見出し画像

あなたがたは見分けがつかないから

英語に "You fit the description" という表現がある。日本語にすると「あなたがそのように見えたから」。スラング等の意味を少し面白おかしく解説する投稿型辞書サイト Urban Dictionary によると、"[p]hrase that police use to justify arresting any African American in any situation" つまり「状況にかかわらずアフリカ系アメリカ人(黒人アメリカ人)を逮捕することを正当化するときに警察が使うフレーズ」である。

私はかつて在籍したシカゴ大学で、このフレーズをタイトルに冠したイベントに参加した。2011年のことだ。多文化共生や LGBTQ を扱うセンターで、そこに出入りしていた有色人種の学生が中心となって開催したイベントだった。

このイベントの Facebook ページには、過去18ヶ月のあいだに大学警察が逮捕した人数のうち50%以上が黒人あるいはラティーノ・ラティーナだったとあった。「大学全体では10.4%しかいない黒人・ラティーナ・ラティーノの学生がこれだけ高い被逮捕率になるのは変だよね?」というのが、イベントの Facebook ページにも書いてある。ページにはさらに、

 実際に Independent Review Committee という大学警察からは独立した(第三者)機関が、去年「黒人学生は本大学の大学警察によって学生証を見せろと言われることが、白人学生よりも多い」という結論を発表した。更に、大学警察についてのクレームを出す学生も黒人学生からのものが異常に多いとも発表した。
 去年は更に、学部4年生の黒人男性学生を大学警察が「不法侵入及び公務執行妨害」で逮捕し、一晩留置場に入れた。しかしこの「罪」はすぐに取り下げられた。先月には、図書館近くにいた黒人男性学生を大学警察が呼び止め、「ノートパソコンを盗んだとされている犯人の特徴と似ているから、学生証を見せなさい」と迫った。
 この学生は「大学警察による人種的偏見は、とんでもないとこまで来ている」、「白人の、アジア人の、あるいはネイティブアメリカンの学生のいったいどれだけの数が、この大学の人間だと証明するために学生証を見せろと言われているっていうんだ」と言っている。

とある。

実はこのイベントの数ヶ月前から、私はシカゴ大学の学生のセキュリティの意識に人種差別的なもの、階級差別的なものを感じていた。

シカゴ大学は、(当時)午後5時から午前3時近くまで、大学関係者(学生・職員・教員・その他)に無料でセーフライドという乗合バスのサービスを提供していた。オペレーターに電話をするか、キャンパス付近でセーフライドのバスを見つけるかすると、目的地まで無料で搬送してくれるのだ。用途が限定されていないので、私を含めほとんどの学生が遊びに行くにせよ買い物に行くにせよ授業終わりに帰宅するにせよセーフライドをよく利用していた。

そんな中、学生有志による請願書がセーフライドに対して出された。2010年11月のことだった。Facebook 上で署名を集めていたのは友人の一人だったし、すでに署名している中にも友人の名前が数名入っていた。

請願書は、セーフライドのサービス向上を求めるものだった。オペレーターに電話しても出なかった、長時間保留にされたため諦めて歩かざるを得なかった、15分で到着すると言われたのに30分以上待たされた、などの具体的な苦情もありながら、当時キャンパス内及び周辺で暴力や盗難の事件があったことで地域全体が警戒態勢に入っていたことも大きな要因であるようだった。

私も利用者の一人として、より安全で安心できるサービスは歓迎したい。けれど、いかにこの地域で学生が不安を感じているかを強調するこの請願書の文面からは、あちら側とこちら側、つまり「危険ではない」大学関係者と「危険な」地域住民という意識がひしひしと伝わってきた。

セーフライドはシカゴ大学関係者向けのサービスである。運転手はすべての利用者に学生証や職員証などの ID を提示を求めることになっている。しかし実態は、10回に1回求められれば多い方であった。時間帯や曜日によっては利用者の数が跳ね上がるので、いちいち確認していられないのは仕方ない。利用者も慣れていて、乗車するときに手元に ID を用意している人などおらず、求められたらバッグから出すのが通常見慣れた風景だった。

しかし時々、「ID 不提示」を理由にセーフライドから乗車拒否される人というのを私は目にしていた。ルール上は問題のある運用ではないのだろうけれど、シカゴは10月にもなれば相当な寒さである。そんな中乗車を拒否されるというのは想像するだけで凍え死ぬ思いだ。自分は ID をきちんと身につけておかないとな、なんて思っていた。

しかし月日が経つにつれ、乗車拒否されている人たちが黒人ばかりであることに気がついた。というか、そもそも ID の提示を求められているのが黒人ばかりなのだ。10回に1回と言ったが、それは私が年齢的にも学生の多くを占める世代で、しかし一方でアジア人の見た目をしていたからだったのかもしれないと思うようになった。白人だったら、20回に1回だっただろうか。100回に1回だったかもしれない。

シカゴ大学は、いわゆる「危険な地域」に隣接している。大学のある Hyde Park のすぐ南には、黒人がかつて(1990年)住民の98%以上を占め、世帯収入中央値が13,000ドル(当時のレートで約100〜190万円)であった Woodlawn という地域があり、その中間地点である63番街は「絶対に越えてはいけないライン」だと入学時に教えられる。この地域にやってきた瞬間に、シカゴ大学の学生は「あちら側とこちら側」を叩き込まれるのだ。この時点で61番街と62番街のあいだに住んでいた私は、のちに友人たちに「なぜそんな危ないところに?」と問い詰められた。

その後 Woodlawn の黒人の割合は84.1%に下がり、世帯収入中央値も24,603ドル(2016年)と上がっている。しかしこの背景には、黒人が住むと土地の価値が下がるというあからさまな人種意識のアメリカにおいて、この地域で広範な土地を所有しているシカゴ大学が土地の価値を上げるために黒人のコミュニティを破壊していったという歴史がある。まずは Hyde Park から、そして Woodlawn へ、約50年をかけて「都市再開発」が進められた。黒人の多くが追いやられ、かつて存在したジャズクラブなどの黒人文化も消滅した。

シカゴ大学が周辺の住民に対して何も見返りをよこさなかったわけではない。例えば同大学ロースクールは毎年10,000ドル以上を Woodlawn の子どもたちのために寄付した。しかし大きな金額ではないし、1999年にはこれらの支援を打ち切っている。

「ヘアスプレー」というミュージカル映画に、こんなシーンがある。黒人であるシーウィードという少年が、母親のダンスパーティーに白人の同級生3人(トレイシー、ペニー、リンク)を連れて行くシーンだ。

モーターマウス・メイベル(シーウィードの母)
 あら、みんな境界を越えて出てきたんだね。(息子に向かって)紹介しなさいな
シーウィード
 お母さん、新しくできた友達を紹介するね。ここにいるのがリンク、トレイシー・ターンブラッド——
トレイシー
 すっごくアフロタスティック(黒人を表す afro と素晴らしいという意味の fantasticを合わせた言葉)です!
シーウィード
 ——そしてこちらのお嬢さんが、ペニー・ピングルトン
ペニー
 ここに来れてすっごく嬉しくて怖いです
モーターマウス・メイベル
 お嬢ちゃん、私らがあなたたちの街に行くほうがよっぽど怖がる理由があるんだよ

シカゴ大学関係者が現在「あちら側とこちら側」を意識し、あちら側を恐怖しているのは、これまで大学が黒人コミュニティに対して行ってきた仕打ちを忘却しているからではない。むしろその暴力の延長線に、あるいはその一環として、私たちの恐怖があるのだ。黒人コミュニティの貧困を、文化を、言語を、振る舞いを、肌の色を、街の荒廃を、「私たちに迫りくる脅威」として怖がってみせるのは、まさにシカゴ大学が「再開発」に乗り出したときの大義名分だったからだ。

セーフライドが安全に利用できないというのは、学生や教職員にとっては大きな不安だろう。しかしそこで謳われる「安全」とは、誰の安全だろうか。学費を払っている学生だけのものだろうか。であれば、安全とはそれを購入する能力や権限のある者にだけに与えられる商品なのだろうか。食費や家賃を払ったあとも安全のために金をかける余裕のある者だけが買うことのできるものなのだろうか。バスに乗るために周りの人に「小銭をくれないか」と聞いて回るような人間には、安全に生きる権利など無いのだろうか。あんな、体中の細胞が氷になったような思いをする地域でも。

周辺地域の住民にセーフライドを利用する権利を正式に与える、というのは非現実的なことだろうと思う。もちろん、シカゴ大学にはそうしてもいいくらいの負債(借り)があるとは言える。この地域で生きてきた人たちは、シカゴ大学のキャンパス拡大に伴ってコミュニティを破壊され、家族や親類、友人、自分自身の転居を強いられて来たのだから。ならば、せめて ID の提示を求めなくてもよいというルールに変更して欲しいと私は思っている。

シカゴ大学の黒人学生や教職員は、常に「周辺地域の住民かもしれない」と疑われている。つまり、シカゴ大学の学生に見えるためには、ぱっと見が白人で、中流階級っぽくないといけないということだ。しかしここで、ID の提示を求められることが黒人学生・教職員に極端に偏っていることを是正するために、「全乗客に必ず ID の提示を求める」という解決法は有効だろうか。

いや、それは「あちら側とこちら側」の境界線をより強固にしてしまうだろう。そして、シカゴ大学の暴力の歴史は永遠に引き継がれることになる。それに、黒人ばかりが疑われるという不正義自体は変わらず残り続けるだろう。黒人の ID ばかりがジロジロ見られ、偽造を疑われ、仕方がなさそうに乗車を認められる——一応白人の ID もチラっとは見るけれど——そんな運用は容易に想像できる。

有色人種の学生が集まったイベント "You fit the description" では、特定の人種に対してばかり職務質問などをする行為(racial profiling という)に反対する気持ちと、自分たちも安全にキャンパス生活を送りたいし場合によっては警察に守ってもらいたいという思いに挟まれた、有色人種の学生特有の葛藤が語られた。もちろん答えが出る問題ではないが、そんな葛藤を有色人種の学生だけが強いられているということは、大学に重く受け止めてほしいと思った。

そして何よりも、現時点でシカゴ大学の学生や教職員が白人に大きく偏っていること自体を問題視すべきだ。シカゴ大学は、貧困層や有色人種の多い学校からの学生受入れに積極的になるべきだ。そうしてシカゴ大学全体の有色人種の割合を増やそう——イベントの最後に私はそう発言した。すごく長期的なプランだし、今いる学生にとっては何の解決にもならない。だから他の参加者の反応は怖かったけれど、誰かが「割合が増えれば、『シカゴ大学の学生っぽさ』から『白人』という要素が薄まるよな」と言ってくれた。そしてそこから、いかに有色人種の学生が「ここに所属していない感じ」を感じさせられているかで議論が始まった。

あちら側とこちら側に分け、あちら側を「脅威」として怖がってみせる——そんなやり方で横行する差別は、枚挙にいとまがない。どんな差別問題を考えるときも、その危険性を常に頭の片隅に——いやど真ん中に——置いておきたいものだ。