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“おちゃない”と“かもじ”

享保8(1723)年の調査によると、幕府公認専門事業者は1000組ほどで、“質屋、古着屋/仲買・古着仕立屋/仲買・古着買い/仲買・古着仲買、古道具屋、古物屋、小道具屋、小道具屋辻売り/中売り・小道具取売り、古鉄屋、古鉄買、古金中売り/辻売り・古金振売り、紙屑屋、下肥取り、灰買い、古傘買い、古樽買い、蝋燭の流れ買い、紙屑拾い、馬糞拾い”など1万人以上がリサイクルに関わっていたわけです。
呉服屋では裕福な人が新しい着物が仕立て、それが着古されると古着屋に買い取られ、仕立て直されたりして再販される。それを一般人たちは古着屋から買うのが一般的。小裂売りから布切れを買い、継当てをして使用。裾や袖が擦り切れて着れなくなると古着屋に売却または子供用に仕立て直しなどをしていたようだ。
子供が大きくなって着れなくなるとおしめや雑巾でボロボロになるまで使うのが当たり前、さらに使えなくなればかまどの焚付けに利用された。その灰さえ買取事業者がいたと言うすごいシステム。
さらにそれを支える修理職人が多岐にわたって市中を回っていたわけです。
鋳掛屋、焼き継ぎ屋、堤灯張替屋、下駄の歯入屋、雪駄直し、羅宇屋、箍屋、研ぎ屋・・
まあ、なんでも修理しながら大切に使い、不要であれば買い取ってもらう、つまり必要なところに“動いていた”ということである。
そういえば最初に挙げた“おちゃない”とは女性の髪の毛を集め買い取る人で“かもじ”とはそれを薄くなった部分につける道具、つまりウィッグというか、エクステンション(つけ毛)であるが、こんなものまで商売として成り立っていたわけですが・・
天才的な資源の使い方、廻し方。
今よりあらゆる点で“豊か”だったのだろうことは想像に容易であります。

今の時代にそのごく一部のそのまた一部を都合よく切り出しているさもしい循環が散見されるが、そういう思考が江戸に学ぶからは程遠い行いであると戒めねば・・と言ったところで結局時代が浅はかであるから、それが正しいことという解釈なのだろう今は。

以前、世界最先端の和算(数学に似たもの)大国という話はした記憶があるが、その際には関孝和が中心であった。関孝和自体、和算の天才だったわけですが、面白いのはそこに辿り着くまでに積み重ねられた諸々。
簡単に要約すれば、割算書、算法統宗から塵劫記、新編塵劫記。そこで出された遺題、その後の参両録の遺題が“遺題継承”がこの国を和算大国たらしめたわけですが、さらにそこに遊歴算家の力が加わることでより強固に完成するわけです。西洋の数学は鎖国時代に満足に入ってくるはずもないわけですが、関孝和の発見は世界より半世紀から1世紀近く先取りしていたのは興味深い。

今日も日中、暑くなりました。
今週はずっとこんな陽気なのでしょう・・

湖からの夕暮れ

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