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父方の祖父は、自分の思いに反して4回も結婚しました。
1番目、2番目の奥さんは、姑に(祖父の母・私の曾祖母)気に入られず、追い出されてしまいました。


3番目の奥さんは病死でした。

そして最後、4番目の奥さんが私の祖母です。


祖母は、前に1度結婚していました。

私の実家の父の話によりますと、
元夫は根っからの女好きで、新婚当初から女遊びが絶えなかったとか……
やがて祖母は性病を移されてしまい、完全に夫に愛想が尽き、短い結婚生活を終了させました。


もう100年近くも前の話です。
「出戻り」は家の恥でした。

「勉強して手に職をつけよう。男に頼らず一人で生きていく!」


こう決心し、若かった祖母は京都へ行きます。
なんの知り合いもいない場所で、助産婦の勉強に通いました。
その当時、山陰地方の田舎から京都まで行って勉強するのは、今でいう海外留学以上の大きなことだったのではないでしょうか?


そして1、2年勉強した後、祖母は神戸に引っ越します。
ある産婦人科で、産婆さん(助産婦)として勤務を始めました。



自立するという願いががなって数年後、ふと祖母は思います。

「もう一度結婚して、家庭を持ってみたいな。」


そして田舎に帰り、祖父と見合い結婚をしました。
私の父と叔母(父の妹)ができます。しかし、祖母は亡くなった前妻の二人の娘を特にかわいがり、実の子にはやや冷たく接したそうです。

継母(ままはは)だからこそ、義理の娘に温かく接して、不自由な思いをさせたくなかったのだそうです。


また、近所に妊婦がいれば、義理の娘の一人を助手にして、産婆さんとして出産のお手伝いをしました。

お金のない家からは、一円もお金をもらわなかったそうです。
当時は裕福な家のほうが少なかったので、あちこちから呼ばれたそうです。

祖母が亡くなってからも、孫の私に当時の話をして、お礼を言ってくださる方が少なくありませんでした。



出産は、時には死産であったり、障害を持って生まれたり、母体が危険になったり、良い事ばかりではありません。ですので、祖母はいつもご神仏に

「無事に出産ができますように。」と、祈ってから出かけていたそうです。


ある時は私の父である祖母の息子が、

「フランス語を習いに行きたい。」

「東京の大学に進学したい。」

と、言ってきました。



「商売人の家に学問はいらん!」祖父は猛反対でした。

しかし、いつもは穏やかな祖母が、この時ばかりは激しく祖父に反対したそうです。

「どんな家の子でも、学問は大切です!」
祖母は一歩も譲らなかったそうです。

とうとう祖父が折れて、父は東京で大学生活を送ることができました。

父が東京で就職して、その後うまくいかず、家に帰ってきました。
しかし、実家の家業を継ぐのが嫌で嫌でしばらく家出をしました。
結局家に戻り、父は自分の意志で家業を継ぐ決心をします。


祖母は何も言わず、温かく父を迎えたそうです。
懐の広い人だったのだと思います。



私が生まれた時も祖母が取り上げてくれました。

         イメージ写真です。
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この3か月後に祖母は亡くなります。肝臓が悪かったそうです。
「水が欲しい…」と言いながら亡くなったそうですので、お墓参りの時は墓石にたっぷりと水をかけるようにしています。


たおたおってこういう者です。
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