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入院生活ブログ29日目〜母親が死んでからのこと。ちゃんと今向きあう①〜


母親が3〜4年前の9月末に死んだ。



3年前なのか4年前なのかあまり思い出せない。
わたしの20代後半だったからそれくらいであるのは間違いない。



母は突然死んだ



前触れもなく死んだ




本当に追い詰められてしまって自殺を考えた後に、今から死にますと言って命を絶ってしまう方じゃない限り、私も含めて誰も自分の死期を知ることはできないから



突然死んだのは
ある意味では、
当たり前の話しでもある。




とは言え、本当に突然死んだ。





仕事関係の知人と母含めて4人でとある山岳でハイキングに行った。





4人で歩いていたにも関わらず
母だけ、
足を滑らし100メートルほど落下し即死した。  



当時、
その地域ではニュースにもなったくらいで、
ヘリコプターや救出隊なども出ていた




ーーーー

「母」といっても、
私が18歳の時に親が離婚し、
私は父方へ、弟と妹は母方についたため
戸籍上の繋がりはない。



ただ、産みの親であることは間違いなく、
確執、憤怒、軽蔑の意が数多くあったとしても
「母」と呼ぶ以外に呼び方がわからない。




そして、
そんなわたしの思いなんて伝わることも伝えることも出来ず、


母は突如として本人の人生に幕を閉じ周囲の人間も受容も拒絶も等閑もできないまま、時間だけはすぎている。




母が山岳から滑落したその瞬間、
わたしは職場で部下と上司と面談をしていた。





面談中に、
わたし宛に電話が入っていると受付から連絡はあったが、契約者の方からの問い合わせかと思い、後ほど折り返すと伝えた。



面談は思ったよりも時間がかかり、再度受付の方にから、



「先ほどの方からまたお電話です。
なぜか泣いているので急いだ方が良いかもしれません」


と言われ

何かクレームでも起こしてしまったかと思いすぐに電話に出ると

本当に過呼吸になっている女性が電話口にいた。


その人が最初に発した言葉は







「おねえちゃん…」






すぐに自分の妹だとわかった。
親は離婚していて戸籍は離れたが妹とは連絡を取っていた。




「なに、どうしたの?!」

反射的に焦って答えると






「お母さん死んだって。わたしもよくわかんない。
お母さんの身分証とか持ち物でわたしに連絡来た。
とりあえず死んだから来てくださいって。」



理解が出来なかった
妹が何を言ってるのか飲み込むのに時間がかかった。




母と妹は関西で同居してる。
私は関東。
母が死んだ遺体のある場所は東北にも近い北関東。



北関東?
死んだ?



その時からの記憶があまりない。
直前まで面談していた上司のところにおそらく駆け戻り、事情を話した。


その上司は
交通費はある?大丈夫か?
と言って、無言になった。


血の気の引いた私を見て
ハンカチを差し出した。



「これ、みんな(会社の仲間)だと思って。
行ってこい。」


それだけ一言言われた。



気づいたら会社の外に出ていて、
気づいたら電車に乗ってて
気づいたら聞いたこともない、
改札機さえもないど田舎の無人駅に着いていた。     




指定された病院に着くと
一番遠いはずなのに、
弟と妹は先についていると。   



看護士さんは、
気まずそうにわたしのことを見ながら口を開いた


「心の準備を少しされた方が良いかもしれません。
ご病気などで、衰弱したような亡くなられ方ではないので、見る方にとっては心への負担が大きいかもしれません。」


今冷静に書いているから、理解は出来るが
そのときは、その看護士さんの言葉の意味さえもわからなかった。




ひんやりした廊下、
古い病院だからか、電球が薄暗い。




声が聞こえた。


妹と弟の声だとわかった。


扉をあける。


看護士さんの
心の準備という意味がわかった。


目の前の遺体は


人じゃなかった。
人だった人だ。




100メートル滑落すれば、
アザや血が出るのは当たり前で、
人相も変わってしまうのは想像がつくはずだ。




でも、人は頭では理解していても
いざそれが目の前に現実として現れると
飲み込めない生き物なのだと知る。





弟とは、皮肉なことに
親が離婚して以来の10年ぶりくらいの再会になった。


生意気でズルくて、頭が良くて
理屈ぽい、でも実際は素直で優しい弟 


人ではない、
人だった、
ぐちゃぐちゃな顔の遺体に
弟はずっと同じ言葉を繰り返していた。






「まだなんも恩返ししてねーよ…」




私にとってはただ憎い母親も
弟にとっては、
恩を感じ返していきたい相手だった
しかし、前触れもなく、
そこには人とは言いづらい
青あざだらけ、傷だらけの顔でただ目を閉じる遺体しかなかった。  



妹はただただ泣いていて
到着したわたしを見るなり


おねえちゃん。
と言ってまた泣いた。


わたしが泣いていたのか
何をしていたのかどんな顔をしていたのかわからなかった覚えていない。



だけど、


出発前に渡されたハンカチをとにかく
破れんばかりに握りしめていたことだけは覚えている


どこかで思っていた



泣きたいのは私じゃない

戸籍上この2人は天涯孤独になってしまった



途方に暮れるのはわたしじゃない

住む家もなくなるのは妹だ


だから
泣いちゃダメだ。


そう必死で言い聞かせた。





ーーーーー


わたしの、実体験になります。
入院期間中、向き合わないようにしてきたこと、考えたくなかったこと、全て今は一つ一つ解消するべきことだと思えるようになりました。


自分が摂食障害や、強迫性障害になったのは少なからず家庭環境が大きいと思っていて
それは、誰が悪いとか、誰のせいだとか
そういう意味ではなく、
そういう事実は消せないからあとは前進するしかないでしょ、という自分への喝入れ、整理整頓を含めて
noteと言うこの場を借りて少しづつ書いて消化していきたいと思っています。


入院期間中は、入院のことで精一杯で
考えられないことも多く実際今は仮退院の時に何をどうしていけば良いのか、
不安と、恐怖の方が大きいのですが、
この入院と摂食障害と母親と家族と仕事は全部実は繋がっていると思っていて不安で怖いから、を言い訳にしてたらずっと書かないだろうと思い、
ちょっとずつの分割でもいいから書いていこうと思いました。



なんだか
暗い内容なのですが、私本人はいつも通り
アップダウン激しく悩み禿げそうになりながらもとりあえず生き、生かされていて
やるしかないなと思っています。
(何をやるしかないのか。。🤔)


ちょっとずつ書いていくので
読んで頂いたり、何かコメントなどももらえたら
自分の中でも新たな発見もあるかもしれないのでよろしくお願いします🙇‍♀️🙇‍♀️


ここまで読んでくださり
いつもスキやコメントもありがとうございます。


これからもよろしくお願いします☺️🤝‼️‼️


これまでの自己紹介は下記となります!!


母とのこと②

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