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老いぼれても兼家はやはりドンだった!

兼家(段田安則)は息子三人を呼んで、明日、出家すると宣言し、後継者に道隆(井浦新)を指名すると、道兼の顔色が急変しました。

道兼:「父上の今日があるは、私の働きがあってこそ」

兼家:「黙れ!お前のような人殺し●●●に一族の長が務まるか!」

はて? →「虎に翼」風に(笑)
この兼家の言葉はボケなのか正気なのか?

一瞬、判断に困りましたが、私は「正気」で言ったと思います。
自分の寿命が尽きるのを悟った兼家はどうしてもここでハッキリしておく必要がありました。

なんせ何よりも自分の一族・「家」が大事で、そのためにはたとえ実の息子であっても、それぞれの特性を利用して●●●●今まで邁進してきたのですから。
そのためにはバッサリ切り捨てることも厭いません。
息子をコマのように扱うのも、ドン兼家にとっては大義名分のあるりっぱな「正義」なのです。

道兼:「この老いぼれが…、とっとと死ね!」
 

このやりとりこそが、この親子の本音だと思います。

だから兼家もこの時だけはボケてる場合ではない!

この後、道兼は内裏にも出仕しなくなり、妻子にも去られ、荒れた生活を送ることになります。

この辺りは道兼に同情しますね。
最初から父に利用されていたのを、この時に初めて気付いたという事は、基本的に性格が単純すぎます。

父親ではなくその権力にへつらうしか術を知らないのは、あまりにもイタ過ぎて最も同情すべき点でした。

このあたりも父の兼家は見抜いていたのでしょう。
父からみて彼は本当に御しやすい息子でした。
それだけにもっと慎重に深い思慮を持って行動すべきでしたが、すでに後の祭りです。

それにしても、ドン兼家がいなくなるなんて、信じられない!
私にとってはドラマ進行において「要」の存在でした。


道隆の独裁政治はじまる

さて、跡を継いだ道隆は、早速、娘の定子(高畑充希)を一条天皇(柊木陽太)の中宮にと提案しますが、藤原実資(秋山竜次)の言った言葉に疑問を感じませんでしたか?

「中宮と皇后が並び立つことは前例がございません。」

え?どういうこと?

この場合、確かに「中宮」とは「皇后」の事で、一条天皇にとっての中宮(皇后)は定子でいいのでは?
それをよってたかって「前例がない」とは、どういう意味なのか、どうしていけないのか?私には 解りませんでした。

ただいま中宮は満席状態

そこであらためて「中宮」の意味を読んでみると、

皇后・皇太后(こうたいごう)(=先代の天皇の皇后)・太皇太后(=先々代の天皇の皇后)の総称。三宮(さんぐう)。

Weblio古語辞典

「中宮」そのものは皇后の御所を指すので、その中に存在する「三后」全てを総称したもののようです。
しかもそれらのポストは各一席のみしかなく、この時点では63代・冷泉天皇も64代・円融天皇も存命でしたので、その后たちも存在していました。
NHKサイトによると現状は以下の通りになります。
太皇太后ー冷泉天皇の后・昌子内親王
・皇太后 ー一条天皇の生母・藤原詮子あきこ(吉田羊)
・皇后  ー円融天皇の中宮・藤原遵子のぶこ(中村静香)

一条天皇のみならず、現存している天皇の后たちを指すので、今現在のそれぞれのポストはきっちり埋まっていて、ここに新たに定子を立后するとなれば、別のポストを設けることを意味するため、前例がないことになるですね。

道隆が”前例”を作った

上記の三后のうち、遵子のぶこは夫である円融天皇がすでに退位しているので、道隆は現:天皇である一条の后・定子をその座につけると言っているのです。

遵子に置かれていた中宮職は定子に置かれ、遵子には新たに皇后宮職が置かれました。

NHK君しるべ

遵子のぶこを新たな職に押しのけて、娘を強引に割り込ませたのは、さすがドン兼家の息子です。
この時の道隆は、自分の出世のための政策だったのでしょうが、実は大きな”前例”を作ってしまうこととなり、のちに道長(柄本佑)が、これを利用して栄華を築くわけです。
この件は藤原氏全盛時代へと向かうための大きな前振りなので、しっかり憶えておきましょう!


身内同士の小さな世界

お気付きでしょうが、一条天皇と定子はいとこ同士。
のちには道長がさらにいとこにあたる娘の彰子あきこも入内させ、その上、その間に生まれた後一条天皇にも娘の威子たけこを、一条天皇のいとこである三条天皇には妍子きよこを入内させているので、同じ血縁関係のある身内同士の婚姻を繰り返します。

「宮内庁」より部分抜粋

余談ですが、
一条天皇の生母・藤原詮子あきこ(吉田羊)の定子への冷ややかな態度が、後日、道長の娘・彰子に対してはどう変わるのかも見どころです。

彼女にとっては兄の道隆は嫌い、弟の道長は好きなので、
その娘たちをエゴ贔屓するのでは?

公卿たちのいつもの会合の面々にも目を向けてみましょう。
新・摂政となった道隆(井浦新)からみた関係性を整理してみました。

・藤原道長(柄本佑)-実弟
・藤原為光(阪田マサノブ)ー叔父(父・兼家(段田安則)の弟)
・藤原公季きんすえ(米村拓彰)ー叔父(同じく兼家の弟)
・藤原顕光あきみつ(宮川一朗太)ーいとこ(兼家の兄の子)
・源雅信(益岡徹)ー弟・道長の舅
・源重信(鈴木隆仁)ー源雅信の弟
・藤原実資さねすけ(秋山竜次)ーはとこ(祖父同士が兄弟)

みんな親戚で、そのほとんどが血縁関係なのです。
なかでも、いつもいい味出している実資は他人のようですが、実は彼の祖父・実頼と道隆の祖父・師輔もろすけは兄弟であり、道隆と実資は「はとこ」ということになります。

要するに国政を司るメンバーはまるで親戚同士の寄り合いという、小さな小さな範囲で、しかも天皇家の后もこの小さい範囲の中から選出しています。

実に狭い。

親戚同士で、駆け引きをして、小さな小競り合いをしていたのかと思うと、なんとも可笑しみを感じずにはいられません。

外国へ向けての視野が広がるのは、280年後に突然攻められた「元寇」があったものの、日本から意識して戦争に発展したのは、もっともっと先の600年以上も経ってからなのです。(1592年朝鮮出兵)

長期にわたって平和だったからこそ、このような小さなバトルを繰り返すことでそれぞれがわが身の栄達を目指して「わが家」の存続を願っていたのです。


切実な身分格差

庶民に文字は不要

まひろのたった一人の生徒・たねちゃんが来なくなったので、様子を見に行った時、この時代を象徴するシーンが描かれました。

たねちゃんの父親の言葉はダイレクトにこの時代の身分格差を語っていました。
「文字を教えるのはやめてくれ、うちの子は一生畑を耕して死ぬんだ」
「文字なんか要らねえ。俺たち、あんたらお偉方の慰み者じゃねえ!」

確かに庶民、特に百姓には文字を習ったところで、これからそれを生かす機会もなく、搾り取られる「税」のために田畑を耕すだけなのです。
勉学は何の足しにもならない無駄な事でした。
文字を教えることは、貴族の暇つぶしの余興だと取られても仕方がない事なのです。

現実を突き付けられたまひろは、言い返すこともできませんでした。

検非違使庁の改革案

道長が検非違使に対しての改革を申請していたと知り、「直秀(毎熊克也)の死」を忘れていなかった事に安堵しました。

あの時の辛い出来事は今後の大きなネタぶりであることは明らかなのですが、いつ回収されるのかと心配していたところでした。
まだ完全回収とまではいきませんが、会話の中から、直秀たちが処刑された理由がただの”手間を省くため”だったことはわかりました。

道長の
「身分の高い者だけが人ではない」
という言葉に、彼の神髄が変わらず健在であることがわかってホッとしましたね。

新・ドン道隆は冷たく却下したのには、自分たち身分の高い公卿だけの権力と栄華の独占が当たり前で、下々の事など考えたこともないからでしょう。
彼らはただの虫けらであって、しかも罪人ともなれば、殺されようが生かされようが知った事ではないのです。

道長の言うように、これでは貧しい庶民は、朝廷に全く期待しないどころか恨んで当然でしょう。
こういうところから政権は揺らいでゆくのですが、まだこの時期は貴族政権は盤石なのですから仕方がないのかもしれません。

あの時の直秀たちの一連の出会いと別れは、まひろとの精神的繋がりを深め、今後の道長の政治理念となり、物語の大きなバックボーンとなるのは間違いなさそうです。

直秀は、退場して淋しい限りですが後々まで尾を引く良い仕事をしました。



【参考サイト】
NHK 君しるべ
宮内庁 天皇系図


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