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大河ファンタジー小説『月獅』31     第2幕:第9章「嵐」(5)

第1幕「ルチル」は、こちらから、どうぞ。
前話(30話)は、こちらから、どうぞ。

第2幕「隠された島」

第9章「嵐」(5)

(第1幕)
レルム・ハン国エステ村領主の娘ルチルは「天卵」を宿し王宮から狙われる。白の森に助けを求めるが、白の森の王(白銀の大鹿)は「蝕」の期間にあり力を発揮できない。王は「隠された島」をめざすよう薦め、ルチルは断崖から海に身を投げる。
(第2幕)
ルチルは「隠された島」に漂着する。天卵は双子で、金髪の子をシエル、銀髪の子をソラと名付ける。シエルの左手からグリフィンの雛が孵った。だがなぜか飛べず成長もしない。飛べないグリフィンの雛のなかに成獣のビュイックが閉じ込められていることが判明する。浜に王宮の船が着き、ルチルたちは島からの脱出を図るがソラが見つからない。ノアがダレン伯の尋問を受けていると山で鬨の声があがる。小麦畑のなかで光るソラをノアが見つけ駆け寄ろうとしたさなか、ソラがコンドルにさらわれた――。

<登場人物>
ルチル‥‥‥天卵を生んだ少女(十五歳)
ディア‥‥‥隠された島に住む少女(十二歳)
ノア‥‥‥‥ディアの父 
シエル‥‥‥天卵の双子・金髪の子
ソラ‥‥‥‥天卵の双子・銀髪の子
ビュー‥‥‥グリフィンの雛
ビュイック‥ビューの中に閉じ込められているグリフィンの成獣
ダレン伯‥‥法務大臣・辺境警備長官兼務
グエル少佐‥隻眼の指揮官

「ノア、グリフィンじゃない、コンドルだ! コンドルがソラを」
「なんだと!」
 ギンが弾丸と化してコンドルを追う。ヒスイも続く。
 ノアは茫然として己の両の掌を見つめる。あと一歩早ければ、ソラを抱くことができた手を。何もない掌を。黒い影の飛来に、一瞬、速度をゆるめた己を激しく責めた。
「ソラぁあああああ」
 ディアの甲高い絶叫が響きわたり、ノアは我に返る。
 ディアが天を仰ぎ、体を引き絞るようにして声を張りあげ、小麦畑の端でくずおれている。なぜ、ここにディアが。
 ――まずい。
 ノアは伯爵と少佐たちのほうを振り返る。ノアの投げた槍先を肩と脚に受けた少佐と近衛兵の三人は膝をついて、コンドルが天卵の子をさらっていった方角を見つめていた。ダレン伯は腰を抜かしてひっくり返っている。
 あの三人をまいて、一刻も早くディアとともに洞窟にたどり着かねば。シエルまで失ってしまう。
 ノアはディアに向かって駆けだした。

 どどどどど、ごごごごごごっつ。
 突然、地の底から大地を突きあげる不気味な響きとうねりが湧きおこった。不穏な圧力をともなう音が空を島を震撼させる。
「な、な、な、なにごとだ」
 ダレン伯の震える金切り声をノアは背で聞く。
 大地を揺さぶる地鳴りに足をとられる。足裏全体で踏ん張らなければ、立っていることすら危うい。膝を曲げて重心を下げる。
 ――いかん! 嘆きの山が目覚めた。
 山が、ヴェスピオラ山が、咆哮をあげ嘆きのつぶてを撒き散らしはじめた。火の粉が噴水のごとく吐き出される。天に向かって幾発もの花火が絶えることなく轟音をあげて打ち上げられる。
 金縛りにあったように棒立ちするディアに、ノアは低い姿勢で駆け寄る。 娘の頭をわが胸に押し付ける。自らの頭と両手できつく保護すると横抱きにし、ひとつに束ねた二本の丸太のごとく横転し丘をころがり落ちる。崖の手前の樫の大木に背をぶつけて止まると、ディアに「走れ!」と叫んだ。
 したたかに打った背がきしんだが、洞窟に続く獣道をディアと跳ぶように駆けた。
 洞窟の天井近くの岩場に身を滑りこませると
「ディア、飛べ!」
 と娘をうながす。
 洞窟は遥か昔に溶岩が流れてできた。その岩場にぶら下がっている数千匹のコウモリが、山の異変に狂ったように飛び交い、視界を妨げる。
 それらを手で払いのけ、ディアが、ノアが、飛び降り甲板に着地すると、ノアはすばやく錨を引き上げる。
「帆をあげろ」
 ディアとルチルはそれぞれ帆柱に取りつき、縄を引き、帆を張る。
 洞窟の奥から地を切り裂くような轟音が近づいてくる。
「来るぞ!」
「ルチルはシエルを抱いてマストにしがみつけ。ディアもだ」
 岩が崩れる。出口を見つけた濁流がなだれ込み、船体を直撃し、船は荒れ狂う海へと弾き飛ばされる。船尾にしがみついたノアが島に目をやると、ぼこぼことたぎる溶岩流の真っ赤な舌先が海にたどり着いたところだった。

 
 嵐は一昼夜続いて、海は凪いだ。
 天を轟かせる雷鳴が絶えまなく炸裂し、怒りを爆発させた山はそれに応戦するがごとく真っ赤な火花を吐き続け咆哮した。天と山が激闘を繰り返した。だが、ついに容赦なく降る驟雨が山の怒りを鎮圧し、嘆きの雨となって慰めた。
 ギンとヒスイを伴ってグリフィンが船に戻ったのは、嵐がおさまり、海が東から光を映しはじめたころだった。船は波と風の意思にあらがうことなく南の海上を漂う。
 誰もがそれぞれの思いを抱え、憔悴しきっていた。

 噴火の危機から脱すると、ルチルとディアは荒れ狂う嵐よりも激しく号泣した。ディアはまにあわなかったことを。ルチルは母なのに助けにもいけなかったことを、二人は後悔して吠えるように慟哭した。シエルは兄弟を失ったことを理解しているのかどうかはわからなかった。だが、「かぁか、かぁか、助けて!」と叫び続けた。それがソラの声に似ていて、ルチルとディアの胸を締めあげる。シエルはふたりに抱きしめられ、泣きながら眠った。
 間一髪で島から脱出するとノアはすぐに、ビューがいないことに気づいた。
  濁流の衝撃で船から落ちたのかと危惧したが、ルチルによると、山の唸りが起きる直前にヒスイがやって来て、ソラがさらわれたと告げると、成獣のグリフィンになって飛び立ったという。
 それを聞いてノアは、あの一瞬の己の判断ミスを激しく罵った。
 グリフィンは船にいたのだ。ソラを助けにあのタイミングで飛来するはずがねぇ。それなのに俺は、黒く大きな翼影をてっきりビュイックだと思っちまった。ああ、俺はいつもいつも、肝心の判断をまちがう――。

 ノアは己の掌を見つめ、天を仰ぐ。
 昨日のできごとが幻のごとく、空はどこまでも高く澄んでいる。はるか西の水平線に薄く煙をたなびかせるヴェスピオラ山が見えた。
 シエルはめざめると、ルチルの服の裾を引っ張りながら小声で「お腹がすいた」という。泣き疲れて視界も頭も茫洋としていたルチルは、はっとなった。
 ――そうね、こんなときこそ、食べなくちゃ。
 双子の誕生日のお祝いに焼いたタルトを思い出した。ディアが、これは絶対に持っていこうといって、小麦袋の上に乗せていたはず。ルチルはシエルを抱いて船室に下りる。
 グリフィンは船に戻っても小さくならなかった。
「ビュイック、ビューはどうしたんだ」
「起きてはいる。だが、意識の深淵で落ち込んだまま、浮上してこようとしない」
「そうか」
「ヒスイの報せに、一瞬だが、俺と交代することに抵抗した。それが原因でコンドルを見失ったと思っているようだ」

 誰もがソラを想って、それぞれに己を責めていた。 
 ディアは帆柱にもたれて放心していた。瞳は開いていたが、何も見ていなかった。ソラの生意気で、いたずら好きで、好奇心の強く明るい笑顔が浮かんでは消える。「ソラ」とつぶやき、また涙ぐむ。
 甘い香りが鼻をかすめ、ディアは顔をあげる。ルチルがタルトの皿をもって目の前にしゃがんでいる。
「うまく焼けたと思うの。ほら、ディアも食べて」
 ね、こんなときこそ食べなくちゃ。ルチルが口の端をゆがめ泣きそうな顔で微笑んでいる。
 ソラとそっくりな、でもどこかしら表情のちがうシエルが、ディアを心配そうにのぞきこみ、その頬にそっと小さな手をのばす。
 ディアは野ブドウのタルトをひと切れつまみ、かぶりつく。
「ソラにも食べさせてあげたかったね」
 ディアが目尻の玉を人差し指で拭いながら、ルチルを見つめて微笑む。
 甘くて、甘くて、胸をしめつける味がした。

(第9章「嵐」 了)
第2幕「隠された島」<完>

第2幕「隠された島」はこれで<完>とします。
嘆きの山(ヴェスピオラ山)の噴火で島を脱出したルチルやディアたち。
コンドルにさらわれたソラの運命はどうなるのか。
第3幕は、舞台をかえてお届けします。 

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