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【雑感】贈与か呪いか(4)「コンプレックス克服」の功罪

今日もお読みくださってありがとうございます!
かれこれ3日、目と頭を能動的に使うのが難しいくらいの頭痛が続いていて、でも昨晩はちゃんと女子バスケのプレーオフファイナル第3戦をテレビで見られるくらいには回復してきました!


本題の前に

富士通レッドウェーブ優勝!

富士通は強かったですね!
宮沢・林・中村ってそれはエネオスじゃん、とちょっと思いましたけど、ニニ(中村)はエネオスではあまりプレータイムなかったから、活躍の場ができて、果たして大活躍していてよかった!
瑠唯ちゃんが富士通13年目で初優勝で、ヘッドコーチとハグしようとして泣いちゃうところとか、客席の富士通OGを見つけてトロフィーをかざしてまた泣いちゃうのとか見てもらい泣き。

対するDENSOは、試合終了後のハドルでリツさん(髙田真希)が「また戻って来よう!」って言ってて、エブリンも「また頑張るさ」って言ってた。
これだけ頑張って頑張って積み重ねてきてなお、「戻って来よう」「また頑張るさ」って言えるタフさとバスケへの熱ってすごい。このお2人はいつも明るいからこそ、その涙にグッとくるものがありました。
エブリンが入って確かにDENSOの雰囲気が変わったように思います。ポーカーフェイスな感じだったのに、「しゃーんなろー!」(←ナルトのサクラが言ってたやつ)って覇気が外側に見えるようになってきた。

はああ、オールスターは全力で楽しめるように、体調を万全に整えるぞ!むん!

コンプレックスをバネに……の功罪

さて本題。
「呪いと贈与」の話でいうと、美談にされがちな「コンプレックスをバネに成功した(呪いを贈与に変えた)」という話型があります。
しかし、経験上、取扱注意だなと思うのです。
具体的には、昨日の自分より良くなるために使うなら有効だけど、他人より抜きんでるとか、表面的な権力を手に入れるために使うのは害がある
「昨日の自分より良くなるために使って能力が上がった結果ふさわしいポジションにつく」ならいいんですよ、ただ、「自分の能力は変えずに他人を蹴落として表面的に権力を手に入れた」だと、周囲は迷惑するし、面従腹背になって本当の好意や評価は手に入りません。

かぐや姫課長の病的な「敬意のなさ」

かぐや姫課長には、基本的に「敬意」というものがありません。彼が上司に対してこびへつらっているのは見たことがありますが、そこに「敬意」があったかというと、少なくともくらたは感じませんでした。
上司に敬意を持たない奴が、現場に敬意を持つわけはない。現場にたいして敬意がある人間は、来てたかが一年で「課長研修」なんてやらねえよ。もはやこの全方位的な敬意のなさは病的。

聞く限り、かぐや姫課長は、社是社訓に則って、業務を変えたいようです。上司に対して敬意もないのになんでそんなに社是社訓を絶対視しているのかくらたには理解できません「組織」とか「仕組み」とか「管理」とかそういう空疎な概念をを崇め奉る新興宗教でも立ち上げたいんでしょうか

もちろん変えるべきところはスピード感をもって変えるべきです。
ただし、うちの課の業務は戦後から続くエッセンシャルな社会資源です。業務に関するほとんどの事柄が、できるだけ長い射程で見て判断しなければならない

行政も医療も教育も社会福祉も、あらゆる社会制度は株式会社に準拠して制度設計されるべきであるという「暴論」に対して、ほとんどの有権者が同意した。そういう考え方は「おかしい」と指摘したメディアは、僕の知る限り、ひとつもなかった。それほど株式会社という組織形態が現代社会では支配的なものになったということです。

でも、逆に言えば「それだけ」の話しなんです。「民間ではありえない」なんていうフレーズは例えば戦後すぐの農業人口が50パーセント近かった時代には何の意味も持たなかった。そのときの「民間」の支配的な形態は農業だったからです。そんなところで「組織マネジメント」だとか「費用対効果」だとか言ったって、誰も聞きゃしません。みんなにとって「当たり前」だと思えることの多くは、期間限定な「当たり前」であって、少しタイムスパンを広げて見れば、しばしば意味不明なことなんです。

株式会社化する日本について - 内田樹の研究室 (tatsuru.com)

理解も敬意もない奴が近視眼的に思いついたことで変えていいことなど現場にはほとんどありませんし、それ以上に優先すべき課題が現場にはゴロゴロ転がっています。なぜならまともな人間が足りないからだ!何かやりたきゃ人取ってこいって言ってんだろ!

うちの幹部の内訳……少数の天才と無数のバカ……

うちの組織の幹部は、

  1. 周囲を愚物に囲まれても気にならないくらい飛び抜けて頭がよい人

  2. 学歴とか個人のコンプレックスを払拭するために管理職になった人

  3. なんにも理解できてなくて、「偉くなりてえ!ワクワクすっぞ」的な人

の3種類から成り立っています。ペーパーテストと論文と面接により、「バカなトップに都合のいいように忖度しペコペコできることを証明できた者」が合格できるシステム。そこそこ頭がいい人はバカに囲まれて苦労するのが目に見えているのでまず管理職になりません。頭が良くても忖度ペコペコができないと見なされると落ちます。いかにも昭和から続いてきたぐずぐずシステム。

こんな調子なので、管理職試験の受験者が年々減っているそうです。いや当然だろ。
そうしたら近年ついに「肩たたき昇任」制度が導入されました。管理職側からこれぞと思った人に「管理職になれ」という制度です。普通に考えて、バカな管理職が「これぞ」と思う人なわけだから、ロクなもんじゃない人が集結していくわけでしょう。いやあ、なんかそれ時代と逆光してない?
しかも恐ろしいのは、基本断れないこと。召集令状か!
この召集令状システムが始まったときに、頭が良くて外面もいい超有能な先輩が「転職しよう」と言っていました。完全に逆効果……。

国家公務員と異なり、学歴がなくても幹部を目指せるのはフェアないいシステムだと心から思います。
ただ、現状は「学歴などのコンプレックスから幹部になった人は必ず部下を見下してマウンティングする」こととセットになっているので、いやもうほんとにほっといてくれよってかんじ。高校・大学・一社目と、マウンティングとは無縁の世界で生きてきたのに、マウンティングの連鎖の中に巻き込まないでほしい……ただそれだけなの……。

コンプレックスの功罪……65にもなって転職になんのストックフレーズもないなんて

かぐや姫課長はもちろん、2番目のコンプレックスパターンです。
近畿にある偏差値40台くらいの私立大学を出て、関西で一社働いて、こちらに移ってきたらしいです。
わたしも転職組なので、休職前にかぐや姫とともに行った出張の行き帰りの暇つぶしに、かぐやが前職はなんの仕事していたか聞いてみたのですが、頑なに答えてくれませんでした。

こういうおじさんおばさん弊社によくいるけど、なんでなの?
「前職何してたか」と「なんで辞めたか」なんて、転職面接で絶対聞かれる質問だから表向きのストックフレーズが一通り用意されているはずじゃないですか!そのストックフレーズが出せないくらい生傷の状態で片が付いてない中高年なんて、絶対ろくなもんじゃない。
こいつらに「キャリア教育」とか言われてもね……。キャリアというのは行く道ではなくて来た道、まずお前のキャリアを整理しろよ。
で、くらたが巡り合ってきたこういうおじさんおばさんは、たいてい、現職でもロクな働きをしていません。「前の会社との約束で言えないんです」とか抜かすおばさんいたけど、そんなことある??「博〇堂」出身だとほかの人から聞いたんですけど、「〇報堂」にそんな規定あるの?

言うて、会社内の人間関係、それも上司と部下なんて、演技です。職場という舞台で、勤務時間の間だけ、上司というロール、部下というロールを演じているだけ。
ここで必要とされているのはむき身・生身の「〇〇(苗字)〇〇(名前)」という人間の返事ではなく、かぐや姫課長としての、キャリアに関する表層的な返事でいいわけです。それが答えられないなんて、そんな生々しい回答をされて、むしろくらたはどぎまぎしちゃったぞ。

中途採用でカウンターパートとして信頼できる人たちは、サラっと屈託なく「〇クルート」とか「〇〇〇〇ハウス」とか名乗るし、どんな仕事でどんなことを学んだかも、障りのない範囲で上手に教えてくれます。

コンプレックスって隠せば隠すほど看破されちゃうものですね。適当なストックフレーズを用意しておいた方がいい。
それとも何か、法に触れることでもやらかしたんでしょうか。それは確かに軽々には言えないけどそれを整理していない人間を幹部にして大丈夫なんでしょうか。

「コンプレックス克服」は最も恥ずかしい形で看破される

ともあれ、そういうコンプレックス由来だから肩書が唯一の根拠だし、権力をかさに着たがる。中身がない。中身がないから、「課長研修」とか言って権力をかさに着て自分の土俵に持ってこないと安心できない。そういうフレームでしか物事を理解できない、世界と接することができないのですね。

くらたみたいに「職層なんて役割分担でしかない。社交辞令以上の敬意を持たれたかったら仕事で示せ」と思っている部下はそりゃ気に入らないでしょう。でも、トヨタイムズのCMで豊田章男会長も言ってるじゃん、「肩書ではなく役割で仕事をしろ」「現場や商品を主役に戻そう」って

でもそういうのって、絶対に自分より年長者や頭のいい人に看破されちゃうじゃないですか。
くらたも、見栄やらマウンティングやら自意識やら乙女心やら、学生時代だけでなく社会人になってからもいっぱい先輩やメンターに看破されてきた。
周囲に看破する人がいなくても、早稲田メンタルクリニックの益田院長が言ってました。「僕らの悩みはだいたい教科書レベルに載っている」
↓ 
下記動画の7:40以降 ↓

くらたもこの間ずっと、くらたが個別事例だと思って思い悩んできたことは、人類にとっては既知の事例、まさに「教科書レベル」だったことを思い知らされてきた。

結局誰かには一番恥ずかしいところを看破されてめちゃくちゃ恥ずかしい思いをするのだから、コンプレックスバネ背伸び&マウンティングはやめたほうがいいとくらたは思う。まあ、当のご本人と取り巻きたちは、そういう自分の状態に気づいてもいないんでしょうけど。

今までくらたの周囲には指摘してくれる人が多くてありがたかった、ということかもしれません。

「収奪された」と思うことの意味

コンプレックスをバネに、という事柄には、そのコンプレックスに本来自分の持つべきもの(自己肯定感とか誇りとか敬意を持って遇されることとか)を収奪されたと思う部分が含まれます。
ここがまた取扱注意だと思うのです。

私が「奪還論」型の議論(「私から収奪したものを私に返せ!」)を好まないのは、「奪還したリソース」を「戦わなかった人間」に分かち与えることを奪還論は論理的に許容しないからである。(略)
「不当に収奪しているあいつら」と「不当に収奪されているわれわれ」という二項対立で社会矛盾を論じることに慣れた人々は、ひとたび「収奪する側」に回ったときに、「これまで収奪された分の奪還」(つまり個人的な損得勘定の清算)に忙しくて、社会的フェアネスの実現にはあまり配慮しないものである。

文春文庫『ひとりでは生きられないのも芸のうち』内田樹 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS (bunshun.jp)

しかし、彼らが「不当に収奪された」と思っているであろう「自己肯定感や誇りや敬意を持って遇されること」は、決して権力による「奪還」という形で手に入れることはできません。

私たちは自分が欲するものを他人にまず贈ることによってしか手に入れることができない。それが人間が人間的であるためのルールです。今に始まったことではありません。人類の黎明期に、人類の始祖が「人間性」を基礎づけたそのときに決められたルールです。親族の形成も、言語によるコミュニケーションも、経済活動も、すべてこのルールに準拠して制度化されています。

繰り返します。私たちは自分が欲するものを他人にまず贈ることによってしか手に入れることができない

祝福の言葉を得たいと望むなら、まず僕の方から「あなたにはいつまでも幸福でいてもらいたい」という言葉を贈らなければならない。まず贈与するところからすべては始まる。

自立と予祝について - 内田樹の研究室 (tatsuru.com)

まず、他者を祝福し、他者の誇りを尊重し、他者を敬意を持って遇することでしか、同じものを手に入れることはできないということを、彼らに知ってほしいものです。

長々とお目汚し失礼いたしました!
現在進行形の話になるとこれまでのかぐや姫課長シリーズとは異なり、沸き起こる感情の強さと量が大きくなってしまい、言葉が汚い上に文章が冗長になることがわかりました。
何度も書いているけれど、職場復帰できる気がしません。

お読みくださってありがとうございました!

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