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看取り人 エピソード3 看取り落語(4)

 看取り人と所長以外の観客たちが外に出たのを確認すると鉄芯が入ったように伸びていた黒子の背筋が崩れるように折れる。膝の上に乗っていた茶々丸は飛び降り、後ろで控えていた看護師が慌てて身体を支える。
「ありがとう」
 黒子が発したその声は多目的ホールの隅々まで張り上げいたとは思えないほど弱々しかった。
 茶々丸が足元に両足を付いて座り、翡翠のような丸い目で黒子を見上げる。
「悪かったな。心配かけて」
 黒子は、茶々丸の頭を優しく撫でる。
 茶々丸は、嬉しそうに目を細めて喉を鳴らす。
「お疲れ様でした。師匠」
 所長は、丁寧に頭を下げる。
「師匠は、止めてくれや」
 黒子は、恥ずかしそうに頭巾を掻き、黒幕を捲る。
 現れたのはオセロひっくり返したような真っ白い顔。
 年齢は六十代後半と言ったところだろうか?新撰組の近藤勇を連想させるような角張った輪郭をしているが肉はカンナで削られたようにげっそりと落ち、頬骨や顎骨を浮き彫りにしている。黒装束に包まれているから分からないが身体も似たようなものだろう。鼻には酸素チューブが外れないようにテープで固定されている。そして目はイソジンを垂らされたように黄色く濁っている。
「このチビが所長の話した看取り人ってのかい?」
 師匠と呼ばれた男は黄色い目を動かして看取り人をじっと見る。
「お前、中々面白い目をしてやがるな」
 男は、チューブから流れる酸素を押し返すようにふんっと息を漏らす。
「幾つだ?」
「この間、十七歳になりました」
「早生まれか。高校は……あの有名な進学校か」
 看取り人の着てるブレザーの制服を見る。
「留年はしてないか?」
「お陰様で無事に進級出来ました」
「そりゃ僥倖、僥倖」
 師匠は、ニヤッと笑ってパイプ椅子の背に寄りかかる。
「俺は、お前の年にゃ無事に退学して入門しちまったからな」
 入門?
 看取り人は、意味が分からず首を傾げると所長が横から声を掛ける。
「この方ね。有名な落語家さんだったのよ。寄席にもしょっちゅう出ててポスターにも載ったわ」
 所長が師匠の落語家としての名前を口に出すが聞いたことはなかった。
 師匠は、露骨に顔を顰める。
「やめてくれや所長さん。あんま思い出したくねえんだ」
「……失礼しました」
 所長は、頭を下げて謝る。
 師匠は、看取り人に目をやる。
「落語にゃ興味ねえか?」
「テレビや芸能事には疎いもので」
 師匠は、ふうっと苦しそうに息を吐く。
「俺も随分前にクビ切られたからな。今更、知ってると言われても尻の座りが悪くならぁ」
 そう言って足元に寝そべって喉を鳴らす茶々丸を見る。
「そんじゃこいつのことも知らねえか?にゃんにゃん亭茶々丸って言えば有名だぞ」
 看取り人は、首を横に振る。
「Me-Tubeはやらねえのか?」
「ゲームはやりますが……」
 師匠は、浅く息を吐く。
「遊んだりは?」
「遊ぶ?」
「友達と出かけたり、趣味だったり……」
「特には……」
 小説を書くのは夢の為だから趣味と呼ぶには語弊があるだろう。それに友達と呼べるのは今のところ一人しか思いつかない。
 師匠は、怨みがましい目で所長を見る。
「所長さん、こいつはダメだ。とても任せられねえ」
 師匠の言葉に看取り人は特に戸惑いも傷つきもしなかった。
 選ぶ、選ばないは彼の自由。
 彼が看取り人を気に入らない、任せられないと言うならそれが事実なのだ。
 看取り人は、"分かりました"と言って帰ろうとした。
 しかし。
「いいえ」
 所長は、静かで、強い眼差しで師匠を見る。
「彼は私の知る限り最高の看取り人です。きっと貴方の望む最後を届けてくれますわ」
 そう告げる所長の目と言葉には少しの揺らぎもなかった。
 師匠は、黄色く濁った目で所長を見返し、小さく、浅く息を吐く。
「仕方ねえなあ」
 頭巾に包まれた頭を小さく掻く。
「任せるぜぃ」
「ありがとうございます」
 所長は、丁寧に頭を下げる。
 看取り人は、頭を下げる所長を三白眼でじっと見た。
 師匠の目が看取り人に向く。
「あんたにお願いしたいことは唯一つだ」
 師匠は、黒装束に包まれた自分の膝をポンポンッと叩く。
 喉を鳴らして眠っていた茶々丸が目を覚まし、師匠の膝の上に飛び乗る。
 師匠は、口元に笑みを浮かべ、愛おしげに茶々丸の頭を撫でる。
「俺は、もう長くない」
 看取り人は、三白眼を細める。
「医者の話しじゃもう全身に転移して余命一ヶ月もないらしい」
 師匠の手を茶々丸は小さな舌で舐め、じゃれつくように甘噛みする。
「それを聞いた俺に二つの望みが出来た」
「望み……ですか?」
 師匠は、頷き、茶々丸の頬を撫でる。
「一つは俺のように病気で蝕ませた人達を茶々丸と一緒に笑わせること」
 師匠の言葉に看取り人は所長の発した言葉を思い出す。
"結果的にはそうなったわね"
 それはつまりホスピスの入居者たちを笑わせようとした結果、アニマルセラピーに繋がったと言うことか。
「もう一つは……お前ににゃんにゃん亭茶々丸になって欲しいんだ」
 師匠が発した言葉を看取り人はうまく飲み込むことが出来なかった。
「僕は、人間ですが?それに異世界転生した猫でもありません」
「そう言う意味じゃねえよ!」
 師匠は、声を張り上げようとして激しく咳き込む。
 看護師が背中を摩りながら視線で看取り人を注意する。
 師匠は、息を整え、黄色の目で看取り人を睨む。
「こいつと一緒ににゃんにゃん亭茶々丸を演じて欲しいんだよ」
 師匠は、茶々丸を持ち上げて看取り人に見せる。
 看取り人の三白眼と茶々丸の翡翠の目が重なる。
「俺のもう一つの望み、それはにゃんにゃん亭茶々丸の最後の客になることだ」
 師匠の言葉に看取り人の三白眼が大きく開く。
 それは……つまり……。
 師匠は、茶々丸を膝の上に置くと深く頭を下げる。
「頼む。俺に茶々丸最後の高座を見せてくれ!」
 師匠の切なる願いに看取り人は、三白眼を震わせ、茶々丸は首を傾げて小さく鳴いた。

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