽を聞かれた春日部つむぎは、なんと答えてもずんだもんに罵倒されてしまうのだ。ポピュラーなものを勧めてもツウな作品を答えても、逆に質問で返しても、何を答えても癇に障って罵倒されてしまうのだ。もう何も言えないのだ。そうしてオーバーフローをおこした春日部つむぎの脳はエラーを返し続けて死んでしまうのだ。これがメタ認知の暴走なのだ。ちなみにぼくもよく暴走するのだ。これがメタ認知モンスター、略してメタモンなのだ。ぼくの名前はずんだもんなのだ。メタモンはミームなのでみんな使ってあげてほしいのだ。

ぼくは何かのきっかけがないと書けないみたいなのだ。普段だと書きたいことをいろいろ考えていても、(書く必要あるのか?)や(需要あるのか?)(誰も見てないのでは?)といったメタモン状態で書くことすらできない状態になってしまうのだ。バカくそ自意識過剰なのだ。そんなん自分でもわかってるのだ。そんなとき、「誰かに感想を言いたい!」という理由で、普段使わない文体で、誰かに合わせて文章を書くことはとても快適なのだ。素面では使い物にならないメタモンだけど、誰かに「へんしん」すれば書くことができるのだ。書きやすいことを見つけることができるのだ。だからこれからはもっと好きなものをみんなに伝えていけたらいいな、と思っているのだ。


きっと、これがぼくの存在理由なのだ。