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忘れない人たちがさけぶ。

ディズニーランドの「ホーンテッドマンション」で、最初に集められた部屋の、あの不気味な肖像画を思わせるくらい、10人はいるだろうかという歴代の校長先生の写真が、上から客人である私を見下ろしている。

「私はね、こうして担当者にお会いして、この人なら、という会社を生徒に紹介しとるんですよ」

正直なところ、私は戸惑っていた。電話では、とてものんびりとした口調で、引退が近い好々爺のような方だと思っていたが、会ってみると背筋がピンと伸びて、高校生の人生を背負って立つというような気概がみえる、本当に立派な教育者という感じだった。

「この高校は110年続いていますけどね。実は初めてのことなんですよ。就職者と進学者が逆転するというのは。今年はもう100人が進学。60人が就職ですよ」

この日は、朝10時から高校の先生とアポイントがあったので、7時半には会社を出発して、高速道路を使用しないで2時間かけて高校に向かうことにした。ラジオでは今年最大級の寒波といっているが、ランドセルを背負った登校途中の小学生の中には、肌がみえるズボンをはいた子供もいて、見ているこっちも元気がでる。朝日をまぶしそうに見上げているが、その顔には悲壮感はない。この子たちは、今を生きている。時代の境目なんて関係ないのだ。

2024年というのは、後に何か記録に残る年なのかもしれない。正月早々から、どうにも重いニュースが続いているように思う。時代の境目と、コメンテーターが言っている。ジャニーズ、日大アメフト、ビックモーター、宝塚、そして松本人志。どれもこれも、政治以外の場所で起きた、小さくて大きな革命の話だ。

子供からうつった胃腸炎のせいで、どうにも朝から調子がよくなかったのだが、8時半頃になると、ちゃんとお腹がすいてきた。しょっぱいものが食いたいと思っていたころに、オレンジ色の牛丼屋チェーンの看板が見えてくる。すばらしいタイミングである。朝ごはんというものは、日常生活では慌ただしくて便宜的に食べてしまうものだが、本当は、寝て起きたばかりのまっさらな感覚の中で、5感をフルに活用して食べられる、すばらしい食事の時間なのだ。ありがたい。もしかしたら、人生の朝食ランキングの中でベスト10に入るかもしれない、胃腸炎明けの朝定食を、ゆっくりと食す。しょっぱさが、沁みる。アメリカの朝ごはんは、ジャムや甘いものもあるけど、日本の朝ごはんは、やっぱりしょっぱさだ。ああ、沁みる。


そうして、今日は人事部の部長として、高校に御礼の挨拶にうかがったわけだ。先生がZ世代と呼ばれる今の高校生を解説してくれた。今の高校生は、卒業しても親元を離れないということだ。そして、自分の家からできるだけ近い就職先、進学先を選ぶ傾向にあるという。「親がウザい」という感覚や、「都会で一旗あげてやろう」という感覚よりも、「家が最高」が勝るというわけだ。そして一人暮らしをすることで余計な時間やお金がかかるぐらいなら、家で過ごして、その分をスマホ時間に使いたいという。この傾向は、日本全国の田舎と呼ばれるところで起きているという。

たしかに。昔は家にいても暇だったし、自分の地元には何もないから都会に出たかったけど。今はスマホの世界に、彼らが欲しいものは大抵あるし、買い者だって、コンサートだって、疑似恋愛だって、なんでもスマホでできるのだから。わざわざ都会にいって、無駄な緊張を強いられたりしないのか。実に理にかなった説明だ。

先生は、とても達者な口調で、現代の高校生を解説してくれるが、どうにも校長先生たちの目線が気になって集中ができない。この校長先生たちも、ここに飾られることがひとつの権威の象徴なのだろうか。あるいはこれはただの「慣習」というやつで、何も考えないでただ並べているだけなのか。


ふいにこんなことを思う。
我々は、今を生きているのだと。この世界のどこにも過去は存在しない。どこまでいっても、この世界にあるのは今だけだ。今、今、今、今が続いている。遠い宇宙の果てに、過去の地球があるわけでもない。過去は、あるようで、ない。

時間とは、壮大なコマ送りである。今という静止画がつながって、我々は時間が動いているように感じているだけだ。ビニール袋が飛ばされている今の静止画がつながって、我々はその連続性をみて、「風」という存在を認識しているが、実際は、時間なんてものはあってないようなものなのだ。

過去というものは、ニンゲンの巨大化した脳の中にしかないのだとしたら、この世に生きる植物や、昆虫といった生き物は、もしかしたら「今」しか生きていないのかもしれない。7日間しか地上で生きられないと思っているセミだって、目の前の今しか生きていないのだとしたら、ニンゲンよりも濃ゆい「人生」かもしれない。

そうすると、我々は、如何に過去に縛られ、過去の中に生きているのかということになる。大脳辺縁系の進化のおかげで、たくさんの過去を脳の中にため込むことができたわけだが。誰かに言われた、たった一言によって傷つけられた自尊心というものは、一生消えることはない。眼球は、今を捉えていても、脳の中で再現される映像は、過去のフィルターがかかったままなのだ。これが人間の業というものだ。文明と引き換えに得た、過去に囚われる苦しさを得てしまった。


先生に御礼をいって、来場者のバッジを返却し、高校を後にする。すれ違う高校生は、みんな雰囲気があたたかい。まだ、過去に囚われていないのだろう。今の景色をちゃんと深呼吸して吸い込んでいけるのだろう。そして、未来に気持ちが向いているのだろう。

時代の境目。「もう忘れてしまった人」と、「二度と忘れない人」が、違う価値観で戦争をしている。武力やメディアを使って、自分の過去の認識を使って、違う価値観へ戦争を挑んでいる。ひとつだけいえるのは、過去は清算できない。残念なことに、我々の大脳辺縁系はとても優秀であって、その過去を変質させたり、曲げたりはできない。気のすむまで相手を傷つけ、もうどうしようもなくなるまで、自分を傷つけ、ボロボロになった先にしか、答えが無い。

それをただ、聞いていることしかできない。過去の声を。過去の叫びを。辛い気持ちになる。ニュースでは、アメリカでトランプ大統領候補の圧勝が伝えられている。まだあと4年以上も、この世界は、過去の声を聴かなくてはいけないのだろうか。今年の夏は、蝉の声が、違った響きで聞こえてきそうだ。

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