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看取り人 エピソード2 (終)

 あれから49日が過ぎようとしていた。
 暦では冬が終わりを告げるも寒さは続き、梅の木に小さな蕾が芽吹き出したものの正直、外で食べるのは辛い、そんな季節の狭間の中、看取り人はコートを着込み、使い捨てカイロを持ち、パソコンを広げてプールの裏で昼食を摂っていた。
 そしてその横には相変わらず先輩の姿もあった。
 1人用のレジャーシートに2人で身体を寄せ合って座り、足元に100均で買ってきた三段の重箱とホスピスで貰ってきたシウマイ弁当を広げる。
「ほらっ今日も作ってきたよ!お手製フルフル卵焼き!」
 先輩は、自慢げに三段の重箱の1番下を開く。
 三段ある重箱の1番下の段にプリンのように艶やかで滑らかな濃い黄色の卵焼きが一面を埋め尽くしていた。
 看取り人は、三白眼を細めてプリンのような卵焼きを見る。
「前回の反省を踏まえて卵を一個ずつ丁寧に焼き混ぜて、魚のすり身やきび砂糖を使って丁寧に焼き上げていったよ。甘いよー!蕩けるよー!」
 満面の笑みを浮かべる先輩を看取り人は半眼で見る。
「先輩・・・それって最早、卵焼きじゃなくて別の料理なんじゃ・・」
「へつ?」
 看取り人が言うと先輩は、口を半開きにする。
 看取り人は小さく嘆息しつつも「いただきます」と手を合わせる。箸では食べるのが不可能と判断し、エコスプーンでプリンのような卵焼きを掬い、口に運ぶ。
 この食感・・・味・・やはりもう卵焼きじゃない。
 卵焼きじゃあないけど・・・。
 先輩の切長の右目が看取り人をじっと見る。
 看取り人は、ゆっくりと咀嚼、飲み込む。
「甘い」
 看取り人は、小さく呟く。
「甘くて・・とても美味しいです」
 そう言って看取り人は、卵焼きをスプーンで掬い、口に入れる。
 先輩の表情が春の蕾のように華やぐ。
「先輩もどうぞ」
 看取り人は、シウマイ弁当を先輩に薦める。
「ありがとう!」
 先輩は、シウマイに醤油と辛子をたっぷり掛けて口に運ぶ。その瞬間、大きく鼻が膨らむ。
 だから、辛子つけ過ぎだ、と思いながらも看取り人は口にせず、それでもシウマイを口に運ぶ先輩を見る。
 先輩も看取り人に見られてることに気づいて頬を赤らめる。
「ど・・どうしたの?」
 先輩は、思わず声を上擦る。
「いや、似合うなと思って・・黒髪」
 先輩は、思わず自分の髪を触る。
 母親の葬儀を終えて49日を過ぎた今日、先輩は髪の色を金から黒へと色を変えた。いや、色を変えたと言うよりも色を戻したと言う方が正しいのだろう。耳に開けていたピアスも外し、口紅の色もトーンを一つ落とした。左目の眼帯は変わらないが、派手な印象から一転、可憐で清楚な面が浮き上がってきていた。
「クラスの人たちも驚いたんじゃないですか?」
「みんな二度見、三度見してきた」
 先輩は、恥ずかしそう下を向く。
「しかも一杯話しかけてきた。金髪の時は恐々だったのに今日は興味深々に目を輝かせて・・」
 そうだろうな、と看取り人は思わず納得する。
 金髪の時も決して似合っていなかった訳ではない。むしろ人形のような可愛らしさすらあったが、それが逆に現実離れしていて近寄りがたい雰囲気と怖さを与えていた。
 しかし、今の先輩は素だ。
 人形ではなく、人間としての愛らしさと魅力が際立っている。
 現実のものとしてそこに存在している。
「なんで黒髪に戻したんです?」
 誰もが聞きたがっていたが聞けなかったであろう質問を看取り人はさらりと口に出す。
 先輩は、一瞬でも驚いたように右目を剥き、そして恥ずかしそうに俯く。
「あれはね・・鎧だったの」
 先輩の言葉の意味が分からず看取り人は眉を顰める。
「ママから自分を守る鎧。自分を強く見せるための、強くなるための鎧・・」
 その言葉に看取り人は思わず納得する。
 化粧は、本来、目に見えない災害や悪霊などと言ったものから身を守るための呪いであり、自分以外の誰かに変化するための呪術や魔術として用いられていた。
 先輩がそんな歴史を知っているとは思えないが、本能的に言いしれない、目に見えない母親への恐怖から自分を変えよう、守ろうとして派手な装いをしたとしてもおかしくはない。後、母親に自分だと気づかれない為でもらあったのかもしれないと看取り人は思った。
「お母さんが亡くなって・・必要無くなったと言うことですか?」
 看取り人の言葉に先輩は首を横に振る。
「ママが・・・笑ってくれてるから」
 先輩の言葉に看取り人が眉を顰める。
「ママがね。夢に出てくるの?優しい笑顔で私に声をかけてくれるの。大好きだよって・・」
 先輩は、口元に嬉しそうな笑みを浮かべる。
「夢なんだけどね。笑ってくれるの。優しくしてくれるの?そしたらね。急に怖さが無くなって・・ああっママが私のことを愛してくれてる。そう思えるようになったの」
 看取り人の脳裏に泣き疲れて眠る先輩に精一杯の気持ちを込めて語りかける母親の姿が蘇る。
「ママの死に顔・・とても優しかった。なんで身体が起きてたのか分からないけど、最後の最後に少しでも私のことを見てくれたのかな・・そう思うだけで嬉しいの」
 そう言って先輩は、看取り人の顔を見て恥ずかしそうに笑う。
「荒唐無稽な話しでごめんね。こんなの小説のネタにもならないね」
 そう言って可愛らしく小さな舌を出す。
「そうですね。小説のネタとしてはあまりに陳腐です」
 看取り人の言葉に先輩の顔が強張る。
「でも、とても良い話しだと思います」
 そう言って看取り人は口元に小さな笑みを浮かべる。
 先輩は、頬を赤く染めて目を何度も瞬きさせる。
 そして嬉しそうに微笑んだ。
 和やかな空気が流れる。
 お互いの身体の触れ合う部分がほんの少しだけ暖かくなる。
「そういえば・・」
 看取り人は、先輩の顔を見る。
 先輩は、シウマイを口に入れようとして手を止める。今更なのに食べる瞬間を見られて少し恥ずかしくなる。
「なっ・・なあに?」
「先輩ってなんで僕とご飯を食べようと思ったんですか?」
「ふえっ?」
 先輩の口から間の抜けた声が漏れる。
「まさか本当にシウマイ弁当を食べたかった訳ではないですよね?」
 看取り人の三白眼が先輩の切長の右目を覗き込む。
 先輩の心臓が激しく高鳴る。
 看取り人と初めて出会った時の感情を思い出させる。
 それは今から7年前。
 叔母さんに引き取られた先輩は、様々な検査や手続き、ネグレクトによって獲得出来なかった基本的な知識や学力、常識を学ぶための発達支援センターに通っていた。
 短い期間に目まぐるしく環境が変化した先輩は付いていくのがやっとだった。
 さらに今まで関わったことすらない大勢の人たち、怖い人たちでないと分かっていても絶えず怯え、優しく面倒を見てくれている叔母さんにすら心を開くことが出来ずにいた。
 叔母さんもそんな先輩の心が少しでも解れほぐたらと近所にある大きな公園に先輩を連れてきた。
 緑と青空に挟まれた公園なら先輩の傷ついたこころが少しは癒されるのではないか?同世代の子供たちも多いし、上手くいけば友達も出来るのではないか?
 そんなことを思いながら連れてきたが先輩はいつも植林された木々の中に身を隠すように入り込み、大きな木のウロの中に入り込んだ。
 身を守るように。
 殻に込めるように。
 叔母さんは、そんな姪を悲しげに見るも声をかけたり、無理やり引っ張り出そうとはしなかった。
 いずれ本人から出てくる。
 そう信じて。
 先輩自身も叔母さんが自分のことを心配してくれているのが分かっていた。
 愛してくれていることも分かっていた。
 しかし、どう動いたらいいか分からなかった。
 何かをしようとすると、考えようとすると母親のことが頭に浮かぶ。
 恐怖で身が竦んでしまう。
 先輩は、母親の影から逃れるように心地よい闇の中に身を隠した。
 もうここから出たくない。
 消えてしまいたい。
 心の底から思ったその時だった。
「そこって楽しいの?」
 頭の上から声が聞こえた。
 淡々とした、よく通る男の子の声が。
 先輩は、顔を上げる。
 白目の多い、綺麗な目が先輩を見下ろす。
 それが三白眼という目の形だということを先輩はまだ知らなかった。
 それは綺麗な光沢の黒髪をした細い体つきの男の子だった。
 男の子は、じっと木のウロの中に身を顰める先輩を見る。
「そこは楽しいの?」
 男の子は、淡々と聞いてくる。
 先輩は、何が起きたのか分からず混乱する。
「隣座るね」
「えっ?」
 先輩が聞き返す間もなく男の子は強引に木のウロに入り込んで、隣に並ぶように座る。
 先輩と肩と少年の方が触れ合う。
 男の子熱い温もりが先輩の身体に伝わる。
 先輩の頬がぽうっと赤くなる。
 男の子は、そんな先輩の心境にまるで興味なさそうに眉根を寄せる。
「狭苦しい」
 少年は、先輩をじっと見る。
「これのどこが楽しいの?」
 少年の言葉に先輩はぎゅっと胸が締め付けられ、身を小さくして顔を伏せてしまう。
 別に楽しくてここにいる訳じゃない。
 そう叫びたかったが怖くて出来なかった。
 甘い香りがする。
 美味しそうな匂いに胃袋が刺激され、思わず顔を上げる。
 鮮やかな黄色が目に飛び込んでくる。
 いつの間にか少年が手に持っていた小さなお弁当が先輩の前に差し出され、その中で四角くて小さな黄色いもの、叔母さんがよく作ってくれる卵焼きが入っていた。
「食べる?」
「えっ?」
「お母さんが作ってくれたんだ。あんまりに美味しいから後で食べようと残してたの」
 お母さん・・先輩の胸にその言葉が突き刺さる。
「ここはつまらないけどこれを食べたら少しは楽しくなるかも」
 そう言って少年は指で卵焼きを摘み、口に放り込む。
「ほら君も」
 先輩は、卵焼きを睨むように見る。
 勇気を振り絞り、口の中に放り込む。
 ・・・甘くて美味しい。
 強張っていた先輩の顔が綻ぶ。
 それを見て少年は柔らかく笑う。
「誰かと一緒に食べるのって美味しいよね」
 そう言って少年は立ち上がる。
「あっ・・」
「もう行かないと・・」
 少年は、お尻の汚れを叩き、先輩を見る。
「また、遊ぼうね」
 そう言い残して少年は去っていく。
 先輩は、その背中に向かって手を伸ばす。
「また・・・遊ぼうね」
 先輩は、消え入りそうな声で言う。
 しかし、その少年と会うことはそれきりなかった。
 もう会うことはないのだろう。
 そう思いながら日々を過ごし、先輩は高校生になった。
 高校生になったも先輩の生活は変わらない。
 クラスの誰とも溶け込むことなく、髪の毛をケバく染め、ピアスを痛いほど開け、淡々と授業を受け、お昼になると食べる場所を探して学校の内外を歩いた。
 "話さない女サイレント・ガール"。
 そんなあだ名で呼ばれるほどに先輩はクラスメイトの誰とも話さず、教師とも、親代わりの叔母さんとすら必要最低限のことしか話さなかった。
 決して話しかけられなかった訳ではない。
 しかし、話しかけられても何を話していいか分からない。それどころか母親の姿が思い浮かび、心にに纏わりついて恐怖を生み、人と接することが出来なくなっていた。
 どんなに髪を染め、化粧で防御してもダメだ。
 自分はきっと一生このままなのだ、と本気でそう思っていた。
 そんな時だ。
 偶然、足を運んだプールの裏側の死角。
 そこでレジャーシートを敷き、シウマイ弁当を食べながら真剣にパソコンに向きあっている看取り人に。
 彼を見た瞬間、先輩は看取り人があの時出会った少年であると直ぐに気がついた。
 看取り人は、先輩が見ていることなんて気づきもせずにパソコンに集中し、機械的に弁当を摘んでいた。
 何よ。自分だって1人で食べてんじゃん!
 先輩は、何故かむすっとしながらも看取り人から目を反らすことが出来なかった。そして気がついたら声をかけてしまった。
 しかも、シウマイ弁当狙いを装って。
 本心を見抜かれないよう弾丸のように話しかけて。
 なんであんな大胆な行動が取れたのか今でも分からない。
 自分ではない何か大きな力が自分の身体と心を動かしたとしか思えない。
 でも、今なら分かる。その力の名前が。
 その力に言葉と名前を与えるとしたら・・。
「初恋って・・・やつかな?」
 先輩は、ぼそりっと言う。
「えっ?」
 聞き取れなかった看取る人は思わず聞き返す。
「なんですか?」
 先輩は、聞き返された事にむっと腹を立てた。
 そして次の日瞬間、看取り人の顔を両手で挟むと彼の左頬に一瞬、ほんの一瞬、唇を当てた。
 看取り人の三白眼が大きく開く。
 先輩の顔が熟した苺のように真っ赤に染まる。
 先輩は、慌てて重箱を纏めるとそれを無造作に抱えて立ち上がる。
「まっ・・・」
 先輩は、激しく高鳴る心臓を押さえつけながら言葉を絞り出す。
「また、明日!」
 先輩は、逃げるように走り去っていく。
 看取り人は、先輩の唇の触れた頬を触りながら呆然とその後ろ姿を見送り「また明日」と小さく呟いた。
 冬の空気がほんのりと暖かくなった気がした。

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