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〇日本から平和をつくり出せるか?

世界は宗教をもつ国であふれている。

日本だけ「無宗教です」といえる人たちであふれている。

他の国は宗教を持っているということが長く生活の基盤になっている。
文化や生活様式、考え方、対人関係の対応の仕方もそこから生まれる。
なかでは、政治や法律もそこを基盤として生まれる場合も多々ある。
警察官や政治家の国民への対応の仕方まで変わってくるかもしれない。

日本は、ゼロなのだろうか?
日本で無宗教ですと言える人たちは多い。
無宗教ですと言えるがゆえに不便なこともあるだろうし、社会的にも個人的にも都合の悪いことも生まれてくるだろう。
しかし、自分自身で無宗教ですと言える私たち日本人は、多くのことをそのゼロ地点から見ることができるのではないだろうか?
他の国の人たちよりもニュートラルで自由な視点から物を見ることができるのではないだろうか?

世界はそれらの理念でがんじがらめになって、その理念どうしがお互いに絡まり合い、収拾がつかなくなってしまっている。
理念や考え方、ものの見方の糸がほどけないで絡みつき、身動き取れなくなっているのだ。
自由な発想からそれをほどいていかなければならない。
ほどかなければ世界に平和がやって来ることは望めないだろう。

今の日本人にその糸がほどけるだろうか?
日本人にその新しい考え方を世界にもたらして平和を実現するようなことができるだろうか?
そう考えるにはあまりにも頼りない状態だ。
なぜそうなのかというと、宗教がないと言える代わりに信じるものがないからだ。
信念を失ってキリストの言う「迷える仔羊」となっている。

ではどうすれば、世界は平和になるのだろうか?
そこに新しいまた別の宗教を持ってくることではない。
そうすればまた新たな混乱を生むだけだろう。
他を凌駕するような新たな宗教ならいいだろうと思うだろうか?
そうするには他を超越しなければならない。ということはそこに「私が一番だ」「他のものは間違っている」とぶつかり合い、また新たな争いの種が生まれる。
たとえそれがただの思考の中の葛藤だとしても、かりにそれが平和的解決に見えたとしても、その葛藤をつくり出すこと自体が優位に立とうとする争いとなる。

私たちが望んでいるのは、あくまで平和だ。
平和自身も、平和しか望んでいない。
その平和に至る手段も、平和であるべきだ。
平和とはあらゆる意味の愛であり、争いは平和に対抗するものでしかない。

私たち「無宗教です」といえる日本人が与えるべき智恵は、その平和そのものであるべきなのではないだろうか?
人類の平和そのものであって、すべてを平和に包み込む考え方。
それはどこから来るか。
人類はなにを指針とすればいいのか。
それは自然しかない。
私たちはみな人間であって、その人間はこの地球に生まれ、自然を母として、食事も自然からとり、生活のためのエネルギーも自然から得ている。
本来、各国の宗教感から生活の種は生まれているのではなく、この自然からすべてやって来ているのだ。

自然を失えば私たち人間は生きていけない。
あたり前のことだが、このあたり前にいま立ち返らなければならない。
他に究極、これを失ったら私たち人間は生きていけないというものがあるのだろうか?
すべての信念や文化、各国の法律を凌駕するものとはこの自然なのではないだろうか?
その自然の中に私たちの生きる術のすべての種が宿っている。
私たちの平和の種はそこにある。
自然とはこの地球であり、またそれをつくり出した宇宙である。
私たち人間は当然のことながら宇宙がなければ生まれることはできなかった。
この世に生を受けることもできないし、生きていくこともできない。
すべての起源は宇宙にある。
その大いなる宇宙の生命の原理に従って生きることが基本的な人間の生きる指針なのではないだろうか?
大いなるものは大きな心で受け止めてくれるはず。
今の私たちの真の姿を捨てる必要は無いし、変える必要もない。
それぞれはそれぞれでいいし、思うまま生きていていい。
それが宇宙にとって、つまり同時に私たち人間にとってマイナスのものでなければ。

しかし私たち日本人はその宇宙に詳しいだろうか?
日本に八百万(ヤオロズ)の神がいた時代には、日本人のイマジネーションの中で宇宙とつながっていたかもしれない。
しかし、それも失われ過去のことになりつつある。
科学的な宇宙に詳しいのは外国の方かもしれない。
その日本と外国が協力して、新しい宇宙への概念をつくり出し、つねに宇宙を感じ、つねに感謝し、つねに心の中にある平和への指針とすれば、世界の平和は実現できそうではないだろうか?

世界は、人がそれぞれそのままでいいように、その人の本来の姿としてそのままで存在していいように、世界も本来の姿そのままで存在していいはず。
ただ『視点を変える』だけ。
これからの人間は大きな視点でものを見れるようにすることが大切なのではないだろうか?
人間はその加護のもとに、それぞれ個性や特性をそのまま発揮すればいいだけ。
そして世界も、世界の国々もそれぞれの個性や特性を発揮すればいいだけ。
どんなコミュニティも、どんな集団も、どんな民族も、どんな人も。現在の国家も、宗教も、文化も、友情も。
そうやってぶつからずにお互いの個性や特性でお互いをたすけ合えるはず。
それは今風のことばで言えば、ビジネス用語で言う「レッドオーシャン」ではなく「ブルーオーシャン」(皆がそれぞれに利益を得られること)。それぞれがそれぞれに違った個性を発揮するのだから利害がぶつからないはずなのだ。

日本では「親しき中にも礼儀あり」という。西洋には「ダンスを踊るように人とつき合う」という言葉がある。
つかず離れずでいい。礼儀正しく。思いやりがあれば世の中はうまく回る。
地球も回る。


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