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三英傑それぞれの二条城

今、レキジョークルの「奥の枝道 京都編」を執筆中なのですが、歴史豊富な京都を調べるにあたり「二条城」の変遷が気になりました。

現在の豪華壮麗な「二条城」は徳川家康によるものですが、その事に関しては著書にてたっぷり書かせていただきました。

実は他に、戦国期において天下人が変わるたびにこの二条界隈に建てられた城が他に3ヶ所もありました。

それらの時代背景を書き記したいと思います。

「二条城の位置の変遷」出典:城びと


一)織田信長から足利義昭へ

永禄の変で兄の義輝が戦死

もともとこの地は兄の13代将軍・足利義輝の館でした。
彼は剣豪の誉れ高い優れた将軍でしたが、畿内の実権を握った三好長慶の死後、三好三人衆(三好長逸・三好宗渭・岩成友通)らに襲撃され、落命します。

三好長慶は、その後に台頭した三英傑にかすんで、それほど注目はされていませんが、一時は破竹の勢いでのし上がった戦国大名。
機会があれば彼の事も書きたい。

千世の一言

手厚く作られた堅固な城

義輝が戦死したため、すでに出家していた実弟の義昭を還俗させて14代将軍としたのは織田信長でした。

義昭のための新御所を作ります。
発掘調査によると、2重、3重の石垣と横堀がめぐらされ、天守らしい建造物が建っていた事が判明したのを見ると、信長は義昭のために、防御力もある立派な城を献上していたようなのです。

当時は珍しかった石垣も見られ、その一部は、京都御所内や現・二条城内に復元されています。

しかし、その後、義昭は信長に反抗したあげく、合戦にまで発展し、怒った信長に追い詰められ、京から追放されてしまいす。
この二条城は徹底的に壊され、一部の建物は安土城に転用されました。

残された文献を再度検証してみたり、この城の堅固な造りをみても、当初の信長の義昭に対する気持ちは、純粋に将軍家を助ける事を名誉に思っていたのではないか?

それになぜ義昭が反発したのかが良くわからない。
その後すぐに信長が心変わりして、傀儡将軍として扱ったからか?
義昭が単に身の程知らずなだけだったのか?
この二人の心理状態も気になるところ。

千世の一言


二)織田信長から誠仁親王へ

信長は二条大路の南にあった二条家の邸宅の庭を大層気に入り、譲り受けて大改修して建造した二条城がありました。

京都での宿所とする予定でしたが、誠仁さねひと親王に献上します。
信長は、朝廷より権大納言と右近衛大将に任命された事への御礼のつもりだったのかもしれません。

この事から、ここは「二条御所」「下御所」と呼ばれ、発掘調査によると、幅5m程度の堀で、防御性には乏しい城だったようです。

この二条御所が本能寺の変の時、信長の嫡男・信忠が自刃したところ。
信忠は、明智軍を迎え撃とうと親王一家を無事に城外へと出し、ここに籠って防戦しますが、追い込まれて自刃する。

こんなところでグズグズせずに、さっさと京都から脱出して逃げ、再編成し、弔い合戦をしていれば楽勝だったはず。
この時の彼の判断によって、確実にその後の歴史は大きく変わってしまった。
少なくとも秀吉が天下を取る事はなかったはず。

千世の一言


三)豊臣秀吉が繋ぎの城として

本能寺の変の後、天下人の地位を獲得した豊臣秀吉が建てた城です。
この辺りにあった日蓮宗の大本山・妙顕寺を移転した事から「妙顕寺城」とも呼ばれています。

しかし、その後、聚楽第じゅらくだいが築かれたため、ほんの3、4年でその役割を終えます。
天守があったとも伝えられていますが、城の詳細などは確定できず、謎の多い幻の城でもあります。

聚楽第はかなり絢爛豪華だったらしく、今、残っていない事が残念。
秀次事件により、たった8年で取り壊されたが、そうでなくても徳川によって壊されたか、幕末の動乱で灰にされていたはずで、どちらにしても今には残らない。

千世の一言


二条に城を建てた理由

こうやって詳細を確認してみると、豊臣秀吉と徳川家康は、自分の権威の象徴の一つの政庁として、立地の良い京都・二条に城を建てています。

しかし、織田信長だけは、自分のためではなく、将軍や天皇のために建てています。

これは、何を意味するのか?

いくら稼ぎ上手な信長でも、まさか100%慈善事業ではなく、この後の自分の有利な展開の布石のひとつだったはずです。

考えられることは、
信長だけ、まだ完全に天下を掌握していなかったため、次の政策を考えると、単純に京都市中に城を持つ気はなかったのでは?

琵琶湖を制する事で、流通を便利にした信長が「安土城」の次に治めたかった土地は、やはり「大阪城」だったはずです。

まさか足利義昭と共に上洛した時から、その構想があって、世界貿易を頭に描いていたとしたのなら、信長とは本当は未来人だったのではないか?

妄想は、あり得ないマンガの世界に陥ってしまうのです。



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