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『オールド・クロック・カフェ』5杯め「糺の天秤」(6)

第1話は、こちらから、どうぞ。
前話(5)は、こちらから、どうぞ。

<あらすじ>
宇治市役所市民税課係長の正孝は、ランチをとろうと『オールド・クロック・カフェ』をめざす途中、八坂の塔の階段下でうずくまっている老女を見つけカフェへと運ぶ。
澄と名乗る老女はなぜか正孝のことを「ただすさん」と呼ぶ。澄に七番の柱時計が鳴った。時計は三時四十五分を指している。澄は「時のコーヒー」の力で、許婚いいなずけの徳光糺と出征前に下鴨神社の糺の森に出かけ、天秤を預かったことを思い出した。その天秤をどうしたかを澄は思い出せずにいると、孫の直美が預かっているという。正孝は澄に、糺に天秤を返そうと約束した。

<登場人物>
桂子‥‥‥‥カフェ店主
時任正孝‥‥宇治市役所市民税課係長
原田澄‥‥‥正孝が助けた老女
徳光糺‥‥‥澄の元許婚
伊藤直美‥‥澄の孫 
瑠璃‥‥‥‥カフェの常連・泰郎の娘、桂子が姉のように慕う
環‥‥‥‥‥瑠璃の親友・二月に時のコーヒーを飲んだ
      (4杯め「キソウテンガイを探して」参照)
亜希‥‥‥‥店舗コーディネーター・昨年春に時のコーヒーを飲んだ
      (1杯め「ピンクの空」参照)

* * * Time Flies * * *

 桂子はカウンターに腰かけて、店舗コーディネーターの亜希が届けてくれた小ぶりの雑誌『umineko』のページをめくっていた。A5サイズでこれならコーヒーを飲みながら読むのにちょうどいい。猫がテーマらしく、さまざまな猫にまつわる話が載っている。亜希は昨年の春に時のコーヒーを飲んで以来、よく仕事のあいまに寄ってくれる。「こういう作り手の想いがこもった雑誌が注目されてるの」と教えてくれた。
 瑠璃ちゃんが猫好きだから喜びそう、と思ったら。
 ちりん、とひとつ猫の鈴みたいに風鈴が鳴った。風がすっと忍び入る。
 からからから。
 格子戸の開く音がして「桂ちゃん、おはよう」と瑠璃が顔をのぞかせる。
「たった今、泰郎さん、帰りはったよ」
 茶わん坂でガラス工房を営む泰郎は瑠璃の父親で、毎朝、『オールド・クロック・カフェ』で過ごすのが日課だ。
「ふらふら帰っていく背が見えた」
 いいながら瑠璃は店内を一瞥する。
「今日も正孝さん、来てへんの?」
 週末になっても正孝が通ってこないことが、常連のあいだでちょっとした話題になっている。瑠璃は後ろを振り返り「来てないわ」と格子戸の向こうにいう。
「ごぶさたしてます」
 藤色の暖簾を分けて入ってきたのは、環だった。
 えっ、桂子はとまどう。環は二月に時のコーヒーを飲んで昔の恋人だった翔を追ってナミビアに旅立ったはずだ。どうして日本に? 
「カウンターでええ? それとも、あの古時計の前の席にする?」
 瑠璃が振り返りながら環に訊く。
「カウンターでいいよ。十六番の時計に挨拶だけしてくる」
 十六番は店で唯一の置床式の時計だ。後ろの壁の中央に風格をまとって鎮座している。環は十六番の時のコーヒーのおかげで翔と復縁した。桂子はそれを思うと、自分が何かしたわけでもないのに胸のあたりがほかほかする。
 とりあえず二人の前に京番茶を置く。
「この番茶の燻された香りをかぐと京都に帰ってきたなあと思うわ。ありがとう」
 環はにっこり微笑み「ちょっと急だけど」と言いながら、カウンター越しにグリーティングカードを差しだす。
「実は再来週さらいしゅうの土曜に結婚式を挙げることになって」
「翔さんとですよね。おめでとうございます。どこですか?」
 尋ねながら、桂子はカードを裏返す。
「あ、瑠璃ちゃんと同じ聖アグネス教会ですね」
 聖アグネス教会は平安女学院のチャペルで、瑠璃は一年前にここで結婚式を挙げた。瑠璃と環は平安女学院の同窓生だ。
「あれ? 環さんと翔さんだけのお式じゃないんですね」
 二人の名前の下にもうひと組のカップルの名が記されている。
「それね、うちの両親なの」
 ええっ! 思わず声をあげてしまい、桂子は口を押えながら瑠璃にちらりと視線を走らせる。
「母が出ていった話、瑠璃から聞いてるみたいね」
 桂子はどう受け答えしていいのかわからず、すがるようなまなざしで瑠璃を見る。
 環の母親は、環が八歳のときに娘と夫を捨ててアメリカに渡った。そのことが環の心を縛っていたと、瑠璃から聞いている。
「両親が復縁したの。それもあの時計と‥‥」
 環は体を斜め後ろに引いて、古老のような古時計を眺める。
「瑠璃のおかげかな」
「環もようやくうちの偉大さを認める気になったか」と瑠璃ちゃんがおどけながらいう。
「ところで、正孝さんは何してるん?」
 瑠璃は淹れたてのコーヒーの薫りに目を細めながら尋ねる。
「なんか調べものをしてはるみたい。おじいちゃんにはLINEで今週も行けませんって毎度、丁寧な報告はある」
「何調べてんの?」
「人探しをしてはる」
「人探しぃ?」
 瑠璃が語尾をはねあげる。
「徳光糺さんいう人を探してはる」
「ただす、ってどんな字?」
 環が紅葉柄の京焼のコーヒーカップをおいて尋ねる。
「糺の森の『糺』やそうです」
「うちの祖父と同じね。祖父は清水糺やけど」
「なんでまた、その人を探してるん?」
 正孝が熱中症の老女を助けたこと、その老女が時のコーヒーを飲んで戦争にいった元許婚いいなずけを思い出したこと、預かっていた天秤を返したがっていることを簡単に話した。
「おばあちゃんの記憶もあいまいで。出町柳あたりに家があったいうことしか覚えてないんやって。でも、出町柳に徳光さんいう家はなかったそうよ」
「正孝さん、ひとりで探してるの」
「孫娘さんと一緒に探してはるみたい」
 ふうん、と瑠璃が意味ありげに桂子を見あげる。
「正孝さん、忙しいんやったら無理ね」
 環が結婚式の案内状をもう一枚手にしていう。
「瑠璃がね、正孝さんも誘えっていうんやけど‥‥プロポーズを断ってるのに‥‥どうかと思って」
 環が困ったように苦笑する。
 そういえば。正孝がカフェを初めて訪れたのは、環からプロポーズの返事を聞くためだった。あえなく玉砕したというのに、正孝はそれよりも店内を埋めつくす柱時計に夢中になり、今ではすっかりカフェの常連になっている。
「環さんの結婚式のことを知ったら、正孝さん、喜びはると思います」
 桂子が素直な意見を述べると、環は案内状をもう一枚カウンター越しに手渡す。
「じゃあ、渡しといてもらえるかしら」
 桂子はにこりと笑くぼを浮かべてうなずいた。

(to be continued)


続き(最終話)は、こちらから、どうぞ。


※冒頭で亜希が届けてくれて、桂子が読んでいる小雑誌『umineko』は、
noterのぼんやりRADIOさんが編集制作されたZINEです。
『オールド・クロック・カフェ』にも置かせていただきました。
『umineko』はこんな雑誌です。表紙も内容もすてきです。

ご興味のある方は、こちらから購入できます。

 



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