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『秘密の花園』 三浦しをん

・女らは芝に坐りぬ性愛のかなしき襞をそこに拡げて
上野千鶴子との親交も深かった歌人、岡井隆の一首。作中、印象的に引用される。

三浦しをんはジェンダーにも敏感な作家で、キリスト教系、中高一貫の女子校を舞台にした『秘密の花園』ではもちろんそれが大きなテーマになっている。

大人になる前の少女たち。性愛に対する、嫌悪感と紙一重のあこがれ。耽溺と失う恐怖。そして「ふつう」の性愛からはるか離れた場所にいる少女。
初めて読んだときは20代半ばで、3人それぞれの気持ちの襞がすごくわかって、ひどく胸が痛んだ。と同時に、「これは小説だから」とも思っていた。

現実では、こんなにナイーブではやっていけない。当時の私は独身で会社勤めをしていて、痴漢やセクハラ、先の見えない恋愛、もてあます自意識も、日常のすぐそばにあった。そんな日常を生き抜くためには、いちいち傷つかないことが大事だった。感受性を低いモードに設定して、笑って済ませたり、気の利いた切り返しをしたり、すぐ忘れたりしなければならなかった。

だから、小説を読んで、いつもは幾重もの包み紙に覆っている自分の心を取り出して確認するのは大事なことだった。自分の本当の気持ちがわからなくなれば、人としての尊厳を失ってしまう。

今回、何度目かの再読。
結婚して10年が経った今、遠く離れたところから見る彼女たちが本当に残酷なめにあっていると思えて、幾度か怒りで目がくらんだ。

7歳のころ、見知らぬ男に体の奥深くを触られたこと。つたない言葉で父親に訴えても「ふらふらしているからだ」と取り合ってもらえなかったこと。父の淡白さに反比例するような、母親の思いの濃さ。それらすべてはつながっていて、彼女は癒されない傷を抱えたままだから、恋ができない。

容姿も性格も平凡で、誰の一番にもなれない。だから、男性教師にキスされたとき、自分のすべてを差し出した。自分にはこの恋しかない、彼から与えてもらうときだけが生きていると感じられる時間だった。失うなら死んでもいいと思いつめるほど。でも彼は、どこまでも安全な場所にいて、ほんのちょっとスリルを味わいたいだけだった。

少女たちが「奪われる性」であると浮き彫りにする小説だ。もちろん少女に限らず、子ども時代(10代も含む)に性を踏みにじられると人は壊れてしまうのだと思う。

3つの連作短編からなる1冊。3作目の翠は最も屈折していて、タイトルからして「廃園の花守りは唄う」と難解だ。けれど彼女はもっとも普通なのかもしれない。少なくとも、他人の悪意にさらされた傷はない。

彼女は親友に友情以上の強い思いを抱いている。それは性欲を伴うものではないが、この世で実る思いではないから彼女はどこか超然としている。
十年以上前の小説だが、彼女の性的指向や性自認を「こうだ」と決めつけず、あくまでニュートラルな感じで描いているところに、三浦しをんの卓越性があらわれている。

教育や政治は「これから」を変えていくために絶対必要だけれど、今ここにある悲しみひとつひとつをすくい上げ寄り添うことはできない。だから、こういう小説や映画が必要なんだと思う。

「ノアの箱舟」や「パンドラの箱」などキリスト教の物語や教義。性愛とは切り離せない、生と死。「赤」を始め、色彩や「濡れる・乾く」などのモチーフの使い方など、さまざまな切り口が物語世界を重層化している。

『舟を編む』や『風が強く吹いている』『まほろ駅前シリーズ』などエンタメ作品で有名だけれど、キャリアの初期(弱冠25才!)に既にこんな文学性の高い小説を書いた三浦しをん、やっぱりおそるべしなのだ!!


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