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今も、気がつけば側にいるような

 僕の伯父さんは変わっている。少し、いやだいぶ変だ。

 今のこの時代、安定した職を持つ事が当たり前。貯金だってそれなりに持っているべきだということは、見通しのつかない将来を考えてみても世間一般の通説だ。決まった仕事もなく、年がら年中どこほっつき歩いているのかわからない人がいるのであれば、その人は否でも応でも世間では白い目で見られる。生きづらいことこの上ない。

 そんな風潮にも関わらず、伯父さんはひたすら決まった職を持たずに、全国各地を渡鳥のように練り歩いていた。

 他の人のようにあくせく社会の歯車として働くでもなく、取り立ててこれといった特殊な技術だって持ち合わせていない。ただ僕が唯一おじさんのことを尊敬できるところがあるとすれば、それは何ものにも縛られず、自由気ままに生きているということ、ただそれだけだった。

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 伯父さんは、いかなるときも迷子だった。

 いつも僕の母さんも父さんも、おじちゃんおばちゃんも、なぜか伯父さんのことをそれとはなしに気にしている。一緒にご飯を食べているときも、なぜかふとした拍子に伯父さんの話題が出るんだ。母さんなんか、伯父さんの傍若無人な振る舞いのせいで泣かされてばかりいるのに、どうしてそんなにも伯父さんのことを気にかけるのだろうと僕は内心いつも不思議だった。

 そして伯父さんはいつもみんなが忘れた頃に、まるで何事もなかったかのような顔をして帰ってくるんだ。不思議なことに伯父さんが僕の家の敷居を跨いだだけで、ぱあっと家が明るくなる。帰ってくるなりおばちゃんがいそいそと伯父さんのために豪勢な食事を作って出迎える。いつも伯父さんに対して不満ばかり漏らしているおじちゃんも、この時ばかりは笑顔になる。母さんはいつもより笑い上戸になるし、いつもは無口な父さんも伯父さんとの食事の間だけは口達者になるんだ。

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 伯父さんの振る舞いを見て、子供っぽいとはこういうことを言うのだと僕は当時子供ながらによく考えた。(今思えば、僕自身もませたガキンチョだったに違いない。そのことでよく伯父さんにネチネチ言われていた。)

 よく言えば童心を忘れない人、悪く言えば自己中心的。伯父さんはいつだって自分の心に忠実だった。ある程度物事の分別がつくような年頃になると、だんだんみんな節度をわきまえるようになる。社会の歯車として、少しでも規律の乱れた行動を取らないようにと注意深く周囲を見渡し、それから慎重に行動するんだ。

 でも、伯父さんの頭の中の辞書には「節度をわきまえる」なんて言葉は存在しない。もしどんな意味かを伯父さんに尋ねたら、きっと豆を鬼に向かってばら撒く日か、なんて頓珍漢なことを言うに決まってる。

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 伯父さんは僕の家に帰ってくるたびに色んな人に迷惑をかけて、最後はまるで風のように消えていってしまう。普通であればそんな気の狂ったような人は世間から爪弾きになるようなものだけど、しばらく経つとみんなが伯父さんの話をしはじめるんだ。本当に不思議な魅力を持った人だった。

 自分の感情に素直でもあったし、それは即ち他人の感情に対してもすこぶる敏感ということでもあった。僕の周りでは、そんなひと伯父さん以外に見たことがない。みんな善人そうな面を被っているだけで、本心では自分の保身ばかり考えている。本当に困った時に助けてくれる保証なんて、全くない。

 そういった意味で言うと、伯父さんは真に心の通った人間だったと言えるのではなかろうか。

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 伯父さんがいなくなって、気がつけば十年余りの時が流れた。

 おじさんの最後は実にあっけないものだった。ある時僕の家の軒先で倒れて慌てて母さんが病院へ伯父さんを連れていった時には、もう医者の手がつけられないほど病状が進行していた。そのまま僕の両親と祖父母に見守られて息を引き取った。とても綺麗な寝顔だった。

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 伯父さんがまだ元気だった時、一緒に数日間だけ旅したことがある。あれは思えば奇妙な時間だった。燃えるような夏の日差しと、どこからか聞こえてくる楽器の音。

 母さんが言うには、伯父さんは昔から何かと惚れっぽい人だったようだ。僕と旅した時もご多聞に漏れず、旅先で出会った女の人の後にくっついて行ってしまい、残された僕は一人で旅先の小さな島をぶらつくことになってしまった。

 「何なんだあの人は」と思ったけれど、今振り返ってみると決して嫌な思い出ではないのだ。それどころか、心地よい夢を見ていたのではないかとさえ思えてくる。

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 ある時、ダメもとで伯父さんに「人間は何のために生まれてきたのか」と聞いたことがある。

 どうせ伯父さんに聞いたところで明瞭な答えは絶対に帰ってこないとその時は思っていた。ところが意に反して、伯父さんは少し考える素振りを見せ、「俺には難しいことはわからないけどよ、」と前口上を述べた。

「俺には難しいことはわからないけどよ、あー生まれてきてよかったなと思うことがなんべんかあるじゃない。そのために人間生きてるんじゃないのか。」

 その質問をした時、僕は高校生だった。伯父さんの回答はその時は正直意味がよくわからなかったけれど、あれから歳を重ねて世の中の甘いも酸いも噛み分けた上で思うことは、伯父さんの言葉は正しかったということだ。

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 あれから伯父さんは何をしているのだろうか。きっとこの空の上のどこかで、綺麗な女の人と一緒に美味しい酒を飲んでいるんだろうな。できることならまたいつか、伯父さんと一緒に肩を組んでお酒を嗜みたいものだ。

#男はつらいよ  より内容一部抜粋



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