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ポーランド映画「Zielona granica(英: Green Border)」を鑑賞して

先日、公開されたばかりの「Zielona granica(英: Green Border)」というポーランド映画を観に行った。イタリアの映画館では久しくポーランド映画が放映されておらず(もしかしたら字幕をつけるのが大変なのかもしれない)、公開されると間違いなく心に響く内容の映画なので(ハズレたためしがない)、公開前から期待値が高かった。


※Agnieszka Holland監督について

この映画はAgnieszka Holland監督ポーランドとベラルーシの国境に集まる難民と国境警察、人権アクティビストの活動を扱った全編モノクロの作品である。
監督の父親がユダヤ系ポーランド人で、ワルシャワのゲットーで亡くなったことや、母親には、第二次世界大戦中にナチス・ドイツに対するポーランド国民抵抗組織の"Polskie Państwo Podziemne(ポーランド地下国家)"に属し1944年のワルシャワ蜂起で最前線で戦った背景があり、本人は宗教教育は受けていないそうだが、やはり血は争えないものだ。1970年代後半に映画監督デビューをした後、ポーランド映画界を席巻した「道徳的不安の映画」運動の新進若手監督として活躍し、現在もなお、世界情勢と政治の狭間のグレーゾーンに焦点を当てた作品を数多く手掛けられている。

※あらすじ

あらすじ
"緑の国境 "と呼ばれるベラルーシとポーランドの間の危険な湿地帯の森では、EUを目指す中東やアフリカからの難民が、ベラルーシの独裁者Alexander Lukashenkoが引き起こした地政学的危機に巻き込まれている。ヨーロッパを挑発しようと、難民たちはEUへの容易な通過を約束するプロパガンダによって国境に誘い込まれる。この隠された戦争の駒として、快適な生活を捨てたばかりの活動家Julia、若い国境警備隊員Jan、そしてシリア難民の家族の人生が交錯する。

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ポスター: Zielona granica


※私が難民や戦争に興味を持った理由

日本に住んでいた10数年前まで、正直、難民や戦争についてあまり興味を抱くことはなかった。それは年齢のせいもあったかもしれないし、自分の人生について悩んでいてそれどころではなかったのかもしれないし、そもそも日本という島国には、難民が船で渡ってくる、何か月にもわたって大陸を横断して不法入国・滞在をする、という問題がないから気づきもしなかったのかもしれない。
ただイタリアに独りで移住し、色々あった後、30代半ばで友達を変え、政治や人権や環境問題に興味のある人々と主に週末に会うようになり(そのあと友達の枠を広げたので、今は美容オタクの友達もいる、ただ深い友達にはなれないが…苦笑)、最初は「えっ、女性への暴力反対のデモに参加するの?」とか、「ボランティアで施設の壁塗りに行くの?」とか不思議なことだらけだったが、長年の付き合いの間で自分も年を取り、変化をし、そういうことに少しずつ興味を抱くようになった。

※映画について

さて、本題に移ろう。
本作は次の5部に分けてストーリー展開されている。

①家族(シリアやアフガニスタンからEUに逃げようと国境に渡ってくる家族)
②国境警備隊員
③人権アクティビスト
④Julia(夫をコロナで亡くした後、この国境付近に引っ越してきた心理カウンセラーで後に人権アクティビストにもなる
⑤ウクライナでの戦争勃発時の国境

場所は、国境であること、またポーランド側に川が流れた湿地帯の森であること以外には明確にはされていないが、⑤から考えると、最初はWłodawaというブーク川沿いの町の"Poland - Belarus - Ukraine Border Tripoint"とある3国の国境が交わる地点かな、と思った。しかしどうやら、ウクライナからの難民の通路は別にあるそうなので、もしかしたらこの町に2か所のボーダーがあるのかもしれないし、でなければこのGreen Borderはそれよりも北側のブーク川沿いにあるのだろうと思う。

①家族
映画は、上空の機内の様子から始まる。シリア人の6人家族(祖父・父・母・10歳には満たない少年・幼稚園くらいの年齢の少女・乳幼児)と少年の席の横に座ったアフガニスタンの女性のやり取りがある。アフガニスタンの女性はミンスク空港に降りてからEUに入るすべを持たないため、空港を出てからシリア人家族のスウェーデンのMarmöに住む親戚が手配した大型車で国境地点まで便乗する。

余談だが、数年前にMarmöを訪れた際、アラブ系住民が非常に多い印象を受けた。Stockholmとは大きな違いを感じたが、もしかしたらうまくEUに逃げ込め、スウェーデンに渡った人々の多くは、この町に根付いているのかもしれない。機会があれば調べてみたいと思う。

さて国境では、ベラルーシ側の警備隊員にお金を渡し、針金がぐるぐる巻かれた高い柵、つまりGreen Borderと呼ばれる国境線、の下を通ってポーランド側に逃げる。何日も森の中を彷徨い、水を求めて農地に侵入した際、農夫に通報されて警備隊員に捕まり、ベラルーシ側に送られる羽目になる。

②国境警備隊員
大きく分けると、ポーランド側とベラルーシ側の隊員、さらに分けると、ポーランド側の若い隊員のJanek(Jan)の視線と、その他の隊員というくくりで話は展開されていく。おそらく、Janekは国境付近に住み、周囲の環境からこの仕事に就いたものと思うが、彼自身は暴力を好まず、他の隊員たちが難民に振るう暴力や国境に転がる死体等を見て爆発しそうになる自分を抑えている。また、彼の妻が妊娠中のため、難民の両親に連れまわされる小さい子供を見るのが耐えられないようだ。

ベラルーシは、ご存知の通りロシアと仲がよい。つまり隊員もかなり卑劣な設定になっている(ドキュメンタリーに近いかたちで描かれているので、本当にそうなのだろうと思う)。
一方のポーランドは、いわばEUの壁として難民の侵入を防ごうと必死のため、こちらも隊員はかなりワルな設定となっている。
(個人的にはポーランドではよい思いばかりをし、これからも何度も訪れたいと思っている国なので、ひいき目で見ている部分もあるかもしれないが、ベラルーシよりは人情があるように見えた)

両国は難民という砲弾を国境付近で投げ合い、砲弾と化した難民たちはそれにより摩耗し、あるものは怪我をしたり死んでいく。

③人権アクティビスト
ポーランド側に住む医師を含む団体で、国境付近の、隊員しか侵入が許されていない領域の手前までの間で、逃げてくる難民に衣服や食料、携帯のバッテリーを渡したり、怪我の手当てをしている。彼らは警察に目を付けられているので、禁止地区には絶対に足を踏み入れない等の決まりを幾つか設けて活動をしているようだ。この医師で済む治療ならよいが、病院での手術が必要な場合、救急隊員の搬送を断られたり、不本意にも国境警察がやってきて難民がベラルーシに送り返されたりしているシーンがある。

救済活動に強い関心を抱き、国や政治(家)と戦う強い意志がある人ではないと、なかなかできない活動だと思う。

④Julia
彼女の役を演じた女優Maja Ostaszewska自身、実際に人権アクティビストとして活動しているようだが、話は、彼女がこの土地に引っ越してき、ベラルーシ語で書かれた新聞を車に置いていたために罰金を取られるところから始まる。ちなみにこの新聞は②に出てくるJanekの妻と会話するスーパーのシーンで購入したものだろう。

その夜、森の方から「助けて」という声を聞き、ヘッドライトを付け、一人森へと向かうJulia。湿地に足を取られ沈みそうになりながらも必死で救急車を呼ぶが、助けを求めていたアフガン女性とシリア人の家族の息子のうち、息子は沼の中で窒息死し、Juliaとアフガン女性のみが病院へ運ばれる。Juliaは軽傷で家に帰るが、その前にアフガン女性がシリア人の家族に向けて撮ったビデオ(あなたたちの息子を死なせて、私だけが生き残ってごめんなさい、許してはもらえないだろうけれど、ごめんなさい、という内容)を見、病院で出会った③で活動する女性に、自分も加わる、と断言し、活動家となる。

活動家をしながら、警察につかまったり、心無い隊員により車を破壊されたりもするが、釈放時に世話になった弁護士の知人の車の修理屋の手助けがあり、3人の黒人の少年たちを裕福なポーランド人家庭に匿うことに成功する。この家庭には大学生くらいの兄妹がおり、フランス語を流暢に話すため、難民の子たちとの会話にも全く問題がない。また、兄と黒人のラップシーンが見事で、そこで流れるYoussouphaの"Mourir Mille Fois"という曲もこのストーリーにインパクトを与えているので、紹介しておこう。

また、最後の方で、Janekが残されたシリア人家族(祖父は国境で死んでしまったので、残された4人)が載せられた車を検問し、父親と目があったのに見逃すシーンも非常に印象的だった。②で葛藤した後、密かに守る側に心を寄せたJanek、より強い人間へと成長したようだ。

⑤ウクライナでの戦争勃発時の国境
今もなお続く出来事ゆえに語るべきことはあまりなく、実際に映画の中でもこのシーンは最も短く作られている。
ただ、妻の出産が終わった後のJanekと③の女性が同じバスへとウクライナ人たちを誘導しているシーンがあり、警察と活動家の間でも少しは歩み寄りがあったのかな、と思わされた。

※監督がこの作品を作ったきっかけ

友人たちが国境付近で低体温症で死亡した人の死体を発見したという出来事をきっかけに、最も得意とするフィクション映画の形式を通してこのテーマに取り組み、それを語ることが今必要だと考えたそうだ。75歳になった監督には失うものが少なくなってきており、国境沿いで起きていることを報道し、プロパガンダ的な立場から物語を剥ぎ取り、シーンの端っこにそれらを残しておくことが、より活動主義の道具になり得ると悟った。
そのため、Juliaの役には実生活でも活動家の女優Maja Ostaszewskaを登用して自身の立場をある程度反映させつつ、事件の描写をよりニュアンスのあるものにし、男性的なものにしないために、上からの命令と選択の違いについて再考を余儀なくされるJanのキャラクターを登場させ、彼女自身と私たち鑑賞者に、私たちが人間であることを思い出し、思い起こさせてくれる構成にしたそうだ。

監督の主な関心事の一つは、移民たちが受けた無償の暴力と、絶滅収容所の犠牲者に対するナチス政権の暴力との類似性を提起することにあるそうだ。

実際、シリア人難民を演じている俳優たちの何人かはもともと難民だったそうだから、演技にもかなり感情移入されているだろうし、モノクロ、それも黒の濃淡の強いモノクロ映画にすることで、私もAuschwitzを訪れた日のことを思い出せられた。

監督の目論見は大成功だといえるだろう。


注)
この、きっかけ部分以降から監督の関心事(太字)までは、cineforumという、映画の評論をしているイタリアの映画連盟のサイトから抜粋・意訳したものになる。他にも女性誌の記事等も見たが、あまりしっくりくる内容ではなく、こちらのサイトでは監督にインタビューをした内容を載せていると思われるので、一部を参照させていただいた。


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