見出し画像

リーダーの素質

私は学校を卒業して、障害者福祉施設に入職した。

社会人一年目の私に、主任は、「将来的には小規模の施設を立ち上げたい。」と言っていた。
直属の上司は、「将来的には高齢者施設を立ち上げたい。」と言っていた。

二人とも、土地を持っていた。
私の地域では、土地を持っていることは珍しくなかった。
土地とは言っても、ピンキリがある。

 
素直に、すごいなぁと思った。
私は人の上に立つことや起業や施設長になる気は全くなかった。

「ともかさんちにだって土地はあるでしょ?やってみたらいいじゃない。」

と言われても
土地があろうとなんだろうと
私は施設を立ち上げる気なんてサラサラなかった。
雇われの身でいいし、下っ端でいいのだ。

 
そう思っていたのに、新卒入職して半年後には二事業責任者…主任となってしまったのだから
世の中はそう上手くはいかない。

 
主任らの夢を聞きながら
私はむしろ、今の職場が倒産したなら
雇われたいと思ったし
施設長になるより別の夢を描いた。

  
私の家には確かに土地があった。
施設を建てるにあたって十分な土地だ。
私の地域はまだまだ障害者福祉事業が遅れていて
施設はなかった。
研修中、今ならば補助金は高いし、参入するにはいい機会だと言われていた。

 
 
それならば私は、施設ではなく、家族みんなで事業をしたかった。

父親は小学校の先生だし、中学校の教員免許もあった。
母親は幼稚園の先生、保育士、調理師、ヘルパーを持っている。

様々な学年の子を両親が見て
私が障害者や障害児を見て
みんなで我が家の田畑で野菜やお米を作って
みんなで料理をして食べたら
どんなに楽しいだろう。

 
そんなことを思い描いた。
フリースクールと児童施設を合わせたようなイメージだ。

資格や諸々で現実問題、叶うかは分からないが
冗談半分でそんな夢を時々家族で話した。
悪くないな、と思ったり、言いながら。

 
 
 
私は自分にリーダーの素質はないと思っていた。
向いていないと思っていた。

それなのに学生時代、学級委員も部長も委員長も全てこなした。
何故だ。何故みんな私を推薦し、投票するのだろう。
真面目なだけで、私はリーダーに向いていない。
陰キャは陽キャに勝てないのだ。
上手くまとめられないのに、どうしてだろうか。

  
小学生時代、児童会には入っていた。
小学生版生徒会役員で、六年生の時に男子二名女子二名で行った。
それは確かに立候補した。
友達と一緒だったし、その二人の男子は優しくていい人だったからだ。
大好きな三人とならば、やっても構わなかったし
実際活動は楽しかった。

 
 
同じようなノリで、私は中学生時代に生徒会役員に立候補した。
名目は生徒会会長志望だが、私は絶対に会長に選ばれない自信があった上での出馬だった。
私の狙いは副会長か書記か会計だった。
補佐になりたかったのである。

だが、私は落ちた。
生徒会役員になる器や人気はなかった。
代わりに、委員会委員長になった。保健委員だった。
生徒会役員と委員長は兼任できないルールだったので、私がなった。

 
学級委員や部長、委員長に推薦されるが
生徒会役員にはなれなかった人。
 
それが、私だった。


 
高校に入学した際、学年上位の成績ではないと学級委員になれなかったのだが
二年生の担任は、そういった条件を設けず、クラス全員の中から推薦で学級委員を決めた。

 
投票数の順番から

委員長
副委員長
会計
書記
庶務

が決められ、私は庶務であった。

 
クラス人数は40人くらいいて、その内の5位人気ならありがたい。

 
任期は一年だったが、三年生になって投票した際、また同じメンバーが選ばれた。
役職は一部変わったが、私は庶務だった。

二年間庶務だった。

 
私の親友は副委員長で
元同じグループのAちゃんが委員長
Bくんが会計で
Cくんが書記だった。

 
私達5人は仲が良かった。
もともと親友ともAちゃんとも学校外で遊ぶ仲だったし
BくんもCくんも穏やかで優しかった。そして個性が強かった。

私が高校三年間で唯一メアド交換した男子は、Bくんだった。
あとの男子とは仲が良くなかった。普通だった。
Cくんとは電話番号しか交換しなかった。

私はBくんとは時々、メールをする仲だった。

 
「一緒に遊びに行きたかったけど、誘う勇気がなかった。」と
高校卒業後にメールをもらうが
私とBくんの間に恋は芽生えなかった。
あくまで、友達だった。
「誘ってくれたら、普通に遊びに行ったのに。」と返せるくらい
私は友達だとしか思っていなかった。

 
CくんはAちゃんが好きだった。
フラれてもなお、Aちゃんが好きだった。
Aちゃんを好きな男子はクラスに4人もいたが
Aちゃんは全員ふり
大学に進学してから東大の彼氏ができた。

学級委員に選ばれるくらい人徳があって、モテる女は違うなぁ……

と、しみじみ感じた。

 
Aちゃんは、ショートカットでスラッとした知的な美人だが
スカート丈は標準だった。
メイクもしていなかった。
真面目なしっかり者だった。

 
私はなんとなく男子は、明るく優しく愛嬌があって、かわいい、スカート丈がやや短い、髪が長い子が好きだと思っていたから
Aちゃんがクラスで一番異性人気が高いのは意外だった。
時点は、私と同じグループの子で、穏やかで癒やし系で大人しい、ややポチャッとした子だった。
確かにいい子だったが
やはり男子人気が高いのは、ちょっと意外だった。

 
クラスには、私が「マドンナ」と呼んでいた、スタイル抜群の美人さんがいた。
他にもたくさん、明るく優しくかわいく男子ウケ良さそうな子がいた。

だが、男子が惚れたのは、どちらかといえば大人しく地味めな彼女らだった。

 
私と男子で、異性ウケがいい女性の定義にズレがあると感じた瞬間だった。
中学時代は、男子人気が高い女の子は私から見ても納得だったのだが
高校生になり、彼女にしたい人となると、また色々求めるものは違うのかもしれない。

  
とりあえず思ったのは
「フルくらいなら、一人くらい私に恵んでほしい…。」
だったし
「Bくん、高校卒業前に、デート誘ってくれよ…。」
だった。

 
共学に進学したにも関わらず、私は男子と特に何もなかった。
初デートはしたが、同じ学校の人じゃなかったし、彼氏はできなかった。 

一学年1000人もいて、花の高校時代に手に入れたものは
男子一人のメアドだけなのだから、寂しいったらない。

 
 
 
話がだいぶそれたが、私は学級委員等、団体の中の頂点に立つのは嫌いだが
学級委員会や児童会等
何人かの役員がいて、かつ、代表じゃないという環境が一番心地良かった。

 
大学で料理サークルに入った際も
私は幹事役を任されたわけだが
部長や副部長と仲良くやっていたし 
二人が人知れず仲違いした時
二人からこっそり、それぞれ相談をされ
さり気に仲を取り持ったこともあった。

  
私は自分で自分を、そういうポジションが向いていると思った。
 
 
決して代表になるタイプでは私はない。
クラスにおいて、ヒエラルキー頂点グループになったことはないし
地味なグループにいたし
ただし、地味なグループの中でお笑い担当というか
目立つ位置にはいた。

それが私だった。

 
仕事に人間関係が絡むと面倒だとも思っていた私は
家庭教師とか、試食販売だとか、チラシ配布だとか、データ入力だとか
そういった、マイペースである程度単独にできるものを選んできた。

自分で自分の適性が分かっていたのだと思う。
基本的にどのバイトも、自分から辞めたことはなかった。
せいぜい、学年が上がった際に授業の関係で、某家庭の希望日に家庭教師をすることができなくなって断ったくらいで
それ以外に関しては、自らバイトを辞めたことは一度もなかった。
やるからには、やり続けたい性分なのだ。

 
 
 
高校時代に、しげるというあだ名の、仲の良い子がいた。
彼女は学級委員で学年トップのしっかり者で、スポーツ大会でバレーチームリーダーを担当した際

リーダーといったら、城島茂だよね

というノリで、あだ名がしげるになった。 
 
 
しげるは確かにリーダー向きだった。
しっかりしていて、優しくて、ポジティブで、負けず嫌いで
人をまとめたり、引っ張る力があった。
しげるはみんなに好かれていた。
私もしげるは好きだったし、高校卒業し、今でも連絡したり、遊ぶ仲でもある。

しげるは部活動が実質禁止な我が校で、部活をやりながら学年トップをキープした。
私は数学成績がクラストップだったが、彼女に、どうしても数学が勝てなくて悔しかった。

 
しげるは新卒で入社した大手企業で、今でもバリバリ働きつつ
二人のお母さんである。
男の子と女の子を生み、意図した訳ではないのだろうが、産み分け上手だと思った。
旦那さんも義母も優しいらしい。

 
私の周りで、新卒で入社した会社にまだ残っている女友達は、しげるだけだった。
根性が違う。
会社でも手腕を発揮しているらしい。

 
私は彼女に憧れていた。

仕事をバリバリこなし、優しい旦那さんと義母、子どもに恵まれ
妹ともめちゃくちゃ仲が良いし
趣味にも全力で燃えている。
スタイルは出産してからも抜群だから、頑張ってキープしているのだと思う。

色々悩みや大変なことも多々あるようだが
私から見たしげるはキラキラ輝いていて、羨ましかった。

 
 
  
私は確かに新卒で入職した施設で11年二事業責任者をやっていた。 
だが、それは私に力があったわけではない。

上や上司の指示をあおぎ
ベテランのパートさん達の意見を聞き
利用者や保護者に支えられ
何より私は、自分の事業の仲間に支えられた。

  
ある同僚が私を「勇者」だと言った。
そうかもしれない。
私は事業部のみんなと同じパーティーだった。
みんなは最高のメンバーだった。
みんなはそれぞれ特技があって、優しくて、私の指示に従いつつも、意見を伝えてくれてありがたかった。

【ともかさんの長所は、芯が強く、信念があるところ】
 
そんな風にも言われた。
立ち向かう勇気がある、とも。

 
 
だけど、私が戦えたのは
守るべき利用者がいたから。
仕事が好きだったから。 
仲間がいたから。

 
 
退職して、ビジョンが持てない私は、弱かった。

仲間がいない、好きな人が周りにいない私はちっぽけで
11年間の経験値が転職に役立つ自信なんてこれっぽっちもなかった。

 
だから、現場職員希望で内定をもらった、今年の三月に、「新規施設で管理者採用で考えています。お金はたくさん出しますよ。」と言われた時

無理無理無理無理!
私には無理!
お金がほしいわけじゃない!

と、私は内定を蹴った。
前職の2倍という破格の給料だったのに
私は内定を蹴った。

 
「11年の経験あればできるよ。」

無理。

  
「給料高くていいじゃん。」

そんなにお金いらない。
お金より、責任感が少なくて休みが確保できる仕事がいい。

  
「人間関係一から作れていいじゃん。」

今までタッチしてない分野で、みんなをまとめて引っ張る自信ない。
一言で福祉職って言っても、分野は前職と違うのに、いきなりリーダーなんて無理。

 
 
「ともかさんは、責任者向いてるよ。一緒に働きたくなるし、任せればなんとかしてくれそうって、みんなを思わせる力がある。

プライベートのともかさんしか知らないけど、リーダーの素質はあるよ。」

 
嘘だ!
嘘だ!嘘だ!嘘だ!嘘だ!嘘だ!

 
私はリーダーなんて向いてない。 
だって、リーダーに向いていたら、前の職場で退職に追い込まれなかった!
私に力がないから退職になったのに
新天地でリーダーなんて荷が重すぎる!!

 
 
私は内定を蹴った。

まだ有給休暇消化中だったし、焦らなくても福祉職ならたくさんあると思っていた。

だけど…

 
「管理者やってくれませんか?」

 
「管理者やってくれませんか?」

 
「管理者やってくれませんか?」

 
 
私は現場職員を希望しても、希望しても
管理者採用しか話はなかった。

確かに福祉職は人手不足だし、経験者で資格がある私は、施設や企業側からしたら、なんとしても欲しい人材だったのだろう。

 
障害福祉分野、障害児福祉分野は、とにかく管理者が不足していた。
求人がたくさん出ていた。

 
私は逆に経験者だから、知っていた。
管理者がどれだけ大変かを知っていた。

 
 
まだ、アドバイザーがいるなら話は違かった。
年齢も年齢だし、経験年数や資格から
私が管理者になるのは自然ではあった。

福祉の世界では、管理者や主任は30代が普通だ。
新卒で主任になったのが異常だっただけだ。

 
だが、私が気になった施設や企業に限って、私が応募している施設での管理者ではなく

新規施設の管理者採用

の話をしてきた。
働く職員も新たに集めているという話ばかりだった。

 
嫌だ。
私はマニュアル通りに働きたいんだ。
新たにルールを決めるのは苦手なんだ。
人の上に立ちたくないんだ。

嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

 
 
 
そうして、管理者を避けた場所で働こうとしたらことごとく不採用になり
私は自分の適性が分からなくなっていく。 

 
 
12月に入り、久々に働きたい!と思う仕事を見つけ、私は内定をもらえた。
現場支援職員採用だったが、相談員をやってほしいと話があった。

まぁ相談員なら…
前職でも半分そんな業務だったしな……
相談員のが給料高いし
頑張ってみるか!

 
そう前向きに捉えた後、「実は……」と話があった。
 
【施設長及び現場職員は近々全員辞めるので、ともかさんには施設長をやってほしい。】 
 
 
……………………え?

 
 
施設見学の時点で私は面接官に気に入られていたし、面接はほぼ採用が決まったような状態で行われていた。

長い長い転職活動を終え、ついについに働ける!

と、思ってハイテンションだった私は 
全職員が辞めるという現実に打ちのめされた。

 
面接官「真咲さんは真面目だし、芯がしっかりしている。見学時に私はあなたを気に入りました。
ほうれんそうをしっかりしてくれて、人に寄り添える人は、面接をした中で、真咲さんがずば抜けていました。
 
施設長を任せるなら、真咲さんしかいないと、今日の面接で確信しました。」

 
私「ありがたいお話ですが、急なことで、正直まだ心の整理がつきません………検討させてください。」

 
私は面接会場を後にした。

 
また同じパターンだと思った。また管理者採用の話だ。
私は現場職員になりたいのに。
年齢的にノウハウを学んでから、ゆくゆくは主任は仕方ないと思う。

だけど、どうしていつも、まっさらな状態で私を管理者として任せるんだ。
どうして…
どうして現場職員や主任採用はされないの?

年内で仕事が決まると思っていた私の落胆は凄まじかった。
両親が「できる!やれ!」と言ったこともまた
私にはプレッシャーがひどかった。

 
いつまでも無職でいられない。
失業者が増えているコロナウィルスの今
会社本部の人に気に入られて採用されるのは
確かに悪い話ではないのかもしれない。

  
だが…しかし………
全職員が辞めるって、ブラックなんじゃあ……………

 
そんな私に、友達は熱く伝えた。

 
友達「えー!いいじゃん。リーダーならやりたい放題だし、転職先でもマウントとれるよ。」

 
私「私はマニュアル通りに働きたい……誰かの色に染まりたい。リーダー向いてないよ。」

 
友達「どうして?」

 
私「だって、私、臨機応変苦手だもん。計画的に物事進めたいタイプだし、せっかちだし、リーダー向いてないよ。」

  
友達「計画的って、リーダー向きなんじゃない?見通し立たない人じゃまとめられないし、みんな予定や目標分かって、日常で仕事やりやすいじゃん。

リーダーが計画的なら、臨機応変に対応しなきゃいけないトラブルが減るんじゃない?」

 
私「私、グループワークやチームスポーツ苦手なの。活躍してない人いると、どうにかしたいって思ったり、自分の失敗が足引っ張ってるって落ち込んじゃうし、担当決まってない、役割決まってない活動だと、自分や周りをいちいち気にしちゃうの…。」

 
友達「いちいち考えてるの?体育のバスケとかで?疲れる性格だね。」

 
私「でしょ?だから向いてないんだって。」

  
友達「逆でしょ?普通はいちいち周りなんか気にしないでやりたいようにやるよ。私なんかそうだよ。だからみんな、私を学級委員とかに絶対選ばない。危なっかしいじゃん。

リーダーって、シフト決めたり、仕事ふったりするから、ともかちゃんみたいに周りを見ている人のが仕事上手くふれるんじゃない?
ともかちゃん、担当や役割曖昧なの嫌いなんでしょ?だから、キッチリ、仕事マニュアル作ったり、担当ふるでしょ?」

 
私「前職では、マニュアル作ったり、担当ふってたね。曖昧が苦手だから、何日までに仕事やって、って締め切りもうけてた。本当の締め切り三日前とかに設定してた。
人生何が起きるか分からないから、三日の猶予があるかないかで、達成が変わるんだよね。

心配性だから、決め事する時、いちいち周りに相談しちゃうし、何かあった時に言わずにいられない。」

 
友達「話聞けば聞くほど、リーダー向きだと思うけど。

ともかちゃんが嫌がっても周りがリーダーやらせたいのは、本質をみんなが見抜いているからだよ。リーダー向いてない、って言っているの、ともかちゃんだけで、家族も友達も面接官も前職の人もリーダー向きって言ってるでしょ?」

 
私「まぁ………今までなんとかやってこられたから、リーダー素質0とは思わない。リーダー向きとも思わないけど。」

 
友達「自分で殻に閉じこもっちゃダメだよ。まずはやってみればいいじゃん!嫌なら辞めればいいじゃん。」

 
 
嫌なら辞めればいい、か。
それが私はやりたくないんだよ。
学校や仕事のような、長期戦で責任感が伴い、人間関係絡むことに関しては
やるからにはやりたいし
すぐ辞めたくないんだよ。

だから不安なことが強いと、早めに決断して、周りに迷惑がなるべかからないように
早めに内定辞退するんだよ。

 
私は結局、内定を蹴ったが
友達の言葉は印象的だった。

 
リーダー向きじゃないと自分で思っているだけで
想像以上に私はリーダー向きなのか?

  
いやいや、まさか。
リーダー向きなら、前職で病んで食欲不振や眠れないようにはならないし
退職にもっていかれなかったよ。

 
リーダー向きならば、私は退職になんてならなかった。
施設から、捨てられなかった。
残れなかったのはつまり、私に力と存在価値がないからだ。

 
  
 
  
私は内定を蹴ったその足で、気持ち新たに合同面接会に行った。


すると、会場は人だかりができていた。

 
合同面接会には今までたくさん参加していたが、いつも人は少なく
コロナウィルスの影響で、参加施設は少なかったし、ドタキャンも少なくなかった。

 
なのに、今回は会場に入りきらないくらい人がいた。
不景気で、福祉職に人が流れているのかもしれない。
妊婦の方や子連れも目立った。
今まで、そういった方は合同面接会に来ていなかった。  

 
来場者だけでなく、会場もあまりの人だかりに困惑していた。 
対応が間に合っていなかった。

「●時になったら、番号札順にお呼びしますが、おそらく入れませんし、資料も足りません。」

 
と私は言われ、確かに番号札の数字は絶望的だった。
私の後ろにもたくさん人はいたし、椅子の数が足りず、妊婦の方や子連れの方は立って待っていた。
いつ番号を呼ばれるか分からないから、この場をみんな離れられないのだ。 
子どもの泣き声や、苛立ちの声が響いた。

  
あぁせめて妊婦さんやお子さんに椅子を譲りたいのに
椅子が圧倒的に足りない……………

 
私達は本部に言われたように、時間まで待つしかないし、番号を呼ばれる瞬間を待つしかなかった。

 
 
そんな時、本部の方が待っていた二人組に何やら話しかけた。
受付とは真逆の、遠く離れた場所である。
そこはザワザワしていたし、本部の方はポソポソ話すので、全く聞こえない。
周りの人達は何かあると察して、慌てて一気にその場に集まった。
50人以上である。

本部「私達も予想外の人数に困ってます。私達のせいじゃないんです。おそらく時間になっても入れませんし、別日開催予定もありません。」

 
そんなことをグダグダうだうだ長々言っていた。
私達は言い訳を聞きたいわけじゃないし、自らを被害者のように言うのも腹立たしい。

  
 
本部「資料も全然足りません。今用意はしています。今のままだと、皆さんは時間内に会場入りはできません。だから、資料を配るので、後は各自で見てください。」 

 
その人が片手に持っていた資料は5人分。
待機者は50人以上。
その状態で、本部の人は適当に配ろうとした。

 
D「あの、番号札順に配らないんですか?」

 
本部「どうせみんなに配りますから。」

  
E「それだと、番号札の意味ないですよね?指示通り、一時間以上立って待ってるんですよ。」

 
本部「それは、会場入りの番号札ですから。」

 
E「会場入りできないから資料だけ配る、まだ資料準備が間に合わないっておっしゃいましたよね?

番号札順に配るのが筋じゃないですか?」

 
本部「まだ指定時間前ですから、ここにいない番号の人に不平等でしょう?」

 
D「指定時間前に話し出したのはあなたですよね?しかも一部の人にしか話さないから、みんなが察して集まったのを、棚上げですか?
集合時間になったら説明すればよかったんじゃないですか?」

 
本部「集合時間になっても会場入りできないのは、私達の責任じゃないですし、今資料もすってますから、構わないでしょ?」

  
D「だから、その資料準備が間に合わないって一時間以上前に話が既にあって、あなたが手に持っているのはたった5人分だから、番号優先した方がいいって話じゃないですか。」

 
本部「もういいから、右から配りますよ。」

 
私はそこまで、周りと同じように黙っていたがムカムカして、発言してしまった。

 
 
私「あの、せめて妊婦さんやお子さん連れの方を優先していただけませんか?ずっと立って待っているんですよ。」

本部の人のまさに目の前に妊婦の方はいた。
だが、本部の方は20代男性と思われる方に配った。

 
本部「誰からでもいいでしょう。みんなに配りますから。」

 
私「私達は待てますから。妊婦さんやお子さんいる方優先にしてください。待っている間、負担が大きいです。

もしくは、番号札優先にしてください。本部の方が番号札を配った意味がないです。」

  
私、Dさん、Eさんの話に周りは頷いたり、本部をにらみつけた。
だが、本部は怯まない。

 
本部「追加は5分で持ってきますから、はいはい。」

  
その人は妊婦さんやお子さん連れの方を避け、番号札優先にはせず
番号札の遅い方や若い方に配った。
彼等は譲らずにそのままその場をさっさと離れた。

 
資料追加が来たのはその20分後であり、追加数は僅か10人分。
挙げ句に、「資料は行き渡りましたね。」と本部は捨て台詞を吐いて、逃げようとした。

 
後から来た方「資料ってなんですか?」

 
本部「さっき配ったでしょう。」

 
後から来た方「こっちは、本部から●時になったらまたここに来てって言われたから、それを守ったんだよ。ソーシャルディスタンス保つ為にちょっと離れたら、なんだよ、その対応は!番号札はなんだったんだよ!」

 
だから番号順に配らないから、こうなるのだ…と、私は思った。
この方を人前に立たせるべきではなかった。

他の本部の方は低姿勢で謝罪し、資料準備に追われていた。
その姿は会場入りできなくても見えていた。
だから私達は、待つことは仕方ないと思っていた。

 
許せなかったのは、そこじゃない。

 
 
私、Dさん、Eさん含めその場にいた女性6人で、転職活動の話や対応の悪さの話をした。
全員が見知らぬ者同士だったが、「お互いに転職活動頑張ろう。」と笑顔で別れた。

 
 
私は合同面接会場に行きながら、会場入りはできず、資料しかもらえず、帰ることになる。
資料準備が間に合わず、資料配付をおおっぴらに言わなかったことで、資料配付があることが分からない人や
諦めて帰る人もいたし
資料配付を遅くまで待っていた人もいた。

結局一時間以上立って待たされて、50人以上が帰るように促される結果になった。

 
 
私は車に乗り込み、笑えてきた。

あぁ、確かにリーダー向きかもしれないなぁ、と皮肉にも思った。

50人以上の人だかりで意見を自発的に言ったりとか
その場にいる見知らぬ人同士で仲良く話すとか
これこそ、リーダー気質かもな。

  
ハローワークで怒鳴り声が響いたり、対応が悪くてひたすらに待たされた時も
隣にいた人達と仲良く話して待っていて
その内の一人からは名刺をもらって「一緒に真咲さんも働きましょうよ。」なんて言ってもらったっけな。

 
友達が言っていた、【私がリーダー向き】というのは、このことかもしれないな。

 
ただ、私は意見を言うだけ、仲良くなっただけで
自分の目的である【番号優先で資料配付】【妊婦さんや子連れさん優先で資料配付】は達成できなかったから
やっぱりリーダー向きではないのかもしれない。

 
 
私、Dさん、Eさんは資料をもらった後
妊婦さんや子連れの方にまず渡した。
資料配付は戦場だった。
みんなが詰め寄った。
数が足りないからだ。

私は自分以外の方も本部に立ち向かったことも
自分より先に他者を優先する人がいることも
とても嬉しかった。
妊婦さんや子連れの方が涙目で会釈した姿も
私は忘れられない。

 
働くなら、こういうDさんやEさんみたいな方と一緒がいいんだけど
現実は本部の人みたいな方が権力者で施設に居座ってるからなぁ。
なかなか上手くいかないもんだ。

それこそ私が人事なら、DさんやEさんのような人を採用したかったがな。

 
 
リーダーの素質ってなんだろう。
私は何の仕事が向いているのだろう。

合同面接会で手に入れたものは資料と、改めてリーダーについて考えるきっかけだった。

  


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?