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青い中にいるうちに。

「ねえ。」

今日は2限からだから、
ダイニングでのんびりと、
カフェオレとトースト、
スクランブルエッグとトマトサラダ、
デザートに頂き物のミスピーチ、
という朝食をゆっくりと堪能しようとしていたのに。
その思惑は、この一言で一気に崩れた。

「彼氏できたでしょ。」

姉だ。
6歳年上で、社会人3年目。
毎週火曜日と水曜日、もしくは水曜日と木曜日が休み。
いつもは日ごろの睡眠不足解消のために、
昼近くまで寝ているくせに。
今日に限って起きてきて、
唐突にこれだ。

姉も寝ていて、
父も母も出勤していて、
一人静かな朝食の時間を過ごそうとしていたのだ。
私だけが早起きして、朝食を作って、
そして毎年楽しみにしている、
とてもおいしい桃をデザートにして、
気分よく登校しよう、
と思っていたのに。

「ねえねえ。別に言いたくなきゃ言わなくていいけど。」

いや、その聞きたそうな顔。
この姉、こんな風に茶化した口を利くけれど、
結構優しかったり、おせっかい焼きだったり、
何かと助けられている。
答えるしかないではないか。

「はいはい。いますよ。もう3か月になりますね。」

私はそう答えながら、
トーストを嚙みちぎった。

バターをたっぷり塗ったので、
手でちぎって食べようとする場合、
今の感情に任せると確実に指がべとつく。
バターが滴るくらいの力が入りそうなのが分かる。

一人の静かで優雅な朝食タイムが、
台無しになって悔しいったらない。
しかも、最近、その彼氏とはあまりうまくいってない。
だから朝から思い出したくなかった。

「私のハイヒールあげる。それからタイト目な服も上げる。」

姉が唐突にそんなことを言った。
私は頬張ったトーストを咀嚼しながら、
眼を見開いて、首を傾げて、
「急になんで?」
と顔と姿勢だけで聞いた。

「これからしばらくハイヒール履けなくなる、タイトな服もしばらく着られなくなる。場合によってはずっと着られなかったりして。」

私はトーストを飲み込んで、
カフェオレで流し込む。

あまりにも唐突なことで、
ハイヒールとタイトな服をくれる。
などと、急に言い出した理由が分るほど、
思考が追いついていなかった。

「えっと、急すぎてよくわからないんだけど。」

姉はにやりとしながらいった。

「我が妹ながら、そこまで勘が働かないとは。残念だなぁ。」

と言いながらくつくつ笑い出した。
姉は来月結婚する。
それは知っている。
私はカフェオレを一口飲み、
頭を整理する。

「ちがったらごめんだけど。おめでた?」

それを聞いた瞬間、
くつくつと笑っていた姉の笑いは
堰を切って大笑いに変わった。

「さすがに、分かるかー。持って回った言い方してごめんねー。」
「ちょっと!!」
「お父さんとお母さんには今晩にでも話すから。」

もう優雅な朝食タイムなんてどうでもいい。
私は、この姉が大好きだ。

「おねえちゃん、この桃、食べていいよ。」
「いーの?うれしー!!ありがとー!」

姉は私の手から
桃の入ったお皿とデザート用の
フォークを受け取り、
無邪気に笑い続けている。

「おめでとう。」
「ありがとう。ん-!おいしー!」

姉は桃を口にして、
幸せそうな顔をした。

「でもさ、ヒールと服はいいよ。
 最近うまくいってないから、オシャレ必要なくなりそう。」

姉に、最近あまり彼と連絡を取ってない事。
取ったとしても何となく、そっけないやり取りになる事。
私もそこまで続けたいと思ってない事。
などを話した。

「青いね。いいねー。
そういうの楽しめるの今のうちだよ。
だんだん、恋愛すること自体が新鮮じゃなくなって、
そこでは楽しみを覚えなくなるんだよねー。」

「いや、あなたまだ25歳でしょ。」

「19歳には、まだわからんのだよ。」

そう言ってまた姉はからからと笑った。

「来年には私、母だよー!
 そう思うとね、恋愛自体に一生懸命になれる
 あんたらみてると今のうちに楽しみなー!って思っちゃう。」

桃が入っていたお皿とフォークをシンクに運びながらそう言った。
そして、洗い物をしながらこちらを見ていった。

「だから、ヒール履いたり、可愛くて素敵な服を思う存分着て、
メイクして、いい香りさせて、好きなだけオシャレして、
たくさん恋しなね。青い中にいるうちは分からないだろうけどさ。」

そういった姉の顔は、凛としていて美しかった。
そして、その奥に覚悟を決めた人の芯の強さがあった。

青い中にいるうち、か。

そうなのかもしれない。
今この時期は、
今の私でしか楽しめない。
私だってこれから、
いろいろ経験して変わっていく。

「だから、今の彼じゃなくても。自分のためにオシャレしときな。」
「ありがとう。じゃあ、遠慮なくもらうよ。ジミーチュウのサンダルも。」

私はにやりとしながら、姉を見る。
姉はいつもどおりまた、からからと笑い始めた。

「こらー。調子になるなー。あれはだめー。」
「ごめん、ごめん。でも、ほんとにおめでとう。」

青い中にいるうち、か。

いつか私にも、
青い中を通り過ぎた、と
感じる時が来るのだろうか。今の私だから感じられること。
今の私だから出来る事。
何かに迷ったら、そう考えてみよう。


授業とアルバイトを終えて帰宅したら、
部屋にジミーチュウのサンダルと
小さいメモが置かれていた。

「今のあんたに似合うから、やっぱあげる。」

そう書いてあった。










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