ネガティブが原動力でも生きていけます。
こんにちは。コロリです。
12月をもって、6年半勤めた広告制作会社を辞めます。
先日、退職の旨を上司に伝えた時、こんなことを言われました。
「あなたは、自分はなんでも出来ちゃいます!って装っていたけど、そんなことしなくてよかったよ」
たぶんこれは「無理をさせたね、ありのままのあなたでいてくれたら退職しなかっただろうに」という優しい意味の言葉だと思います。・・・そうだとしても、私は強く否定したい。
私は出来る!と思うことで、今まで頑張れてきたんです。
私は今何かと話題の自己肯定感というやつが極端に低い女です。
おどおどしている
自信がなさそう
学生の時から周りに言われてきました。
自分の選択や考えに自信が持てません。
中学時代はバスケ部だったのですが、
「今、パスを出してもいいのかな...?」と不安なまま放つパスは、いつも手が震えて良からぬ方向へ飛んでいた記憶があります。
体格も足の速さにも恵まれていない私はもちろんベンチ要員。
「どうして教科書もないのに、みんなは自分のやることがわかるんだろう?」
勉強と部活で構成されている中学時代、私は圧倒的に勉強が好きでした。
中でも数学と歴史が特に好き。なぜなら
数学は、正しい法則に沿っていけば必ず答えを導き出せるから。
歴史は、諦めなかった人たちの話は紛れもなく事実を教えてくれるから。
誰かが敷いたレールの上なら安全で、正解なのだと思っていたのかもしれません。
社会人になり、スピードと成果を求められる環境は、どちらかと言えば部活動に近かったです。
そこで、役立たずな私は、私なりに振り返り、基礎知識を身に付けてからでないと応用の効かない不便な大人になっていることに気づいたのです。
・・・・
デザイナーという職種について6年半が経ちました。デザインには私の大好きな「答え」が明確にはありません。
じゃあ、なぜ続けてこれたのか。
不便な私の性格は、人よりも時間はかかるけれど、「学びを活かす」を繰り返して成長を実感できるからだと思います。
やっぱり、ソフトの習得だとかノウハウだとかデザインにも基礎知識は存在するわけで...
そうはいっても、新しい領域にチャレンジする時は怖くて怖くてたまりません。
例えば、紙物の制作経験しかないのに、デジタル領域もやるみたいな。世の中がデジタル化してるのだから、当たり前のことなのですが...
うん、やっぱり不安だ!
そんな時は、私にとってはチャレンジする領域だけど世の中には出来る人がたくさんいる。と視点を変えて。
得意な数学や歴史のように、出来る人たち= 諦めなかった人たちの法則や歴史を辿れば、私にだって出来る!と。
それは、また誰かが敷いたレールの上に乗っかるだけなのかもしれません。でも、それでいいじゃないか。やらない限り私の不安は消えてはくれないのだから!
「無理をさせたね、ありのままのあなたでいてくれたら退職しなかっただろうに」
一見すると弱さを肯定してくれた言葉のようだけれど、上司の言う、ありのままの私でいたら成長しなかったです。というか、不安で私にはできません...って言うやつのどこが必要なんだろう?
「私にだって出来ます!出来るようにならないと不安なんです!ネガティブが私の原動力なんです!」って自分の弱さと向き合えてる、そんな自分が今は好きです。
おわり
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