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#7 山についての愛を語る

 全身がじわじわバキバキになり始めているのがわかる。いわゆる遅れてやってきた筋肉痛というやつで、むぅとどうにもならない痛みと闘いながら、布団の中で丸まっている。普段から運動していないと、厄介な事態に巻き込まれることになるわけだ。

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渡り鳥

 友人に誘われて、久しぶりに山へと登った。埼玉の奥地にある、笠取山という山である。その友人は、その昔ワンダーフォーゲル部に所属していたそうで、無知な私はワンダーってなんだか夢があるよなぁ何するのだろうと当時は頭にはてなマークが飛び交っていた。

 それからワンダーフォーゲルとは、山の中をさすらう青少年のことを指すのだと知る。どうにも聞きなれない言葉だと思ったら、ドイツ語で「Wandervogel」と書き、渡り鳥という意味らしい。なんて素晴らしい言葉なのかしら!とGoogle先生の前で敬礼したい気分になった。

 今回登った笠取山は、標高2,000m近くで、高さとしては初中級者向けになるのだろうか。正直、割と久しぶりに「山を登る」という行為を行ったため、なかなかにしんどい路であった。それ以上に、問題は天候である

 朝7時に集まり、車で埼玉と山梨の狭間を目指す。途中迷ったこともあり、10時ごろに登山口へたどり着いた。友人含めて4人で登山道を歩むことになるが、その時は少しばかり天気が怪しい。一抹の不安を抱えながらも、我々は出発することになる。

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なごり雪

 春だというのに、山には雪が残っていた。それどころか、空からちらちらと細かな雪が降っている。過去わたしは同じ友人に誘われて何度か山を登ったことがあるため、その時からの教訓として「山は舐めるな」ということを身をもって体感していた(寒さほど恐ろしいものはない)。

 ということで、割かし重装備で山の中を歩いていく。雪が降り積もった場所は、思いのほか足を絡めとられる。予想だにしない深さである。最初はざくざくと軽快に進んでいたが、ズボッズボッという音に変わった。

 しんしんと降り積もる雪は傍から見れば幻想的ではあるが、いざ自分がその渦中に放り込まれるとやめてくれ!ひゃっこい!(地元の方言)と無言の叫びが渦巻くのである。

 せっかくなので、山を登る途中に同行者たちに山への愛を聞いてみた。ひとりは「ふっ。貴方の質問は愚問よ。そこに山があるから登るんじゃない」という人もいれば、「いや登るのは嫌いよ。計画するところに愛を感じるんじゃない」という人もいる。最後に聞いた人は、「むしろ山登った後ですねぇ。登り終えた後のビールときたら…」と恍惚とした表情を浮かべる。

 あとは朝早く起きているから健康的、山登った後にご飯を食べても運動しているから罪悪感を感じない、といった意見もあったが、いやいやそれでは山に登らなくてもよいのでは?というツッコミはしないでおく。

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心臓破り

 結論から述べると、今回の登山に関しては行くも帰るも地獄(初心者の私からすれば決して大袈裟ではない!)。頂点が見えなかった。

 わたしたちは生きていくうえで、常日頃より過剰なストレスにさらされているが、成長していくためにはひとつひとつ山を登る感覚でステップアップしていきなさいと昔誰かが物知り顔で言っていた。身をもってその状況を体感すると、もうそんな悠長なことを言ってられないというのが正直なところである。

 なによりも進むにつれて、この季節にもかかわらず吹雪きはじめて目の前が痛い。えらい状況に巻き込まれつつあるということを、わたしたちの中にある危機センサーが告げていた。片道2時間かけて山小屋へたどり着いた時にはほっと一息ついたが、そこからさらに30分ほど進んでいくと、最後の「心臓破りの坂」が控えていることに愕然とするのだ。

 この場所が、一番つらかった。登山初心者かつここ最近運動不足が加速したわたしには、地獄の道にしか見えなかったのである。それでも、なんとか30分ほどかけて、直滑降する恐怖と闘いながらなんとか頂上までたどり着く。安堵のあまり、写真を撮ることも忘れた。

 それからまた3時間ほどかけて、ゆったりもったり下山する。わたしが山を登ったことによって得られた成果はどこにあるのだろうか。こんなにもしんどい思いをして見えてくる愛とは何なのだろうか。

 ちょうど2年ほど前に、情熱大陸において登山家の平出和也さんが出演している回を観た。彼はその最高点の頂に達する最中で、凍傷により指を失っていた。何がそこまで、山を登ることに駆り立てるのだろう。

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バンビの住む山

 帰り際、数匹のバンビを見た。彼らは春の訪れを喜んでいるようにも見えたが、わたしたちの存在を認めた瞬間、瞬く間に去っていった。直面した時のわたしたちの驚きと言ったら。

 下山時に再び山小屋へ立ち寄り、お湯を沸かして寒い寒いと手をこすり合わせながらカップラーメンを食べる。その時間の愛おしさ、何とも表現しがたい。喜びとは、つらさが極致を超えた先にあるのかもしれない。

 人それぞれ行き着く先があるのかとは思うが、ありきたりだけどわたしは山を登ることに人生の在り方を見た。決して思うようにはならない世界。安心していると、思わぬ形で目の前に障害があらわれる。

 昔誰かが言っていたけれど、ほとんどの場合「その困難は乗り越えられる者にしか与えられない」。それは半ば真実でもあるし、ある人にとっては受け入れがたい考え方かもしれない。

 生きていく過程ではどうにもならないようなことがたくさんあって、それでももしかしたらこれまでにないルートを探し求めることによって、その頂点に達することができるかもしれない。そんな淡い期待を込めて、またいつか山登りに挑戦したいと思う。

 笠取山から、ままならない人生に対しての愛を謳って。

故にわたしは真摯に愛を語る

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