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看取り人 エピソード3 看取り落語(5)

 看取り人と先輩の前にクリーム色のふっくらと焼き上がったフレンチトーストが運ばれる。
 フレンチトースト用に店長が一から焼き上げた食パンに厳選した卵、牛乳、蜂蜜のみで焼き上げた店自慢の一品。クリームやメープルシロップと言った添え物はなく、ただ存在感のある分厚いフレンチトーストはそれだけで見る物を圧倒し、舌に味を想像させる。
 看取り人は、じっとフレンチトーストを睨むと用意されたナイフを使って丁寧に切り、フォークで口に運ぶ。
 先輩は、切長の目で彼が咀嚼する様子をじっと見る。
「美味しいです」
 彼は、そう言ってフレンチトーストをもう一口食べる。
 先輩の表情が華やぐ。
「美味しいよね。私もここのフレンチトースト大好きなんだ」
 そう言って先輩もフレンチトーストを嬉しそうに食べ始める。
 美味しいのもあるが看取り人と同じ物を食べて喜びを共有出来ることが何よりも嬉しかった。
 看取り人は、三白眼を持ち上げて先輩を見る。
「先輩は、良くここに来るんですか?」
「小さい頃、叔母さんと公園に遊びにいくと連れてきてくれた。君は初めてなの?」
 先輩は、フォークを咥えたまま首を傾げる。
 看取り人は、覚えてないようだが、彼と先輩が初めて出会ったのはまだ十歳にも満たない頃。この近くにある公園の木のウロの中だ。
 当然、彼も一度くらいは来たことがあると思っていたのだが……。
 看取り人は、小さく頷く。
「両親が外食嫌いであまりこう言ったお店には連れてきてくれなかったんです。迷惑かかるからって」
 看取り人は、淡々と答え、フレンチトーストを口に運ぶ。
 迷惑とは何だろう?
 それに両親が外食嫌いという割にはお昼はシウマイ弁当がほとんどだし、仕事の前はハンバーガーを食べに行ったりしてるのに……。
 しかし、先輩は、それ以上聞くことが出来なかった。
 まだ、聞いちゃいけない。漠然とそう思ったから。
「この店を選んだのは先輩のお家から近かったのとペット可だったからです」
 看取り人は、足元に目を向ける。
 看取り人と先輩の爪先に挟まるように茶々丸は店長が用意した猫用の減塩食を貪るように食べていた。餌を見せて何とか誘い出すことが出来たのだ。
「そうだったんだ……」
 先輩は、力なく言う。
 何となく予想はしていたが実際に聞くとがっかりする。
 嘘でも一緒に食べたかったからですと言って欲しかった。
 しかし、次の瞬間、看取り人はとんでもない事を言う。
「初めて食べるのが先輩とで良かったです」
 ふえっ⁉︎
 先輩は、飛ぶように顔を上げる。
 看取り人は、フレンチトーストを口に入れる。
「素直に美味しく感じます」
 きっと彼の言葉には深い意味はないのだろう。
 しかし、先輩にとっては心をキュンッと貫くに充分過ぎる言葉だった。
 先輩は、頭から茹でられたタコのように顔を真っ赤に染めて後ろにのけ反った。
 その表情は溶けると言う言葉が相応しいほどに緩んでいる。
 そんな様子をカウンターから見ていた店長が心配そうにため息を吐いた。
 フレンチトーストを食べ終わり、食後の飲み物、看取り人はアップルジュース、先輩がジャスミン茶を飲んでいると同じように食べ終わった茶々丸が先輩の膝の上に飛び乗った。
 茶々丸は、先輩の膝の上で身体を丸め、喉を鳴らし始める。その姿があまりに可愛らしく、先輩は思わず背中を撫でてしまう。
 看取り人は先輩の膝の上に乗った茶々丸を見る。
「僕にはそんなことをしません」
「あれだけブンブン振り回したらそりゃ嫌がるよ」
 先輩は、苦笑いする。
「師匠と同じことをしてるのですがダメですか?」
 茶々丸を預かってから一週間、実際に見た師匠と茶々丸の絡みを思い出し、Me-Tubeに上げられた動画を見て忠実に行ったのだが……。
「動物ってね。信頼関係が大事なんだよ。人間と同じ」
 君と私みたいに、と言おうとしたが言葉を飲み込んだ。
「それこそこの子と師匠は長い時間をかけて信頼関係を築いてきたんだと思うよ。君の言葉を借りるなら一長一短には出来ないって」
 先輩の言葉に看取り人は、うーんっと唸って顎を摩る。
「そうなるとこの子を動かすのは最小限にして落語で攻めるしかない訳ですねえ」
「まあ、そうなるねえ」
 先輩は、先ほどの看取り人の棒読み落語を思い出して引き気味に言う。
「それじゃあ、早速やりましょう」
 看取り人は、身を起こして茶々丸を先輩の膝から持ち上げる。
 その途端に茶々丸が小さく唸り出す。
 しかし、看取り人は気にもせずに茶々丸を膝の上に乗せ、前足を握ろうとして、止める。
 先輩の右目が不安そうに揺れているのに気づいたから。
「どうしました?」
「うーんっと……ね」
 さっきまで普通に話していたのに?
 先輩は、身体を居心地悪そうに揺すり、切長の右目を反らす。
 正直、自分には落語のことなんて分からない。
 叔母さんは着物デザイナーと言う仕事柄、落語家とも関わったりしてるので言葉の端々に落語の台詞を使って冗談を言ったりするがほとんど分からない。
 それに友達がMe-Tubeを見てるからなんて言ったが関わるようになったのなんてつい最近でそれまで話題の動画なんて見たことない。
 つまり自分が彼にアドバイス出来ることなんて何もないのだ。
 そんな自分が教えるよりも……。
「先生の方がいいんじゃ……」
 先輩の言葉の意味が分からず看取り人は眉を顰める。
「ちゃんと意見もらうなら……先生にお願いした方がいいんじゃ……」
 そう言ってから先輩は後悔する。
 いきなり先生のことを口にするなんて意味不明だし、流石の彼だってきっと何言ってんだこいつ?と幻滅するに決まってる。
 先輩は、切長の目を薄く開けて恐々と彼を見る。
 看取り人は、左手で茶々丸を抑えたまま右手で顎を摩り、視線を右上に上げる。
「それも考えたんですが……」
 考えたんだ……先輩は胸がちくんっと傷むのを感じ、泣きそうになる。
「でも、止めました」
 えっ?
 先輩は、顔を上げる。
「なんで⁉︎」
「何でって……?」
 看取り人は、先輩の質問の意味が分からないと言わんばかりに眉を顰める。
「僕をことをよく分かってるのは……何だかんだと先輩だと思うから……」
 他意はない。
 彼の言葉には他意もなければ裏もない。
 ただの純粋な言葉が溢れただけだ。
 ただそれだけの言葉が先輩の切長の右目を星が見えるほどに輝かせた。
「任せて!」
 先輩は、古い付き合いの店長が目を剥くほど大きな声を上げて胸を叩く。
「私が君を立派なにゃんにゃん亭茶々丸にしてあげる!」
 さすがの看取り人も先輩の声と態度に驚いて三白眼を見開く。
 茶々丸も彼の手の中で目を丸くする。
「あっありがとうございます」
 看取り人は、頭を下げる。
 それに連られて茶々丸も頭を下げる。
「始めましょう!」
 先輩は、鼻息荒く言う。
 看取り人は、茶々丸の前足を握り、身体を起こす。
「にゃんにゃん亭茶々丸でございます」
 歪みのない真っ直ぐな名乗りと共に落語を始める。

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