いやいや行ってたよね


私は記憶力がよくない。
夫といると、しょっちゅう過去に話した事を覚えていないと呆れられる。
そう言われて自覚してみたら、確かに記憶は断片的な映像や誰かの言葉の切れはしをまだらに反芻はんすうできるくらいだ。しかもそのレパートリーが少ない。強く印象に残った体験は思い出せるものの、時系列で整理できるようなものではなくて、頭の中に無秩序にゴロゴロ転がっているようなかんじだ。


そんな自分が過去について書こうとすると、すごく情報量の少ない言い訳だらけの文章になる。
書いてるうちにもどかしくなってきて、誰に出すねんこの手紙、と情けなくなって続かないことがほとんどだ。
今日は記事にしようと勇んで文字を打っている。
よければ自分語りにお付き合い頂き、皆さんそれぞれの記憶と重ねてみてください…。


自分は小さい頃から、人前で何かをするのが苦手な子どもだった。幼稚園、小学校、中学校と日直が大嫌いだった。日直の仕事、授業の始まりと終わりに「起立、礼、着席」と号令をかけたり、朝の会で前に出て話すことがいやだったのだ。


その理由は恥ずかしい、というのが一番だけど、その場に合った適切な方法が分からない、という戸惑いも大きかった。
どうやって話したらいいのか?朝の歌で流すラジカセは、どう操作したらいいのか?教室の鍵は、どうやって閉めたらいいのか?などと細かい事をくよくよ悩んでいた気がする。自分が難しい、できないと感じたら、押し黙りテンパってしまうタイプの子どもだった。


小、中学校の勉強の成績はよかった。
ただ、当時の私は成績がよい・大人しい=真面目=面白くない、暗いと評価されているようでオドオドしていた。
それにはちょっと苦い記憶も関係している気がする。


小学校高学年のある日、苦手な女子と同じ班になり、一緒に掃除をすることになった。
その子は学年でも珍しい金髪で、だいたい髪の生えぎわが黒くなっており、無造作にその一部をちょんまげみたいに高く結ったりしているのが、尚更ヤンキー感を出していて恐かった。


彼女とどう話せばいいのか全く見当がつかない。
悩んだ挙げ句、掃除の時間その子に話しかけられた私は、
「◯◯さんは廊下、◯◯さんはトイレを掃除してくれる?」となぜか自分で勝手に考えた役割分担をスラスラと発表してしまった。距離感が分からなすぎて、よく分からない上から目線の発言をかましてしまったのだ。



その子は「勝手に指図してんなよ!」と怒り、その日から私を『優等生』というありがたくないアダ名で呼び始めた。
クラス内の不穏なギャルグループ?で時たまイジりの標的にされ、祭り上げられるのは結構辛かった。
ある女子に目の前で『クラスの中の嫌いな人認定』されたこともある。
その子は他の子に耳打ちで告げたのだが、こちらを見ながら&声が丸聞こえだったったのでなかなか衝撃的な体験として心に残っている。


今振り返ると自分の住んでいた地区は、やんちゃな子どもの多い校区だったようで、母校(中学校)の話をすると「そこはガラ悪いよね」などと言われる事もある。
クラスメイトは活発で、口の立つ子が多かった。内向的かつ行動も遅く、言い返せない自分は格好の標的だったのかもしれない。


女子だけでなく男子にもからかわれる事があり、いじめというほどではないが、たまに見た目や行動をイジられた、という負の記憶が残っている。
男性の多い職場で萎縮したり、必要以上に卑屈な態度を取ってしまうことがあるのは、こうした体験によるのかもしれない。


学校は自分にとって、
「何とか頑張って行く所」だった。
体育にしろ図工・美術にしろ、自分の不器用さを見せつけられるようで、毎回やってくる授業に恐怖を感じることもあった。
こうやって書くと、何て悲しい小・中学校生活なんだ…!と同情されるかもしれないが、友達は居たし、その人たちと今でも交流しているので寂しくはない。
ただ、学校行くのめっちゃ楽しい!みたいなメンタルではなかった。母が恐いので毎日通っていただけだ。
子ども時代の自分に心からおつかれさまと言ってあげたい。


好きな科目は音楽と国語。
打楽器やリコーダーで合奏するのはとても楽しかったし、授業中の本読みでどこまでつかえず読めるか、みたいなチャレンジをして悦に入っていた。
好きな事に関しては、人目をあまり気にせず打ち込めたらしい。 


大人になった今でも、夕食後の皿洗いの時には必ず音楽を聴いているし、読書が好きでいつも何かしら本を読んでいる。
こうやってnoteで文章を書いたり、皆さんの記事を読ませてもらっている。
小さい頃の自分は今の自分と地続きで、変わった部分はあるが基本的には同じ人間なんだなと実感する。


小・中学校の何ともいえないイジられた思い出は、自分の中でたまに思い返すくらいで誰かに話す事もなかったので、こうしてnoteのネタになってよかったなと思う。

そして読み返して気付いたのだが、もしかすると当時のクラスメイト達もそれぞれ何かしらの事情があって、オラついたり誰かをイジったりしていたのかもしれない。
金髪のあの子は姓が変わったり、私をからかっていた男子は仲間内でハブられるようになってから超卑屈人間へ変貌したりと、今となっては知る由もないが、動機や理由めいた物を見つけようと思えば見つけられる。


自分にも事情があったように、周りの人にも事情があったんだ。
それを知るのは、自分を癒やす事にもつながる。他人を理解したり歩み寄ったり、思い上がった言葉でいえばゆるす為の第一歩にもなるかもしれない。

何となくの結論を絞り出したところで…
今回は終わることにします
読んでいただきありがとうございました。

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