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うつ白 part2~because その理由~

前回の続きです。 

今回は原因について話します。

前回はこちらから↓

原因

いくつかはあります。それが自分にとっては拭いきれない『心の傷』です。その出来事に関することとかがフラッシュバックしたり幻覚で見えたり聴こえたりする時があります。それが元で体調やメンタル面に出ます。

家庭環境

自分の家庭は複雑です。両親と祖父母と自分の5人暮らしでしたが元々アパートだった一軒家でした。自分がちょうど小学生くらい、物心ついたころから家庭内別居の状態でした。両親が別々の部屋で暮らし全く会話もしない、会うこともない、話せば不機嫌になる。

この事情は人にばれると白い目で見られる、そんな恐怖を感じ、聞かれても誤魔化してました。親に聞きたくても聞けず、「自分が何もしてないのになぜ、こんなことしなきゃいけないんだろう」と思うようになりました。

親は人前や自分の目の前で何もないように平然としていて自分に何も話さないでいて他人と仲良くしていました。

この時、自分は人は信用するものではないと考えて行動するようになりました。自分の都合をよくする為に他人は道具のように扱い、用済みになれば捨てるものだと。

自分は他人と違うんだし、環境も自分も人より劣ってるものと、だんだんあれこれ考えは強くなり、小学生までは普通に友達と遊んでいたりしていたけども、中学入ってからは激減して高校とかはほとんど遊んでおらず。自分は親よりも他人よりも優れる、偉い人間にならないとという意識を持ってしまう。親や他人から何か言われたりすると過剰反応したり、無視したりします。特に嫌いと思う人間ほど強いです。

無駄な時間

自分の高校での生活は苦痛でした。自分の高校のクラスは特別進学クラスに入れられてそこで3年間同じ生活でした。サッカー部の練習は衝撃でした。グラウンドが土でテニスコートほどの大きさでの練習でした。フットサルを土でやってるようなものです。

サッカー部は正直弱いです。練習も顧問が見てくれるわけでもなく、自分たちでやっていました。2年のときに顧問が変わって新任の先生が入りました。

入った当初は練習考えてくれて見てくれていたんですが、自分らの代が嫌いなのか1つ上が引退してから練習を見ずに自分らに放りなげて試合も勝つ采配も何もしない。

練習も自分らに任せても他がだらだらして結局ゲームしかやらず、走りも自分以外サボっていて、自分1人言ったとこで仲良しこよしの多数なんかに勝てないから相手にしませんでした。

同期もサボっていた中で嫌いだったのはゲームキャプテンなのに人任せに練習とか仕切りを押し付けて、遅刻とか練習のサボりを平気でしていてそいつと顧問の先生が特に嫌でした。自分1人だけ練習頑張っているだけのサッカー生活。

普段の学校生活も前述の家庭の事情などあり、人と関わるのが嫌になってしまい、学校内で人それぞれ仲良しグループみたいなのがあるけどもどこも入らずの一匹狼でした。

スクールカーストみたいな感じで仕切ってる人いてその人やその人たちのグループの人に何もしてないのに何かされたとか言ってきたり、何もないことを言ったりしたり、哂われたりするし居づらさを感じてました。3年の時、インハイ予選負けて春で引退するか夏まで残るか決断を迫られました。夏まで残ると決めたが、特進クラスの人は春で引退するのが通例となっており引退しろと言われました。何もしないやつに言われてもなと思ったが、授業中に他の先生が自分に部活辞めろとか同じクラスのやつにまだ部活やってるのかと言われたりして、今で言うパワハラや陰湿ないじめに近いものだった。部も話にならない有様で相談相手も誰いなくて1人で抱え込んでいました。

結局、夏までやって引退しましたが、あまりにも無駄な時間を過ごしたと感じました。 

この時には高校出て大学でサッカー部入ってサッカーうまくなりたいとか色々学びたいと同時に無駄な時間と自分をこのように追い込んだ連中を見返すというよりは自らがやった行為を恥じれと言わんばかりに復讐したいと強く持った。まるで人殺しでもするんじゃないかくらいに狂気を持った。

サッカー部や周りの人とかとは断絶して、高校での自分はもう死んでいなくなったと卒業する時に決めた。

大学卒業した日に顧問の結婚式の二次会があると誘いを受けたが、当然許さないから理由つけて断った。

好きなサッカーは復讐の道具としてしまい、 
もう、普通の人みたいに綺麗な生き方なんて出来ないと覚悟して高校を出た。

次回

次回では卒業して不安障害や失調症を発症について触れます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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