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透明な紳士と、透明になりたかった私
第十二話 燕尾服の使用人
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県境に広がる別荘地のなかを一台の軽自動車が走っていた。車はうろうろと迷うように別荘地内を一周した後、奥まった箇所に建てられた白塗りの別荘の前で停車した。
車の中から、二十代と思しき男女が降りてくる。男のほうはなんの変哲もない、ごく普通のサラリーマン風の見た目をしているが、女のほうは全身真っ黒なドレス姿で、緑に囲まれた別荘地のなかでひどく目立っていた。
何
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第十一話 あなたの気持ち
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綾斗は見ていた。慌てて逃げ込んだ二階の端、バルコニーへ続く壊れた扉の前の柵から、階下で起こった惨劇を。
初めに甲高い悲鳴がほとばしった。暗闇のはずの階下に血だまりがじわじわと広がっていくのがはっきりと見える。それは南雲の連れて来た取り巻きのひとりのものだった。血だまりのなかにべしゃりと倒れ込み、四方に赤いしぶきが飛び散った。
血だまりのなかのそれは、あるは
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第十話 愛した報い
「春風さん、何やってるの、逃げなきゃ――」
綾斗のささやきにも、若菜は耳を貸さなかった。
「逃げたきゃ逃げて。わたし、これ以上ここを壊されるのが我慢ならないの」
「何言ってるの、バカじゃないの⁉」
バカなことを言っていると、自分でも思う。
自分は目の前の奴らより土地勘があるのだから、わざわざこうして姿を現さなければうまく逃げられたかもしれない。だが、奴らが自分を探
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第九話 鼓動を止めたいだけなのに
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洗ったばかりの体に、やわらかな部屋着をまとって。
洗ったばかりの髪を、やわらかなタオルに押し包まれて。
彼に髪をくしけずってもらえる時間がとても好き。
見上げた先に、ガラスの抜け落ちた窓がある。ここは寝室。この部屋は以前、闇につつまれていた気がするけれど、そんなことはもう忘れてしまった。
かわいらしいサーモンピンクの壁と、部屋をぐるりと取り囲
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第八話 すべての報い
昔から人形遊びが好きだった。
といっても、女児が人形を使って安っぽいホームドラマを演じるようなごっこ遊びをしていたわけではなく、ただ、人形にドレスを着せて眺めるのが好きだったのだ。
人形のドレスは、この世にはびこる世俗的な安っぽい服と違い、レースが大胆に使われていて、ふわふわしていてかわいらしく、幻想的だった。現実ではだれもこんな服を着てくれない。でも、それでよかっ
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第七話 鎖と罰
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三十八度。
若菜は体温計を覗き込み、がくりと腕を下ろした。朝から熱が出てしまい、ベッドで横になっていたのだが、いつの間にか昼の三時になっている。
――今日は、あそこに行けそうにないな。
咳や鼻の異常はなく、かすかな悪寒があるだけだ。明日には治るだろうが、あの幽霊が心配しているんじゃないか、寂しがっているんじゃないかと思うと気が気でなかった。
彼にとって、自分
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第六話 尊い世界
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この町に来た初日、夜道で見かけたゴスロリ少女が春風若菜という名だと知ってから、綾斗の心は浮足立っていた。
昼間の彼女は地味な顔と地味な空気を一生懸命取り繕っているが、繕えていない。無表情で黒板を見つめる彼女の横顔を見つめていると、黒と紫のアイシャドウや黒髪のツインテール姿がおのずと浮かんでくる。
ゴスロリなんて、どんな美少女が着てもひどく浮ついて見える幻想の服だ
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第五話 こもりうた
次に目が覚めたとき、若菜は再び暗闇のなかにいた。
何か、あたたかなものに横抱きにされて、ゆらゆら揺れている。
――これは、腕。あの燕尾服の、腕……
若菜は暗闇のなかで目をしばたたいた。闇に馴染んだ瞳が、ぼんやりと燕尾服の襟元の輪郭をとらえる。自分が彼の腕に横抱きにされていること、その腕にゆらゆら揺られている状況をじわじわと飲み込んでいく。
彼は鼻歌まで聞こえそ
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第四話 Emma
制服に着替え、鞄を手に家を出る。自転車に乗って学校へ向かう。だが校門前で茶髪の女生徒たちの集団を見た瞬間、反射的急ブレーキをかけてしまった。
暴力を振るわれ、服を脱がされ、胸に落書きされても、「どうでもいい」と言えたのに。「好きにしろ」と言えたのに。どうして逃げることがある?
逃げたらきっと、彼らはますます調子にのるだろう。撮った写真を本当にばらまくかもしれない。ネッ
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第三話 ひとりにしないで
燕尾服は、常に懐中時計を持っている。
燕尾服は、よく見ると裾がすり切れている。
燕尾服なのに、若菜という客人の扱いが雑だ。
燕尾服以外に、衣服はなさそうだ。
燕尾服しか見えないけれど、実際に触れると肩や腕、胸にがっしりとした厚みがある。
燕尾服ということは、誰かに仕えるひとだったのだろうか。
燕尾服を着るのは、現代ならばオーケストラのマエストロ、あるいは
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第二話 汚してほしい
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「■ね」と言われた回数、二〇〇回。
「ビッ■」と言われた回数、一二〇回。
「ク■女」と言われた回数、五一〇回。
「下品女」七〇回。
「エ■女」一五〇回。
「男好き」「泥棒」「サイテー女」「パパ活女」「穴」「ブス」……回数は実際に数えたわけじゃないので体感だが、これくらい言われていてもおかしくない人生を送ってきた。だがぜんぶ嘘っぱちだ。醜い嫉妬と勘違いと、
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第一話 ゴスロリと廃墟
たぶんこれは、はじめて買ったゴシックロリィタ。お母さんがくれた五万円を握りしめてブティックに行って、前から目をつけていた新作のマネキン――の隣にセールで雑に並べられてたハンガーラックから一着取り出して、「これください」と勇気を振り絞った。
高校生の分際で、一着三万円もするお洋服を買ってしまった。お店で袖を通して、そのまま着て帰った。すでに八千円の厚底靴と黒いチュール