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あたらしいあさ

 ライン。向こうは長らくスマホを見ない習慣がついてしまったらしい、続かない。一言送れば数時間後に一言返ってきて、返事をするともう返ってこない。はじめ、嫌われたのかと思った。でも、会えば以前と変わらないのと、はじめの一言の返事に「ゴメン、寝てた」とか、「スマホ見てなかった」などと謝罪のあることから、愛情は以前と変わらずにあるらしい。ただ、ラインをする、スマホを見る、という習慣が抜け落ちてしまったらしいのだ。このまま放置していたら、この習慣が定着してしまう。かと言ってこちらから再会して早々にラインを送りつけ過ぎても、先走って鬱陶しがられる羽目になる。その兼ね合いを考えつつ、と思うものの、頭のよくない弓子は考え過ぎてドツボにハマる。こういうのは、タイミングなのだ。自分自身の、感覚で計算して送らなければならないと気づいた頃には、弓子は既にぎこちないラインを何通も送った後だった。
 ライブハウスで声をかけられて再会した。運命だと思った。痩せた?と訊かれた。あれからしばらく食事が喉を通らなかった。五キロ痩せた。元々ぽっちゃりしていた弓子だが、彼女が理想としていた体重となり、悲しい反面嬉しかった。そんなことで喜ぶ余裕があるのが弓子らしい。けれど、光はどう思うだろうか?付き合っていた頃、弓子の二の腕のあたりを触って「気持ちいい」と言い、弓子をして「理想的な体型」と言っていた彼は、少し痩せた弓子に幻滅しやしないか、彼女にはそれが少し気がかりだった。
 浮気の発覚は、友達からの密告だった。「女連れてたで。それもえらい楽しそうに」という報告が何回かあった後、「私、わかったわ。K女子大の一回生やて。一緒におった友達の知り合いやってん」とある友達が言った。それにしても、大学の近くまでホイホイ連れてくるなんて、なんてふてぶてしいというか図々しいというか、無神経、ある意味、堂々としていて潔いとも言える、そういうところが、不可解で、彼が急に知らない、遠い所にいる人間のように思えて心細くなってしまった。それで、弓子はその日のうちに光にラインをした。意を決して浮気のことを問いただした。すると、「別れたいなら別れるよ」という返事。冷たい風が弓子の心に吹き、弓子は「じゃあ別れる」と返事をした。それで終わりだった。それっきり、光から、ラインも電話もぷつりと途絶えた。と同時に、何故かデートの目撃談も、聞かなくなった。
 久しぶりのセックスの後、聞いてみた。
「私と別れてる間、誰かとエッチした?」
「あー、したかも」
「したかもって……覚えてへんの?」
「覚えてへんよ、そんなん……」
「誰と?!」
「忘れた」
「……」
布団を頭からかぶって泣くのを堪えている。
「ショック?」
「……」
「あ、思い出した。してへんわ。弓子と付き合う前や、あれ」
 見え見えの嘘に思える。けど、光は嘘をつかない。こう見えて超がつくほどの正直者で、というかちょっとは嘘つけよというほどに恥じらいがなく、相手の気持ちに無頓着……一言で言うと天然?弓子はもうなんだかわからなくて笑ってしまう。
「あ、笑った。その方がええよ。かわいい。俺、弓子と別れてご飯も喉、通らんかってん。ほら、こんなに痩せて。女の子とも別れたし」
 ハタから聞いていたら、なんて調子のいい奴だと思うような言葉。けれど、光は切実に言っているのだ。ラインの返事が遅くなったのも、落ち込んで引き籠ってでもいたのかもしれない。そう思うと弓子はその抉られるような心の痛みが懐かしくて、嬉しかった。光と一緒にいると楽しい。けど、苦しい。それは、光のことを体では近くに感じるのに、心では完全に理解しきれないジレンマからだった。光をもっと側に感じたい、そう願えば願うほど苦しみは膨れ上がり、胸を締め付ける。けれど、今はその苦しみが愛おしかった。突然、「誕生日おめでとう」と光が言った。光と別れている間にひとつ歳をとっていたことを思い出す。「ありがとう」と言う間もなく、光は、力いっぱい弓子を抱き締める。弓子は死んでもいい、と思った。今死んだら流石の光も驚くだろうな。弓子は、今後光が何をしても、もう自分が決定的に傷つくようなことはないと思った。例え彼がまた浮気をしても、二十歳の弓子は今度は彼を許せる気がした。  

[了]

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