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男性が苦痛を表現できなくなったここ20年の日本

女性の権利と平等がより主張されるようになってきたのは、ここ20年でしょうか?
いや、フェミニズムとかが起こったのは100年とか、それ以上昔のはなしなのでしょうか?

それはともかくとして
女性の権利とその平等が大々的に主張されるようになった2000年以降
「男性」の立場は悪くなる一方だったと思うのです。

これを、「ざまぁ見ろ!」と喝采する女性も多いかもしれませんが

まぁ、それはともかく

今日は、ここ20年の日本における男性一般の立場の悪化についてはなしてみたいと思うのです。

これは、まったく僕の主観でしかないはなしですが

男性一般の立場が悪くなり始めた契機は、僕はまず
「ストーカー」という言葉がはやったころからではないかと考えています。

「ストーカー」という言葉が大々的に流行する契機になったのは
1999年に埼玉で起こった桶川ストーカー殺人事件だと個人的に思います

ただ、この事件の被害者の遺族は、殺人者であるストーカー男性に怒り狂っていたというより、所轄警察の初動対応とそれ以降、女性が殺されるまでの警察の対応のまずさを問題にしていたのです。
ストーカーみたいなことが発生した場合の、ベストな警察の初動というような問題は今日でもデリケートな問題だとは思いますが、当時の担当警察官は、結局自殺してしまったのです。

つまり、警察の初動が問題視されたこのストーカー事件は
世間的には、警察ではなく「ストーカー」という男性種族の存在が、やや面白半分にクロースアップされました。

「ストーカー」という種族がいるらしいぞ、と、問題がすりかわってしまったのです。

このあたりから、日本では、男性受難の時代が始まったと個人的には見ています。
ここからの20年あまり、男性にはなにひとついいことがない時代(やや誇張ですが)になりました。

「ストーカー」という流行語のおかげで、その後、男性一般にとって、女性を口説くリスクが上がってしまったのです。
もちろん、そういう影響を被るのは、男性のうち、最大で30パーセントくらいかもしれませんが

その数年あとに、「草食男性」というのが今度は流行語になりましたが
「ストーカー」という流行語と「草食男性」という流行語は連関してると思います。

男性はより萎縮して、孤独に、女性をはれ物扱いせねばならず
出方をあやまると警察にマークされたり、人権侵害者としての履歴がのこりかねません

この流れは強化されこそすれ、弱まることはありませんでした。

職場での、給与をはじめとするジェンダー平等とか
「MeToo」とか
同意にもとづく性行為法案とか

いや、いま上げた3つが「悪い」と言ってるのではなく
これらの運動の活発化は、それほど責められるに値しない、ごくフツーの男性を、どんどん萎縮させてしまったと思うのです。

そこで、男性の何割かは、非正規の増大の所得低下とあいまって、女性なんかとかかわるより、趣味にたてこもったり、ゲーム機器を相手にしたり、アイドル(秋元康プロジェクトや地元アイドルのブーム)に熱中したり、AVとかにはまったり
つまり、女性や社会からは逃げるように追いやったのではと思うのです

この流れは、女性一般にも、その何割かにはマイナスに働きました
一部の「勝ち女性」を除くと、何割かの女性は、そもそも口説かれなくなり
「肉食女子」や「婚活」といった流行語もこれと関係しており
綾瀬はるかが出てた、なんか「干物女子」を扱ったドラマもあったような記憶があります

この流れは、今日現在まったく変わる気配がなく
逆にどんどん強化されています。

さらに、女性は男性なんぞには口説かれる必要はなく、女性のおひとり様のすばらしさが強調される最近です。
もちろん、旦那などできても、先に死なれれば、結局おひとりさまなのは確かでしょうし
ただ、おひとり様みたいな生き方には向き不向きがあり
スキルもない、親の財力もあてにできない女子がおひとりさまのすばらしさを妄信してしまえば、あとで困ることはないでしょうか?

たとえば、20歳くらいで、結婚を考えてる女子に
「どうせ、旦那は死ぬか逃げるかだから、おひとり様のほうが利口だよ」とささやいて、はじめから、死ぬまで、ずーっとおひとり様を選択させるのはどうなんでしょう?

いや、はなしが、ズレました

今日の論点は
ここ20年の社会風潮は、男性の弱体化を煽り、女性もそのマイナスをこうむってると
いや、「弱体化」と表現してしまうと、彼岸が「強化」になってしまいはなしがややこしくなるでしょうから
というより
社会は、女性の権利と「苦痛」の表現をここ20年ひたすら優遇する一方で、
男性の権利や「苦痛」はこれをより黙殺するようになってしまったと思うのです。

ここで、「男は黙って」というような昔からある日本の美徳が、それを後押しして、男性は、趣味やゲーム、アイドルや相手を選ばない性や自慰にたてこもるか、または犯罪に転落するしかなくなってしまったのかもしれません。
これは、何割かの女性にも割を食うはなしだと思います。

こういったことがらも、もし、これを読んだ人が、せいぜい30代半ばであれば
パート勤務が終わって趣味やゲームやアイドルに熱中する暮らしもなかなかいいぜ!というかもしれませんが
40代半ばをすぎたころ、首が回らないのに近い状態にならないといえません

もともと、良し悪しは別として
日本社会は、男性全般の権利や苦痛を黙殺する社会だったと思います(無論、利点もあるでしょうが)
それが、ここ20年でさらに強化されてしまい、何割かの男性は、かろうじて犯罪者ではないものの、人間としてほとんど機能(社会的に)していない人も増えてるでしょう。

こういった流れは、もしかすると仕方のないことなのかもしれないですが
さらに高まりそうな女性の権利と平等への主張と、「苦痛」のカミングアウト、女性だけにとどまらず、おひとり様的価値観の増大する一方で、男性の権利はよりさらに抑圧される
男性の苦痛は、ただ「負け組」の妬みや絶望や開き直りとしてだけ処理される。

こういった、全体の流れに、ある程度自覚的であることは、それでも意味のあることではないかと考えています。

一見、より、女性をはじめとする人間全般が、人間らしく暮らせるようにとの運動全般が、もしかすると、3割くらいの人間を、ほとんど人間として機能しないことろへかえって追いやってる場合もあるかもしれず
そのうち、さらに犯罪者に堕ちてしまった人にはより厳罰で処すという悪循環があるのではないでしょうか

(あとがき)
では、男性全般が、声を上げればいいのかについては何とも言えません。
というのは、「声を上げて」何かを理解してもらおうというのは、ある意味、赤ちゃんにも似た手法であり
男性の多くは、声など上げても、まわりの人は、そんなことに耳を傾けてる余裕なんぞはないというのは百も承知だからです。
こういった僕の論点も、「ではどうすればいいのか」が書かれていないので
「世の中って、でもそんなもんじゃない?」って泰然自若に流されてしまうのかなとは思いますが
男性も女性も、年齢が上がるにつれて、ほとんど人間として機能しないところへ追いやられてる人が増えてるように思えて
黙ってもいられず、それがどういうことなのか、自分で整理してみようと思って、今日はここまで整理できました。
ただ、結局、それでも、ちゃんと生活を立てて、フツーに所帯を持ってる人こそは正しいという個人責任のはなしにしかならないのかなという気もしますが、構造にも因があるんじゃないかと考えて、状況を自分なりに整理してみました。
「男性が苦痛を表現できなくなったここ20年の日本」でした

ここまでお読みいただきありがとうございました。



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