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若いエナジー

 この秋は、訳あって妻と娘と一緒に大学の文化祭めぐりをすることになった。
 めぐり、といっても結局合計3箇所しか行けなかったのだが、どの大学の学生も、みな溢れんばかりのエネルギーを放出しており、それはぼくが遠の昔に失ってしまった大切なもののように感じられた。

 模擬店や、軽音、ダンスなどを見て、ふざけ合う学生たちの姿に出会い、

 「ああ、そうやった、そうやった」

 などと、自分の学生時代と重ね合わせながら、懐かしさを覚えながらもどこか羨望の想いとともに彼らの姿を見ている自分がいた。

 校舎の裏や木の影などに、あるいは熱気で溢れた彼らの中に、あの頃の自分やあの頃の友人たちがいるのではないか、なんてことをふと考えたりしながら。

 若い、というのは本当に素晴らしい。自由で、奔放で、それが許される時代。

 彼らを見ていると、自分も若くなったような錯覚を覚えるし、彼らのバイタリティーに触れると、こちらもなにか触発されて創造的な気分になったりもする。

 歳を重ねてくると、どうもマイナスのことばかり考えてしまう傾向がある。しかし、若いエナジーはそれを吹き飛ばしてくれるだけの力を持っている。

 自分の学生時代、特に物事を深く考えることもなく、夜遅くまで飲んでは終電を逃し、友人の家まで何時間も歩いて行って泊まったり、夜中じゅうやっている映画館で夜を明かしては始発電車で帰ったりと、勝手気ままにやっていた。

 そんな事ができたのも、自分が若かったからだろうし、それが許されていたからだろう。今は、様々な制約に縛られて、そのような自由を満喫することはほぼ不可能になってしまっている。

 ああ、あの頃はなんの責任もなく、自分が好きなように生き、自由気ままに歩んでいけば良かったんだものな。

 なんて素晴らしい時代だったんだろう。

 などと思いながらこの文章を書いている次第である。

 そして、

 あの頃の自分はどこに行ったんだろう?

 と思ったが、書いてみてそれはちょっと違うな、と感じた。

 それは失ったのではないのかもしれない。それは今でもぼくの中で生きている。それほど大きくは姿を変えることなく、ぼくの深いところにしまい込まれていたのではないか、と思うのだ。

 色々と、生きる環境はあの頃とは変わってしまったけれど、そして多くの責任を抱えることにはなってしまっているけれど、心の根本は、まだあの頃の自由さ、奔放さで支えられているのかもしれない。

 なんか、そんな自分を長いこと忘れてしまっていたなぁ。

 それを若い学生たちが思い出させてくれたのだ。

 今はもう、学生のように生きることは困難だけれど、そしてあの頃のようなエネルギーも持ち合わせていないかもしれないけれど、それでもあの頃の精神だけはずっと持ち続けていたいものだ。

 仕事では色々と悩むことがあるが、

 あの頃の自分だったらどうしていただろう?

 と考えると、もしかしたら少し気が楽になるかもしれない。

 今回の大学祭めぐりは、日々の生活で埋もれてしまっていた自分の中の何かを、思いがけず思い出させてくれるいい機会になった。

 またこれからもまた、機会があれば大学祭に行ってみようかな、と思う。

 

読んでいただいて、とてもうれしいです!