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半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語53

「何一つ恩返しが出来なかった」


その朝は珍しく雪が降り始め、大雪の予報が出ていました。
出勤時間にはまだあまり積もっていなかったので、
とりあえず出勤したのですが職場に近づくにつれて雪は激しさを増し、
いつもの通勤路はあっという間に雪景色に変わってしまいました
慣れない雪道を慎重に運転している時に妹から着信がありました。
「もしもし、おはよう、どうした?」
「じいじいが危ないんだけど、この雪じゃこれないよね」
「え、あ、そうなんだ」
「すごい雪で、もうすぐ会社に着くから、ちょっと待って」
病院がある街はもっと雪が降っているようです。
ノーマルタイヤだし、とても運転しては行けません
職場に着くと、降りしきる雪の中
現場のスタッフの方が傘をさして私を迎えに出ていてくれました
「おはようございます」
「ありがとうございます」
雪まみれになりながら事務所へ入ると
「よくこれたね」
「これ、帰れなくなるかもしれないな」
と課長が心配してくださいました。
「課長じつは…」
父が危篤と伝え、
「駆け付けたいけれどこの雪ではとても運転できません」
と話始めたら涙が溢れ言葉にならなくなってしまいました
課長はすぐにグループ会社のKさんに
「送って行ってあげなさい」
「現場はおれがみるから、はやく」
スタッドレスタイヤを装備している会社の車に乗せて頂き、
雪で渋滞している道を病院まで送ってくださいました。
病院につくと妹が玄関で待っていて
送って頂いたKさんにお礼を言い急いで父のもとへ
父はもう意識がありませんでしたが、
どうにか手を握れ最後を見送ることができました。
雪の中を送ってくださったKさんと、課長に感謝です。
 
父の闘病は終わりました。
淡々と作業が行われ、兄はいろいろな手続き、母と妹は父を迎える準備のため実家に戻りました。
私は、暗く冷たい霊安室で病院関係者の義務的な焼香を受け、
一人で父に付き添っていました
 
「何一つ恩返しが出来なかった」
同じ屋根の下で暮らした時間はあまりにも短く、
私よりも兄嫁や従姉妹達のほうが一緒に過ごした時間がずっと多かった
幼いころは父親っ子でした。思い出すのはいつも笑顔の父、
夜寝るときはマヒして冷たく冷えた私の足を父の足で挟んで温めてくれました。
車の免許を取ったときは、助手席で缶ビールを飲みながら道案内をして、
結局遠い親戚の家まで行ってしまい、二人で一晩泊まって帰ったり
動物が大好きで、長男たつのりくんも次男くーちゃんも父が大好きでした。
実家に遊びに行くと娘でも孫でもなくワンちゃんを一番に熱烈歓迎でした
きっと、たつのりくんもくーちゃんも大好きな父といつか私が行くのを
待っていてくれるでしょう
いつか天国で逢えたら、父と一緒にビールを飲みながら
ゆっくり話がしたいなと思っています。
これもまた私の夢の一つです。

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