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内田百閒『冥途』 金井田英津子・画

あまり熱心な読者ではないけれど、内田百閒が好きだ。

何度も繰り返して読んでいるのは「阿房列車」くらい。師匠である夏目漱石の『夢十夜』に勝るとも劣らない幻想小説の類や、『百鬼園随筆』をはじめとする一連の軽妙で滑稽な随筆、愛猫の失踪騒動を描く『ノラや』など、どれもぽつんぽつんと拾い読みした程度。全集好きゆえに、新仮名遣いで読みやすい、ちくま文庫版の内田百閒集成全24巻を指をくわえて見ているものの、えいやと食指が動くほどでもない。

翻って『別冊太陽 内田百閒 イヤダカラ、イヤダの流儀』や『KAWADE夢ムック 別冊文藝 総特集・内田百閒』を見逃すつもりはなく、漫画化された『阿房列車』や随筆風の『ヒャッケンマワリ』で含み笑いを押し殺せない。惜しむらくは短篇『サラサーテの盤』を原作とした映画『ツィゴイネルワイゼン』をまだ観ていないこと。内田百閒を描いた黒澤明監督の映画『まあだだよ』は、そのうち観ようと思いながらずっと先送りしている。

そんな軽薄な読者だが、内田百閒の本を1冊だけおすすめするならば、迷わず選ぶのが金井田英津子・画の「冥途」である。この絵本から内田百閒の幻想世界に引きずり込まれ、そのぬるま湯の心地よさに、多くを求めることはない。

「冥途」はもともと1922(大正11)年2月に発表した内田百閒のデビュー短編集。この絵本はそこから6篇を抜き出し、金井田英津子による版画を添えた。2002年刊のパロル舎版を借りて衝撃を受け、ずっと手元におきたかったものの絶版で、2021年に平凡社から復刊されると予約してまで手に入れた。

暗い土手の下にある一ぜんめし屋で亡き父親との邂逅を描く表題作『冥途』も胸を締めつけられるが、初めて読んだときから物語も版画も惹きつけられて逃れられないのは『くだん』である。

黄色い大きな月が向うにかっている。色ばかりで光がない。夜かと思うとそうでもないらしい。うしろの空には蒼白い光が流れている。日がくれたのか、夜が明けるのか解らない。黄色い月の面を蜻蛉とんぼが一匹浮く様に飛んだ。黒い影が点きの面から消えたら、蜻蛉はどこへ行ったのか見えなくなってしまった。私は見果てもない広い原の真中に立っている。からだがびっしょりぬれて、尻尾の先からぽたぽたとしずくが垂れている。くだんの話は子供の折に聞いた事はあるけれども、自分がその件になろうとは思いもよらなかった。

内田百閒『件』画・金井田英津子「冥途」p48

自分の乏しい読書経験のなかで、名文家を一人挙げよと言われたら、真っ先に思い浮かぶのが内田百閒である。『百鬼園随筆』にせよ『阿房列車』にせよ、傍からみると理にかなっていない馬鹿馬鹿しいことが繰り広げられるが、文章が「きまっている」ので、わけもなく唸ってしまうのだ。この『件』の書き出しも、無駄のない引き締まった文章でありながら、じわりじわりと怪しげな空気をにじませる。勝手に生ぬるい風を感じてしまう。

では、「件」とは何なのか?

からだが牛で、顔だけ人間の浅間あさましい化物に生まれて、こんな所にぼんやり立っている。何の影もない広野の中で、どうしていいか解らない。何故なぜこんなところに置かれたのだか、私を生んだ牛はどこへ行ったのだか、そんな事は丸でわからない。

同上

カフカの『変身』でも、青年グレゴール・ザムザは、ある朝目覚めると、自分が巨大な毒虫になってしまっていることに気づき、戸惑いながらも、もうひと眠りしようとする。内田百閒の『件』でも、「私」は気がつくと牛の化け物になっていて戸惑うが、人間でいたときのことをいろいろと思い出して後悔しながら、牛だけに、前足を折って寝てみるのである。

「件」は、生まれて三日すると死ぬことになっていて、その間に人間の言葉で、未来の凶福を予言するものだという。化け物になってしまったので生きていても仕方ないけれど、予言するのは嫌だから、このまま三日後に死んでしまえばいいと思っているが、その予言を聞こうとする群集に囲まれてしまう。「件」の眼から見た群集をえがいた版画は、物々しく、生々しい。

原作を読んでから映画を観るか、映画を観てから原作を読むか。視覚情報だけではつかみにくい登場人物の心情を文章で上手に描写し、その移り変わりも分かりやすいのが原作であるのに対し、視覚情報として与える登場人物の表情や場面の情景などが、文字情報からの想像と食い違うと反発したくなるのが映画である。どちらが先がいいか、後がいいか、作品によっても、読者・視聴者によっても異なるものだ。

その点この、金井田英津子・画の「冥途」はあくまでも絵本である。文章を主役にして、視覚情報は最低限に徹している。しかし、大胆で精密な版画は見る側の胸を鷲掴みにして離さない。『件』では、最後のページでようやく全身像が提示されるが、からだが牛でも顔だけは人間で、丸眼鏡をかけて口角を下げている表情は、内田百閒そのものである。写真も用意したのだが、これは本書を手に取ってのお楽しみだろう。

ほぼ全著作を網羅していて装幀も味わい深い旺文社文庫版の内田百閒文集全39巻に心なびくところはあるけれども、この絵本さえあれば、まあ、いいやと思ってしまう。内田百閒の棚は、いつでもこぢんまりとしている。

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