ありえないものたちの分解

 夜の虫の鳴き声は哀愁が漂っていて、漣が立つ。

 近頃は少しずつだけど、人が密集しない場所で友人たちとご飯を食べにいくようになった。流石に東京は怖いので、大体は地元の友人たちと時間を共にする。久しぶりに会うと話が弾み、会わなかった期間が嘘ではないかと思ってしまう。

 今年3月に見た映画のことが何故か頭にパッと思い浮かぶ。花束みたいな恋をした。終電を逃した男女が共に朝まで時間を過ごすことになり、お互いの好きなものを言い合うと恐ろしいほどにぴたりと一致する。

 いやいや、こんな世の中うまくできてませんから。それはご都合主義的過ぎませんかねえ、と横からちょっかいを出したくなる。それどころかちょっと白々しくも感じてしまった。でも、本に挟む栞に映画の半券を差し込むというのは、なんかこうこんな人いたら素敵だなと思ってしまった。

 きっとこれが、普通のコンビニのレシートだったらそんなに盛り上がりもしなかったし、ときめくこともなかったのではないだろうか。あ、あなたセブン〇〇〇〇に行ってこんなの食べてるのネ、あらこのピーナッツパン200円もするの?あ、普通のよりも上質なピーナッツバター使ってるんだー、ふーんなんか気になる!

 ……これはこれで案外盛り上がるかもしれない。

*

 さて、世の中にはあり得ないほど性格も嗜好もぴったりハマるという男女もいれば(それこそドラマのように)、神様もびっくりするほど不思議な体験をする人もいる。そういえば、私自身昔住んでいたアパートで誰か知らない人の存在を感じたことがある。

 部屋のカーテンの裏側で白い服を着た人が立っていた。この話をすると気味悪がられるけど、不思議と恐怖は感じなかった。人は小さい頃ほど霊感が強いということを聞いたことがあるが、確かに私は成長してそうした超常現象的な類のものを感じなくなってしまった。

 奥田英朗さんの『コロナと潜水服』。この本の中には、一見すると信じがたい現象を体験した人たちの話が5話収録されている。どれも、このコロナ禍で荒んだ気持ちを吹き飛ばすようなウィットとユーモアに溢れている。この方は元々直木賞受賞作品である『イン・ザ・プール』でその存在を知り、あまりの面白さに他の作品も以来継続してずっと読み続けている。

生活が垣間見えると、なんだか親しみが湧くのである。コロナのおかげで、今の日本人はいろんな発見をしつつある。(p.175)

 まず、表紙を見たときにそのデザインに思わず目がいってしまった。次いで『コロナと潜水服』というタイトル。なんとも今の世相を如実に反映しているではないか。ちなみに表題作は、コロナがちょうど蔓延している折に主人公の息子が不思議な能力を持っていることに気がつき、世間の白い目に晒されながらも主人公が半ば振り切った行動に出るという話。

 読みながら、うわあ確かにコロナが流行り始めた当時なぜか無駄に抵抗を示す人いたなあと思いながら文字を追っていた。

 早期退職に追い込まれた男性が経験した不思議な出来事や人気プロ野球選手と付き合うフリーアナウンサーの話、ずっと欲しかった車を手に入れた男性が奇妙な出来事に巻き込まれる話。さらりと読めて、読み終わった後は思わず肩の力が抜ける。

 そういえば8月になるとこぞってテレビで怪談話に関する番組がよく流れていたけれど、今はどうなってるのだろう。昔に比べてテレビを見る機会も少なくなってしまった。震えながらも怖いもの見たさで妹と一緒によく小さな肩を並べて見ていた。淡い思い出が甦ったけれど、奥田英朗さんの手にかかれば見えない存在は決して怖くないのだということを知らせてくれる。

*

 きっとこの世界には今だに科学で解明できないことが山ほどある。それでも、それらは必ずしも私たちの生活を脅かすものではないのだろう。守られている気持ちになることに対して、悪い気はしない。

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