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今日がどうしても土ヨー

善人が集うnote空間には、悲劇のストーリーは似合わない。それは百も承知だ。本心を言えば、他のライターみたいに、気の利いたセンスのいい題材で綴ってみたかった。せめて人生で一度くらい。自分の心には響かないだろうけど。


今日、叔母と祖父母たちの異常性(サイコパス)について話していた。


久々に眠っていた怒りがこみあげてくる。

トリガーはいつも全く関係のない脈絡から来るのが笑える。本当に理不尽極まりない。付き合わされた相手に申し訳ないとは思う。ただ運が悪いだけなのに。脳が自分の置かれている立場を誤認識すると、「理不尽」=エラー404「攻撃」モードに切り替わる。戦闘開始のスタンバイ。ただのゲームなのに。気が触れる衝動の予感五分前。喧嘩して相手を言い負かしたい、まくしたてる時の爽快感、攻撃性炸裂。そう、私は今の心は、めちゃめちゃだ。


母方の祖父母は、ある日自分が学校から帰宅すると、飼っていた猫二匹(キキとララと名付けた、多分どこかの知り合いからもらった兄弟だった)を
「我が家では飼えない。今からライオンのエサにする。今から保健所に連れて行くから」と突然言い出した。
当時、祖父母とは同居していた。割と大きな一軒家に庭もあった。恐らくまだ小さかった自分にはショック過ぎて、記憶も曖昧だが、大声で泣きわめいて抗議しても受け入れられず、両親も救いの手は差し伸べてはくれず(毎度の事)・・・「どうして?」と分からないままその二匹は処分された。特に祖父は、他の子猫を拾ってきても死ぬ寸前まで殴り続けて折檻し虐待した。きっと何匹かは殺されたのだろう。もしくは、脳の損傷で長くは生きられなかっただろう。今でも全く意味が分からない出来事で理解できない。優しくて大好きな祖父母のはずなのに。初孫としてかわいがられ、愛情を持って育ててくれて、休みの度にいろんなところに連れて行ってくれたのに、無残にも奪われた猫の命の事を思い出すと涙が出て悔しくて悔しくて、一体この理不尽さとどのように折り合いをつければよいのか分からない。感情は行き場を失い、未消化案件は死ぬまで私の傍を亡霊のように彷徨っている。それが鬱やパニック障害みたいな原因のひとつにっているのは気のせいだろうか。自分自身がずっとが成仏されていない状態。
祖父はギランバレー症候群で水も飲めなくなって苦しんで死んだ。
きっと、そういうことなのだろう。
人間が同じ人間を理不尽な事について責め立てたりする必要はない。
因果応報、最後の審判で天の罰が下るのだから。そのことは幼少の頃に掴んでいたのかもしれない。だから少なくともこんな自分でも死ぬことなく今日まで平然と生きてこられたのだ。もし祖父が安らかに逝っていたら、納得できていなかったかもしれない。神の無慈悲やその冷酷さが幼少の自分の「どうして?」という問いに対する返答である。感情はもう乱されることもないだろうと自ずと知った。


血筋に流れるどこかすれすれの虐待癖、振り切れていない虐待が一番質が悪い。うちの家系は代々離婚率が異常に高く、母方祖母の家系には母親を殴り殺した殺人犯、父方には20代前半で自宅のトイレで首つりした自殺者がいる。自分自身、母親からのネグレクトなんかでトラウマにはなった。色んなアプローチを試した結果、一つの事に辿り着いた。

結論で恐縮だが、こういう普通じゃない逸脱したきちがいの身内を持つ者としての宿命(仕事)は、日常の「菩薩業」でしかありえないと思う。先祖たちの愚行を終わらせること。殺された命に成仏してもらうこと。だから、父方の身内に行者の先達がいたりする。知り合いに普通にフリーの行者さんを紹介してもらったりする。日常に異世界の人たちが出入りする。そして、その人たちと一緒に祈らせて頂く。お金を払って登拝したり水業する。それがこの世の道理で方程式だと分かった。このRPG世界で最後の方のステージをクリアしなければならないプレーヤーたちには、過酷な人生が待ち受けている。不思議と救済という「菩薩業」に誘われる。その過程で、最終的にクリアするのかは知らないがそんな気がする。
壮絶な人生を送ってきた人は、自殺しようとしても助かってしまうケースをよく耳にする。なかなか死なせてもらえない。ある種の気づきという転換期が来ると、NPO法人みたいなのを立ち上げて同じような境遇に遭った被害者を救済しようとするケースが多い。ものの見事に。あたかも決められたコース設定かのように。
(それらの活動に対して異論を唱えたいが、まだ自分の頭でしか経験則で語れないのでここでは控えさせていただく。実は虐待してしまう方がもっと深刻で闇なのに、単なるサイコパスのように軽く扱われ、そのようなモンスターを多く輩出してしまう社会構造に全くスポットライトが当たらないことに違和感を隠せないから)

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