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#8 映画についての愛を語る

 昨日は3回目ワクチン接種の副作用により、ほぼ一日仕事にならなかった。いやなるにはなったが、頭がぼーっとしている。前回も接種した時は、熱が出てベットの上でゴロゴロしていた。ただ天井を眺めて、事前に備蓄していたカロリーメイトを頬張る。久しぶりに食べると、悪くない味である。ちなみに好きな味は今も昔もフルーツ味。

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いつだって高揚する

 そういえばかつて緊急事態宣言が発令された時、自分は果たして何をしていたかなーと思い返す。ただただ、ひたすら映画を見ていた。1日に3本くらいぶっ続けで観て、大袈裟だが数年分まとめて堪能した気がしていた。

 金色に輝く休日を尻目に、外へ出られない事実にもがき苦しむ。その間、これまで自分があまり触れてこなかった映画にも挑戦した。わたしが生まれる前に撮影され、今も世界から絶賛される名作たち。なんでもっと早く観なかったのだろう。理由が自分の中で説明がつかない。ただの、食わず嫌いだった。

 コッポラの『ゴッドファーザー』シリーズ、黒澤明の『七人の侍』、フリッツ・ラングの『メトロポリス』、サスペンスの帝王であるアルフレッド・ヒッチコックの『39夜』、『裏窓』、フェデリコ・フェリーニの『道』。白黒映画をそれまでなぜか敬遠していたのだが、どんどん引き込まれていく自分がいた。

 インド映画を毎日観ては踊っていたし、『パルプ・フィクション』、『羊たちの沈黙』、『バタフライ・エフェクト』、『アメリ』、『ファイトクラブ』、『ミリオンダラーベイビー』など、洋画も満遍なく観た。その辺りから、あら映画ってこんなに面白いのねと改めて感じ入る。

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見えないけれど、存在している

 正直映画に関してはそれなりに観ているという自負はあるものの、流行病の前は毎日血眼になって観るほど好きかと言われると、言葉に詰まる感じだった。友人に最近映画を見ることにハマってるの、と言ったら「わたしはあかん。もう最近集中できへんで困ったもんやわ」と言われた。

 確かにその通り。映画館にいるとまた別だが、自分の部屋にいると色々と気が散ってしまう。だから集中するために昼間でも部屋を真っ暗にし、ポップコーンを用意し、ひたすら画面だけを注視する。こんなにも簡単に、異世界に迷い込むことができるなんて、何とコスパが良いのか。

 その瞬間、わたしは主人公に深く肩入れをしていたし、なんなら悲劇やら喜劇やらの人生を味わった気分になっていた。本を読む時の感覚と非常によく似ているが、動作がある分よりイメージがしやすい。様々な色彩が渦を巻いている。写真を撮る時にも、自然と映画で見た光景が浮かぶようになった。誰かの造られた人生を、トレースしている。

 映画の中には、撮影者が鑑賞者に対して伝えたい思いというものが多からず少なからず存在していて。なんとか、彼らが何を伝えようとしたいのかを理解しようと努める。画面の向こう側に存在している人たちと、対話をしている気分になってくる。

 そのうち気になった場面を、テレビの画面越しにパシャリと撮影するようになった。カメラワークの構図がとても参考になって、ああこんなふうにすればより劇的な感じで相手の心情に訴えることができるんだなとか、光の差し方や色の組み合わせ、改めてテーマを設定して見てみると気がつくことがたくさんある。

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めぐるめく魔法のかけら

 それは、本当に強烈な魔法にかけられたようだった。

 年齢を重ねることは決して望ましいことばかりではないだろうが、利点のうちの一つとして自分が様々な経験をしたことによって多角的な視点で見ることがあるのではないかと思う。

 改めて、昔見た映画を見直してみる。すると、かつては理解できなかった主人公の言動の意味や時代背景、伝えたいメッセージというものが炙り出されていく。自分のこれまで生きてきた道を、より深くしていく作業だ。

 その時はなんとも思わなかったことも、小さなことが気になり始めて、きちんと理解したいと思い始める。なんとなく、人との関わり方にも似ているかもしれない。かつての友人がとった言動。未熟だったわたしにはわからなかったかけらたち。

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相手を深く理解すること

 流行り病が少し落ち着き始めたタイミングで、何人かの友人たちと会う機会があって。その中には、昔自分が心許ない発言をしたことによって、少し距離が離れてしまった人もいた。そのときの自分の思慮のなさを思い出し、素直に詫びる。大抵は「そんな昔のことを貴方気にしていたのね」ふふっと笑い返してくれる。

 脳裏に引っかかっていたものが、少しずつポロリポロリと崩れ落ちていく。たくさんの後悔、やるせなさ、失望。誰も皆、自分自身の物語を持っている。彼らそれぞれが抱えている葛藤や悩みが、不思議と想像できるようになって、最近ではできる限り相手の立場を重んじて行動しなきゃな、という気持ちになる。

 結局映画と同じように、相手のことを正しく知ろうと思うのであれば、長い時間をかけて何度も何度も顔を突き合わせるしかないんだ。

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 あとは前よりも、一歩を踏み出すことに対して躊躇を感じなくなったかもしれない。なんだかんだと理由をつけて、忌避していたもの。新しいことに踏み出すのは怖い。けれど、その一歩さえ踏み出してしまえば意外となんとかなってしまうものなのだ。

 これまで観た映画も、またひとつずつ記憶を重ねるように観たいなという気持ちでいる。あとどれだけの人たちの物語を取り込むことができるんだろう。きっと観たら、誰かに対する新しい愛が芽生えるような、そんな高揚感に捉われている。

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「今日の調子はどうだい?ああ、わたし?うん、悪くないよ。最近は割と生きることが楽しいんだ。おかげさまでね」

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