見出し画像

【毒親】毒親とADHDは連鎖する

こんにちはの方もこんばんはの方も。
読んでくださってありがとうございます。

さて、わたしは高校時代にADHDとの診断を受けています。そのことに関する文章を書き進めるうちに、親との関係も影響しているなと感じる場面が多々出てきました。

と言うわけで今回は毒親、わたしの母に関して掘り下げていきます。

母の性格は

・あらゆる欲に弱い
特に甘いもの依存、のちに糖尿病になるも被害者ヅラしてかわいそうな自分アピール。コンビニで買ったものをそのまま道端で食べ始め「いまあの人に笑われた!ひどい!」と怒り始める始末。

・被害者意識がとても強い
人に期待しまくる、理想を押し付けて勝手に失望する、自分の非を認めない、反省できない

・自分の言動を10分後には忘れている
なんならさっき言ったことと真逆のことを数分後に言っている。わたしがなにか言うと、そのときは否定していても後々その通りにして、お母さん○○してるの!とあたかも自分が気付いたことのように話す。病気としか思えない。

・人から聞いたことを誤解して覚えている
もしくは忘れている、あるいは曲解して思い込んでいる。一度思い込むとテコでも動かない。自分の非を認めない。

・片付けられない&物が捨てられない
実家が汚部屋すぎてリビングに友達を呼べたことがない。お泊まり会をしたいと言ったらものすごい剣幕で怒鳴りちらす。家に招けないからわたしが他の家にお泊まりするのも許さない

・余裕がない
常に他人にイライラしている、怒りっぽい
自分のせいで起きたトラブルも周りのせいにして当たり散らす。外ヅラモード以外で笑顔でいるところを見たことがない。

・周りの目をとても気にする
外面だけはいいため、ご近所の目を気にしすぎる。自分の評価を下げないために意地でもうわべだけのいい人を演じる。家の中ではその人らの愚痴を子供にきかせる。

・自分に甘く他人には批判的
自身が太っていることを棚に上げて、子供や夫の体型に口を出す。服装に対しては100%批判する。(派手すぎる、似合っていない、変な組み合わせ、よくそんなもの買えるお金があるわねetc)

・主導権を他人に握られることを嫌う
自分のやり方でやらねば気がすまない。何かいつもと違う設定になっていると怒り出す。

・専業主婦だがあらゆることにズボラ
トイレに黒いリングが付いていないところを見たことがない。流しの汚れ浮かしのために水を溜めている所に常に洗い物用スポンジが落ちていて汚すぎる。風呂場の椅子はカビで真っ黒。

このような人物像からは我儘なダメ人間が想像できるかと思います。
わたしが想像するに、わたしの母も不注意優勢のADDだと思っています。当時の母は仕事をせず専業主婦をやれているおかげで問題が表面化していないだけだったのでしょう。
ちなみに母も高校時代までは成績が良かったそうですが、そこからはてんで駄目だったそう。ADHDの特性のせいで勉強はできるけれど社会では上手くやれない典型例だと思います。

ただ、外面だけは本当にいいので学校の先生やわたしの友人、ママ友などには受けがよいのです。優しいお母さんでいいね〜と言われてばかりいましたが、家に帰れば愚痴の捌け口として使われ、さんざん意地悪を言われ、怒鳴られ…
母はイライラが最高潮になると車で1人でよくドライブ家出をしていました。わたしが周りの人に母がひどい、無視されたり暴言ばかり吐かれていると言っても取り合ってもらえず。
いつも悪いのは私だと思わされてきました。

1番キツかったのは、わたしのADHDの診断をもらいに精神科に行ったとき。
主治医の先生に
こんなに理解のあるいいお母さんでよかったね。あの子のためなら頑張って支えますって言われたよ。相当心配されてるんだね。」
と言われました。

同じ日に同じ口で、母はわたしに向かって「ADHDってことは祖母には絶対言うな。
あの人は小さい頃お前をみて目の焦点が合わない。病気じゃないか、と疑っていたから何を言われるかわからない。」
と言ったのです。

あの時医者に連れて行かなかったことを咎められたくないから。祖母が正しかったと言われたくないからなのでしょう。
ここまできてわたしの心配ではなく自己保身しか考えていないことに呆れました。

何より、そのときに医者に連れて行ってくれていれば17年間も自分のできなさに悩み絶望して死にたい気持ちと格闘しながら生きる必要なかったのに。悔しいやら呆れるやらで絶望しました。
わたしが通うクリニックは車で1時間。当時免許を持っていないわたしには母の運転で来るしか選択肢はなかったのです。それはつまり、母の機嫌を損ねれば診察してもらえないし必要な薬さえもらえないということです。しかも、嘘つきの母を主治医は信頼している。なんという地獄でしょうか。
代わりに父が来てくれたことも一度だけありましたが、仕事が忙しく毎回頼める訳がありませんでした。1番身近な母という人間を信じられないのです。他の人を信じられる訳ありません。
振り返ってみると、わたしの診察を通して母も自分のできないこと・苦手なことを指摘されているようで不快だったのかもしれませんね。

進学と同時に親と離れて1人暮らしをしてから、毎日あった頭痛がみるみる落ち着いていきました。わたしにとって大きなストレス源だったのが母なのだと今ならわかります。

主治医に本当のことをそのまま言えるようになった、という点ではいま、大人になってよかったです。母に勝手なことを言われコントロールされる心配もありません。
わたしはあんな親にはなるまい、と固く決めています。反面教師として勉強させてもらったと思うようにしています。
もし1人暮らしができるのであれば、精神衛生上親と離れたほうがいいケースも沢山あると思います。わたしは無理をしてでも18で離れられてラッキーでした。資金集めには苦労していますが、気持ちはとても安定しています。

遺伝も関係していると言われる発達障害。わたしはこの先子供を産む気は全くありません。少しでも特性が遺伝してしまったら罪悪感で自分が耐えきれなくなるからです。
正直、母に対してなんでわたしを産んだんやと思っています。母も元々は子を持つ気はなかった人間なので。更なる連鎖を産まないようにわたしの遺伝子はここで滅びればいい。
子供は諦めてくれわたしは産まないから。と言い続けてきたのでもう母に聞かれることもないでしょう。

わたしの夢は、いつか戸籍を母と分けて追跡できないようにすることです。他の家族とは連絡を取りたいですが、母とは縁を切りたいからです。なんだか気持ちがざわついてうまくまとめられなかったので近い内容の記事を書き直すかもしれません。

乱文にお付き合いいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?