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こんばんは。fumioです。
親の介護について、本日は、「後悔」についてnoteしていきます。

まず、私は親の介護でも、配偶者の方の介護でも介護される家族の方の決めたことは、100%肯定します。また、私から見ても安心して在宅で介護できると思っても、家族の方が望まれない場合は、最低限の在宅生活ができるように模索からお手伝いします。

 但し、ご本人の高齢者が「自宅」を望む場合は、悪者になっても在宅の機会を設けています。

それは、「後悔」をしないためです。

■その思いに至る私の理由
 私は、仕事柄、経験も含めて親の疾患と余命は理解していました。だから、いろいろな準備もあらかじめ親が元気なときから段取りを組んでいくことができたので・・・親の望むカタチと親を支えるその他の家族の準備も万全にできていました。

 ただ、誤算だったのは、「弱くなった親が繰り返し口した家に帰りたい」を実現できる環境にあったけれど・・・実現できなかったこと。

 ・親が元気だった際に、近所などに自分の姿を見せたくないと思っていた
 
 ・私に、日帰りでも1泊でも実現できるのに勇気がなかった

勇気とは、親の望みをかなえることで起きる出来事を受け入れる力がなかっただけです。(因みに、家族は協力してくれてでしょうし、妻の専門職なのでタイミングをつくれば、できたと思います)

■私の支援する人は、必ず自宅へ帰すが始まった
 サービスを駆使して、自宅へ泊ることを家族にお願いして、在宅のケアマネジャーの方やサービス事業者の方には、場合によっては代弁して、労力も惜しまず時間をかけて自宅へ帰していきました。

 しない後悔より、した後悔の方がいい。あの時と思うなら、条件が揃うまで家族と向き合い、仕組みと家族が決めることができるまで待つ。

■老いて介護を受けている親を受け入れる
 親とこどもの過ごしてきた時間の意味は、働いたり、結婚したり、こどもを授かったり、親になりながら親と付き合っていく間のいろいろがあって、親の介護をする時に、距離を意識できます。

 その意識が、どんな感情を抱いて意識できるのか?その時の親を看る環境でも左右される・・・。

 ステレオタイプに、今の風潮で親の介護を考えのも悪くないです。でも。こどもとして、親の死ぬまでの時間も親に甘えて逃げる←私のこと(経験も)あり、親とのこれまでの時間から向き合いできることをするのあり。

■まず、100%と家族の意向を肯定します。
 肯定する中で、制度を活用して、本人と家族の最大限望むプロセスを実現するお手伝いをします。その都度、提案や疑問にもお答えしていきます。「ちょっと、在宅何日かやってみようかな」と思いお手伝いし、「やっぱり、できないけど・・・どうしよう?」でもお手伝いをする。

 航海をして欲しくないことと、勇気を支えるお手伝いを・・・。 

 私には、私のようなサポートや相談できる人がその時いなかったことと、そののように責任を逃れる自分がいます。

 この後悔があるから、在宅復帰のオニになれんだと思います。

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