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トマトの味と「おしゃれ」な濁り

居酒屋などでもよくある「冷やしトマト」。

わたしも子どものころから、夏の食卓でよく出会った。
冷やしたトマトを切ったものに、塩がかかっただけの、アレ。

わたしの祖父は、祖母が菜切り包丁で丁寧に皮をむいてくし切りにしたものに、砂糖をかけて食べていた。「果物」という感覚が強い世代だったからかもしれない。
「マヨネーズをかけて食べた」「ウスターソースをかけて食べた」などの体験談も、友人・知人から聞いたことがある。

実はこの夏まで、わたしは「冷やしトマト」の美味しさが今ひとつわからなかった。

毎度の食事を整える方からすれば、切って塩をふるだけ…と、とてもかんたんに一品ができるわけだから、子ども時代の食卓には「薄切りきゅうりの酢の物」をしのぐ勢いで「夏の間はいつもそこにいた」のはわかる。

子どものころは何も思わずに食べていたが、特に美味しいと思ったことはない。祖母の家で食べた、キンキンに冷たい井戸水で冷やしたものは、そこそこ好きだったけれど。

なので、大人になってから居酒屋でわざわざ「冷やしトマト」を頼むことはなかった。
でも、どの店でも意外とよく見るメニューだし、頼んでいる客も多いので、とても不思議に思ったものだった。

が、今年、なんとなく「もう一品」のつもりで作った…というよりは「切ってふりかけて出した」そいつ。
「冷やしトマト」が、ものすごく滋味深くて美味しく感じられたのだ。

「あれっ?」
…と思った。

「冷やしトマト」って、こんなに美味しかったっけ???
…と。

今年は雨が少なく、ファームのトマトも成育するのがなかなか難しかったようだ。
だから、少ない水分でじっくりと育ったトマトが、すごく濃縮されたうまみを持っていた?

もしくは、少し前から野菜に振りかける塩を換えたから、それがトマトとベストマッチだった?

…理由は何であれ、自分でもびっくりするくらい美味しくて、マーケットから買ってきたあとで追熟して、「食べていいよ」というサインを送ってくれた完熟トマトを迷わず「冷やしトマト」にしてしまうようになった。

赤い「スライシング・トマト」でも、オレンジだったり赤黒くて縞があったりピンクだったり緑だったりの「エアルーム・トマト」でも、どのマーケットで買ったものでも、どれもそれぞれに美味しい。

「美味しい」と思った理由を思索するうち、わたしが過去、特に美味しさを感じなかった「冷やしトマト」は、工業製品のように作られていたトマトだったのかもしれないな…とも思った。

販売や流通の都合で樹上で熟す前の青いうちに収穫され、追熟で赤くなるやつだ。
これについては、支配人の親族にトマト農家がいるので、状況は知っている。

舌が敏感な支配人は「日本のトマトは嫌いだ」と言う。
「子どものころに食べたトマトはあんな味じゃなかった。今、出回ってるのはうす甘いだけでぼんやりした味だし、身がドロっと崩れるような感じで、好きじゃない。」
…と。

そんな「昔ながらの皮がかたくて青くさいトマト」が好きな支配人も、この夏の「冷やしトマト」には文句は言わないし、よく食べる。

ふと、このトマトたちはファームが汗水たらして苦労しながら作ってくれた「ほんもののたべもの」だからだろうか、と思った。
この夏、わたしはその味に氣づかされ、レベルアップしてもらったように感じる。

ここ数年で、自分の料理は変わった。

以前はいろんな材料を使って、コマゴマチマチマもしくはアレヤコレヤと掛け算や足し算で作ったものを「映える」ように並べていたが、最近は「塩をふっただけです」「煮ただけです」「焼いただけです」「揚げただけです」「和えただけです」みたいな、男前な感じになって来た。

ごちゃつきのない、シンプルな味が今は好ましい。
透明感がある味…とでも言えばいいだろうか。

食べた人から「ぇつ、それだけ?」…と言われる機会が多くなった。

思い返すに、わたしの舌は、「おしゃれ」に濁っていたのかもしれない。

「冷やしトマト」をいただいて「うまっ!なにこれ!!」と思えたのは、その濁りが抜けた証拠のようにも思う。

学びや進化の機会は、どこにだってあるんだな…。
ということを痛感した「冷やしトマト」だった。

そして、この夏のもうひとつの驚きは「トマトジュース」だ。

「ほんもののたべもの」から作ったジュースは、缶やテトラパックに入ったものとは、比べものにならない。
本当に驚かされた。

これもまた、作り方は至極かんたん。
ざく切りにしたトマトに軽く塩をして、30分ほど弱火でコトコト煮たものに少しばかり水を足し、ミキサーにかけるだけ。

煮詰める、まで行くとトマトピュレやソースになってしまうが、そうならないように適度にトマトの水分を飛ばす、という感じで火を入れる。
そこへ「ジュース」になるように水と塩を足してミキサーにかける。

ハンドブレンダーで砕いたあと、口当たりの悪い部分をザルで漉す…というやり方もあるらしいが、わたしはプロ用のハードモードなミキサーを持っているので、種も皮もすべて砕いてしまう。

これが、嘘みたいに美味しかった。

完熟トマトを使ったから?
…確かにそれもあると思うが、あの味わいは「ほんもののたべもの」だった。

トマト好きにも関わらず、市販のトマトジュースが大嫌いでまったく飲まない支配人が「これがトマトジュースだよ!子どもの頃の味だ!!」と喜んで飲んでいた。

確かに美味しい。
滋養がしみわたるとはこういうことか…と思うくらい、身体が落ち着く。

生のトマトをミキサーにかければ?
…と思うだろうが、それだと数分後には「ジュース」は果実と水分に分離してしまうのだ。そこで、火入れが要る。

手のひらサイズのトマト4個で仕上がりは約300ccほど…と効率は良くないが、手元に完熟トマトがあったら、一度はやってみることをおすすめしたい!

煮ている間の水は、要らない。
水を足すのは、ミキサーにかけているときだけだ。トマトに塩を少し足して弱火で鍋に蓋をしてコトコトしていれば、トマトは自身の水分だけで煮詰まるから。

「ほんもののたべもの」をいただく…というのは、なんて豊かで幸せでありがたいことだろう…と氣づいた夏。
その夏も終わり、今度は実りの秋がやってくる。

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