マガジンのカバー画像

ヒーリングワーク

11
過去に体験したセラピーやヒーリングワークに関する話
運営しているクリエイター

記事一覧

新しい暖かさ

 清々しい光に包まれる4月。染井吉野の花びらが風に舞い、初夏の花と若葉の色とが混じり合いながら野を染め上げている。  花の写真を撮りによく出かける「日野江植物公園」は、九州最北端の街、北九州市門司にある。この門司は観光名所として有名だが、気象的にとても興味深い場所。小高い山を挟んで西に関門海峡、東は瀬戸内海へつながる周防灘の二つの海に面し、同じ区内であっても、西は日本海側気候、東は瀬戸内海式気候に微妙に分かれているというユニークな地域でもある。  この植物公園は東の

困ったときは頭をかかえよう

師走になっても寒くない日が続いている。薔薇が咲いていても、冬薔薇なのか、まだ秋薔薇と呼ぶべきなのか、よく分からなくなる。さぞかし地球も頭をかかえているのではないか。 話は飛ぶが、プロサッカーの試合を見ていると、シュートを外した選手が頭をかかえて、悔しがっているシーンをよく見る。 イングランドプレミアリーグでは、ホームチームの選手が決定的なチャンスを逃すと、スタジアムを埋め尽くす数万人の観客全員が総立ちとなり、頭をかかえて嘆く。これはこれでなかなか見事な光景に見えて

念ずれば平安

(文5000字)  聖書に書かれている奇蹟は、不自然で非科学的と揶揄され、そこから先に進めなくなる人が多いらしい。しかし象徴や暗喩を多用しながら、啓示が暗号化されて書かれた書物と考えれば、見方は大きく変わると思う。 1945年にエジプトで発見された『ナグ・ハマディ写本』には、「トマスによる福音書」と呼ばれるものが含まれている。この冒頭にはイエスの言葉として、次のような一節がある。 「この言葉の解釈を見出す者は死を味わうことがないであろう」 信じるか信じないかということは

祝祭のベクトル

(文2000字 写真40枚)  北九州の夏祭り「黒崎祇園山笠」が7月21日から4日間の日程で始まった。この祭りの起源は、1205年(元久2年、鎌倉時代初期)花尾城を拠点として遠賀郡一帯を支配していた麻生氏が、麓の地で領内の除疫と豊穣を祈願して始めた「祇園会」。その後、およそ400年前から本格的な祭りとして行われているとのことで、福岡県無形民俗文化財に指定されている。 総重量2,5トンを超える8基の巨大な山笠は、それぞれ8つの町内会で1カ月間かけ、地元住民によってコツコツと

沈黙のアート

(文5700字) 覚者を訪ねて  若い頃に「覚者」を訪ね歩いた時期があった。 噂を聞いてはインドの田舎町まで出かけたり、また日本で会えると知ったなら何度でも出向いたりした。 覚者とは光明を得た存在。光明とは悟りの最終段階にまで到達したことを意味する言葉だ。悟りや覚醒という意識変容にもいくつもの段階があり、光明を得るともう二度と人間に生まれ変わることなく、宇宙の実存そのものへと溶けていくとも言われている。 光明を得た瞬間には、身体内で強烈なエネルギーが爆発し、肉体組織はそれ

心身相関とヒーリング

(※長文4000字あります)    心と体は互いに深く結びついている。ストレスで胃がキリキリしたり、緊張で心臓がドキドキしたり、危険に遭遇して呼吸が乱れたり冷や汗をかいたりする。 それは心の状態が身体に反映することの典型的な例であり、大抵の人が経験していることだと思う。 ところがその逆に、身体の状態が心に影響を与えるということになると、なかなか自分では捉えにくい場合がある。 肩が凝って気分が重くなるという例などはすぐに理解できるが、何故かよくイライラするという人がいて、

Talking to the body (体に話しかける)

 ここではセルフヒーリングの一つの手法についてお伝えしたいと思う。 この「トーキング・トゥ・ザ・ボディ」という名のヒーリングワークは、突然何らかの痛みや不調に襲われたときなどに、効果を発揮する可能性がある。 ハンドパワーとか薬物などの服用に頼らずにできる、自分自身の身体との対話を深めてゆくことによってヒーリングをもたらす手法である。 以前、深夜に突然歯の激痛に襲われ、まったく眠ることができなかったときに、このやり方を試してみた。鎮痛剤を持っていなかったこともあって、だめも

ターニングポイント

 人生は出会いと経験の連続。良くも悪くもそれがやがて私たちを彼方の光へと導いてくれる。雨粒の一滴は海を目指して流れていく。海に辿り着き、大海原に溶け去るその時まで。 今振り返れば、あの時のことがその後の流れを決めるターニングポイントになったのだと思うことがある。それははじめてセラピーというものを経験した10代最後の夏のこと。 はかなく散った子供の夢  18歳の時まで思い描いていた夢は、子供の時から抱いていたレーシングドライバー。高校生になってすぐにライセンスを取り、バイ

笑いと涙とその奥にあるもの

 自分と向き合う21日間  笑うこと、泣くこと、それは人にしかできない感情表現だ。この感情のエネルギーはいったいどこから生まれるのか。このことを探求していくとやがて人間の内奥の神秘に辿り着くことができる。  若い頃インドのアシュラムと呼ばれていた施設にのべ2年ほど滞在していた。既存宗教や新興宗教の信仰から修行をするのではなく、純粋に人間そのものを探求する場である。主にヨーロッパ諸国から千人を超える人が常時滞在し、様々な瞑想、セラピー、ヒーリングワークなどの探求が熱心に

自然治癒力と決意

 以前ボディワーク(施術)の仕事をしていた時のことをふと思い出す。セッションに来られたあの人は今どうしているかなと思う。施術した数千人のクライエントという数はプロとしてはそれほど多いとは言えないが、それでも印象に残るセッションもたくさんあって、そこから学んだことも実に多い。それは人間という存在を理解する上でとても貴重な経験となった。 その中でも、とある県立こども医療センターでの出張セッションは特に思い出深い。それはまた自然治癒力とは何かを考える上でも、たいへん重要な示唆を与え

親父への最後のヒーリング

 親父は数年前、93歳のときに病院のベッドで亡くなった。1か月前に会った時には人工呼吸器がつけられ話すことはできなくなっていたが、病室のベッドの横に立つとすぐに私だと気づいて手を差し出してきた。私も手を伸ばして握った。 暖かい分厚い手のひらだった。手を握ったのは実に私がまだ幼児だった時以来ではないか。 入院している人を見舞いに行って、手を差し出されたことはそれまでにも何回もある。 そういう時の握手は何故か力が入る。私が力を入れるのではなく、向こうが力を入れてくる。入院生活で