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クリスティン・ジェフズ『シルヴィア』【映画評】(吉原幸子・皆見昭訳『シルヴィア・プラス詩集』)

アメリカの詩人、シルヴィア・プラスの半生を描く、クリスティン・ジェフズ監督の映画『シルヴィア』を観る。

シルヴィア・プラスを初めて知ったのは、実は詩ではなく、短編小説だった。

3年ほど前、やはり翻訳家の柴田元幸さんがパーソナリティを務めたラジオ番組で、ご自身が翻訳したシルヴィア・プラスの短篇小説『ミスター・プレスコットが死んだ日』を朗読した。母の付き添いで仕方なく知人の葬式に足を運んだ「あたし」が物憂げに遺族を観察する。たまたま置いてあったコップの水を「あたし」が飲んだら、それは故人が死ぬ間際に口にした水だったと分かり驚くという場面に強烈な印象を抱き、そのときは詩人だったとはまったく露ほども考えなかった。

この短篇は柴田さんが編集長を務める雑誌『MONKEY vol.15 特集:アメリカ短編小説の黄金時代』に載っていて、さらに『メアリ・ヴェントゥーラと第九王国 シルヴィア・プラス短篇集』にも収録されている。その短編集の訳者あとがきで柴田さんは、シルヴィア・プラスの短編小説は、定評ある詩と同等に扱われてよいという。その短篇集も、さらに読み込みたい。

映画に話を戻す。この映画はシルヴィア・プラスの伝記といっていい。フルブライト奨学金を得て留学していた英国ケンブリッジ大学のパーティーで、イギリス人の大学院生、テッド・ヒューズと出会う。お互いに詩の才能を認め合った二人は愛し合うようになり、シルヴィアの帰国に合わせて結婚する。アメリカで教職につき詩作に励むつもりが、妻という立場に翻弄される。テッドの詩は権威ある賞を得て、評価は高まっていく一方で、シルヴィアの詩はなかなか認められず、二人の関係にきしむ音が聞こえ始める。

しばらくして英国ロンドンに移り住み、第一子をもうけるが、今度は妻という立場に加えて母という役割に追われ、シルヴィアは苦しむ。よりよい詩作の環境を求めて自然豊かな南西部のデヴォンに移るためにロンドンの住まいをある夫婦に貸したところ、テッドはその妻であるアッシアと関係を持つようになる。第二子もうまれ、シルヴィアは詩を少しずつ書けるようになってきたが、テッドとアッシアの関係に気づき、2人は離婚する。

2人の子どもを連れてロンドンに戻ったシルヴィアは、創作意欲が高まり、作品の評価も得られるようになってきたが、心身の状態は悪化する。テッドと復縁することを願ったが、逆にアッシアが妊娠していることを知らされる。絶望したシルヴィアは、ある行動に出る。

才能ある女性が、妻や母という役割を果たしながら、どのように生きていくか。約60年前の物語だが、抱えるテーマは現代的だ。いや、時代を超えて普遍的なテーマになってしまったのが問題なのだ。さらには、作品をとおして、そのような社会問題を浮き彫りにするのも映画の役割ではあるが、どうしてもシルヴィアの悲劇性ばかりに焦点があたるのは、ちょっともったいない。

シルヴィアよりも先に詩の才能を認められ、後に王室から桂冠詩人の称号を与えられる詩人テッド・ヒューズを演じたのは、まだ金髪のジェームズ・ボンドになる前のダニエル・クレイグ。才女シルヴィア・プラスを演じたのは、これもマーベル映画でペッパー・ポッツを演じる前のグウィネス・パルトロウ。彼女はシルヴィアが大学生だった24歳から、テッドに復縁を拒まれる30歳までを演じたが、ずーっと着目していたのは、髪形。束ねる、降ろす、結う、巻く。年齢相応のこともあれば、若く見せたり、落ち着きを加えたりと多彩で、ほれぼれする。心が病みつつある翳のある表情が多かった一方で、ヘアスタイルの鮮やかさに、こちらの心は完全に奪われる。

曇り空や雪など、じめじめした英国の空気と、カラッと晴れていて、明るい米国の空気。ゴミゴミして窮屈な首都ロンドンと、素朴な自然が逆に虚無も感じるデヴォン。いち早く詩の実力を認められ、勢いも表情も上向いていくテッドと、詩がなかなか認められず、「女」という縛りに苦しみ内向的になっていくシルヴィア。オーソドックスな手法だが、それが事実だというように映画は作られている。その対比によって、よりシルヴィアに感情移入してしまうようにも感じる。

作品中、「追跡」「あかつきの歌」「月といちいの木」「刺し傷」「チューリップ」など、シルヴィアの詩も随所に挿入されている。だが、さすがにメモを取りながら観賞しているわけではない。あらためて、吉原幸子・皆見昭訳『シルヴィア・プラス詩集』を手に取る。

詩ももちろん考えさせられるのだが、詩人・吉原幸子の「あとがき」に、やはり胸を打ち抜かれた。

三十歳のカーヴを切った瞬間に何と苦しく、狂おしく彼女の主題が口をひらいて待ち受けていたことか——

私は生きた、シルヴィアの倍の年数を。

吉原幸子「あとがき」抜粋

シルヴィア・プラスと向き合い、思索の波にたゆたいながら訳していった詩人・吉原幸子の生き方とも重ね合わせ、シルヴィア・プラスの訳詩集も、吉原幸子の詩集も、さらに読み込んでいきたい。それから、この映画『シルヴィア』をもう一度観てみることにする。

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