日米ゴミ分別事情と、新しく買ったタンブラー

 ゴミを出さない生活をしたい。初めてそう思ったのは日本で一人暮らしを始めた時だった。日本ではゴミの分別がとても細かく決められていて、参ったな、やってられないや、と思ったのだった。

 アメリカでルームシェアをしていた時は——まあ州にもよるのかもしれないけれど、少なくとも2011年くらいまでのカリフォルニアとイリノイの両州においては——ゴミの分別という概念すら存在しなかった。だいたいどこの通りにもゴミのコンテナがあって、一応リサイクル用のものもあったりするけれど、基本的にはどんな種類のゴミでもまとめて捨ててしまってOKという、大らかといえば大らかな仕組みだった。ゴミの日なんていうのも存在せず、住民たちは自分のタイミングでゴミ出しをしていた。本当はそういう仕組みではなかったのかもしれないけれど、誰もそんなの気にしていなかったし、誰も何も咎められることなく、そういうふうに回っていた。
 そもそもゴミを出すこと自体、アメリカではそんなに頻繁にやる必要がなかった。ゴミ袋は自治体の指定などなく、スーパーなどで売ってるものはどれも50リットルとかの大容量だった。さらにシンクのところにスイッチかボタンがあって——家によるとは思うが、おそらくほとんどの家庭にはある——それをONにすると、排水溝に流れ込んだ生ゴミが一気に粉砕されて水とともに流れてゆく。だからゴミ袋を溜め込んでも部屋に匂いが充満するなんてことは無い。
 日本の人に「アメリカだとゴミの分別ってしないんだよね」と言うと、ペットボトルを分けないとか、プラボトルも紙のゴミも一緒とか、段ボールも出していいとか、そういうのを想像すると思う。でもアメリカの分別のしなさはそんなレベルを超えていて、例えばコンテナの上からベッドフレームが全体の3分の2以上飛び出てたりする。コンテナに入れることすらできなかったソファがそのまま横に置かれていたりもする。あまり裕福ではない友人が、ゴミのコンテナ横でデスクを見つけてそのまま持ち帰ったこともあった。要らなくなった家具などはわざとコンテナに入れずに横に置く人もいるのだ。
 わざと入れずに、と言えば、アメリカにいた頃、私はよく買った昼食を公園などで食べていた。お気に入りは、白米か炒飯かを選んで、おかずを2種類とか3種類選んで容器に入れてくれる、サブウェイのような仕組みの中華料理店だった。たいていとんでもない量の炒飯を入れてくれるので、3〜4回に1回は食べ残してしまう。そこで、食べ残しの入った容器を公園のゴミ箱に持っていくのだが、私はそれをゴミ箱には入れない。ゴミ箱の上か、すぐ横に置く。そうすれば、必要な人が手に入れることができるから。多分誰かがやっているのを見て、私もそうするようになったんだと思う。
 今振り返れば、そうやって格差がこの世に存在する前提で人々が生活しているというのは、悲しいことだ。格差があること自体、本来ならば解消されなければならないのだから。けれど、格差があることにすら目を向けずに、誰もが中流の顔をして生きなければいけない日本のような社会というのも、やはり同じくらい悲しい。

 ゴミの話をしていたんだった。
 日本で暮らし始めたら、生ごみは自分の手でゴミ袋に移さなければならないし、ペットボトルのラベルは剥がさなきゃならないし、本や雑誌や段ボールも束ねなきゃならないしで、とにかくとんでもなくめんどくさいなと思った。
 それからまたアメリカに戻ったり、日本では母の自宅に居候したりして、また日本での一人暮らしが始まった。自炊をすればパックのゴミや生ゴミが増えるし、できあいの物を買ってもパックや包装のゴミが大量に出る。飲み物もペットボトルではなく紙パックのものを選ぶようにしたが、それでもパックを潰さなきゃならない。やったことはないが、本当は紙パックも開いて洗って束ねたりするんでしょう。やってられない。
 本気でゴミを減らそうとしたら根本的に何かを変えなきゃだめだ。

 そういえば、ニュージーランドで出会った同世代の日本人男子が地元に戻って量り売りの店を始めたらしい。なるほど、そうか、量り売りか。
 さっそく、私の住む街、館林にも量り売りの店があるか調べてみた。
 ネットで検索して出てきたのは、米、玄米、ペット用の砂・石・流木……。あとは「いきなりステーキ」が紹介されていた。うーん、そうじゃねえんだよなあ。
 そもそも私は基本的に米を食べない。どちらかと言うと麺派なのだ。炊飯器も持っていない。
 アメリカにいた時にコリアンアメリカンの知り合いが開いたホームパーティー——と言うと随分洒落っ気が出てしまうが、実際は宅飲みだよね——で、たまたま話の流れで炊飯器を持ってないと話したらめちゃくちゃ驚かれた。そのうちの一人に「信じられない。アメリカで炊飯器なしにどう生きているの? 今から自宅にある使ってないのを持ってくるから、持って帰りな」と熱弁され、夜の11時過ぎに私は炊飯器片手に夜道を歩くはめになったのだった。
 すれ違った白人や黒人やラティネックスの人たちがもし「東アジアの人って、ライスクッカー持ち歩くの……?」と思っていたとしたら、まあそれはたいそう面白い勘違いなので、ちょっと笑える。でも、その炊飯器も結局数回しか使わなかった。なぜかマサチューセッツ州出身のアメリカ人ルームメイトがせっせと使っていたので、無駄にはならなかったけれど。

 パスタの量り売りの店とかないかなあ。いろんなパスタが置いてあるような。あとは、調味料の量り売り。バターとかも売って欲しい。ポップコーンもいいな。
 などと夢想するけれど、まずは自分のできるところから始めるしかないのだ。
 とりあえず飲み物を何とかしよう。私はアイスティーが好きなんだから、紅茶をティーバッグで作ってジャーに入れて冷蔵庫で冷やしておけばいいんだ。出かける時はそれをタンブラーに入れて持ち歩く。もちろんティーバッグはゴミになるし、タンブラーもプラスチックではある。でもゴミの量が圧倒的に減るし、タンブラーだって洗って何度も使う物だ。
 でもかつて使っていたタンブラーは容量が少なく、持ち歩いていても数時間で空っぽになってしまっていた。じゃあ大容量のやつを探そう。

 やばい、かわいい。特に2つめのやつのホワイトがやばい。ミルクボトルみたい。1つめの方が容量が大きくていいんだけど、よく見たらちょっと文字がね……。"I feel good today." って言われても、別に私毎日 feeling good じゃないので。
 というわけで、2つめのキャプテンスタッグというブランドのやつを買うことにしました。レビューを見てたら「これなら洗えるよ」という情報があったので、ああ、そうだよね、洗うの大変だよねと思い、こちらも購入。

 なんと明後日には近所のコンビニに到着するとのこと。うわー楽しみ。

 ゴミを出さない生活にはまだまだ程遠いけど、少しずつできることをやっていこうと思う。環境問題を考慮しての行動ではなく単に自分がめんどくさいからという理由なのでこうして書くのはちょっと恥ずかしかったのだけれど、書くことで決意が固まったので(本当に書きながら決めてポチった)、書いてよかった。
 結果的に環境に良い行動にも繋がるのだしね。

後日談(タンブラー到着日)

昨日の夜に自宅でアイスティーを作っておいて今日タンブラーがコンビニに届くのを楽しみにしてたんだけど、なんとレジでペットボトルの無糖の紅茶が2本当たるという出鼻の挫かれかた😂