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☆番外編「刺繍のアトリエと音楽のことについて」~『人生の最期に聴きたい曲』
しばらく投稿できずにいたのは、私の父が亡くなったからっていうのが1番大きな理由。昨年クリスマスの夜に緊急入院し、約1ヶ月後に息を引き取ったのだけれど、日が経つにつれ、ぼんやりしてしまう時間が多くなった感じで、なかなか本文も更新できずにいたのです。そこで番外編として『人生の最期に聴きたい曲』について書いてみることにしました。
あの日、病院から緊急招集された家族が集まる中、孫である私の息子が
連載【8】~【12】のサブタイトルを内容に合わせて変更しました😅
連載【12】刺繍教室クロスマァムのひよこ時代ー学びと出会いとそれから…
自分が欲しているモノごとは何故か不思議と目につくものである。ある日、アメリカのクロスステッチの専門店が奥沢にあることを知った私はすぐに訪れた。「ナオミーズ」というそのお店は、まさにアメリカンクロスステッチパラダイス! オーナーも素敵な方だったし、図案もじっくり見て選ぶことができた。緑ヶ丘に移転した数年後に閉店してしまったけれど、このお店の図案集との出会いもまた、英語レッスン同様に私の教室の方向性
もっとみる連載【11】刺繍教室クロスマァムのひよこ時代ー学びと出会いとそれから…
日本語があまり話せない彼女は基本的に英語だったけれど、一緒に作業してできた料理は美味しかったし、それをいただきながら英語のレッスンをするというスタイルは楽しかった。そして時には料理ではなく、カルトナージュのフォトスタンドやボックスなどをグルーガンで貼り付ける簡単な方法で教えてくれたりもした。もしリクエストしたら、クロスステッチも講習メニューになったかもしれない。でもその頃の私は、クロスステッチは
もっとみる連載【10】刺繍教室クロスマァムのひよこ時代ー学びと出会いとそれから…
とんとん拍子にスタートしたように見えるが、刺繍の何をどのように教え、伝えていくのか?自分はどんな教室を目指すのか? プレ刺繍教室とはいえ、特色は必要である。頭の中で色々とイメージする日々の中、私にはデンマークのデザイン以外にも魅力的な作品との出会いがあったことを思い出した。
それは、まだ上の子が2歳の頃のこと。隣のマンションの日本駐在のアメリカ人から、クッキング&イングリッシュのレッスンに誘わ
連載【9】刺繍教室クロスマァムのひよこ時代ー学びと出会いとそれから…
その夏は課題の針を動かしながら、自分が目指す「お教室」のことをあれこれ考えていた。学生時代アルバイトをしていた工芸教室や楽器店勤務時代でのピアノ・エレクトーン教室のことを思い出してはみたが、あまり参考になるとは思えなかった。
そんなある日、ふと思い出した言葉があった。それは子供時代に繰り返し遊んだカルタの読み札の言葉で、大人になってからも何故かちょっとした時に思い出すのである。「そうだわ、その
連載【8】刺繍教室クロスマァムのひよこ時代ー学びと出会いとそれから…
「刺繍の先生になる!」そう宣言したのは1995年7月の終わり頃だったかと思う。しかしその時私はまだ何者でもなく、少しだけ手先が器用なだけの1人の愛好家にすぎなかった。教えるからには責任があるのだから、先ず刺繍をきちんと勉強しなくてはと考えた。当然である。しかし子育て真っ只中の自分には学校に行く時間の余裕はなく、どうしようかと思いを巡らせていた。当時はスマホも存在しておらず、PCもほとんどの家庭に
もっとみる連載【6】 5歳と1歳の育児中の専業主婦が刺繍教室を始めることになった閃きとは?
その日は夫も仕事が休みで家にいたので、すぐに階段を駆け上がって勢いよく言った。「ねー、私、刺繍の先生になる!」
夫はポカンとした顔で「何それ?どうしたの?」みたいな返事をした。それは当然の反応だと思う。そもそも私は手芸関連の仕事をしたこともなかったし、夫と知り合った頃は楽器メーカーに勤めていたから「エレクトーンの先生になる!」の方が自然だったであろう。だけどその時の私は夫の反応など全く関係なく