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マインドフルネスとわたしのセキララな話。

突然ですがわたしはタイの古都チェンマイに息子とふたりで暮らしているシングルマザーです。瞑想の研究のため、2018年からマハチュラルンコーン国立仏教大学の院生でもあります。2018年までは、チェンマイで12年間ヨガスタジオとタイマッサージのスクールを経営する、自分で言うのも何ですが、26歳で海外で起業した、バリバリの女性起業家(気取り)でした。

理想の生き方を追求して、仕事に縛られず、ゆったり自由な暮らしをすることがモットーで、当時は本当に自由に生きていました。スタジオ経営が軌道に乗ったら、お寺に長期間修行で入ったり、インドにヨガを学びに行ったり、高僧に会いに突然香港に飛んだり、ヨーロッパを旅行したり、本当に好きなことだけ毎日やっていた20代でした。

ですが30歳に入ってすぐ、妊娠・出産。それを期にさまざまなことが良い意味でも、悪い意味でも崩壊。

わりとワンマン経営者だったため、出産後育児に追われて新しいワークショップやシーズンのイベントを上手く企画することができず、スタジオはマンネリ化、会社の売り上げはどんどん落ちていきました。

一方で育児も完全母乳、布オムツという厳しい条件を(自分でそうしたかったので)ほぼワンオペでこなしていたので、どんどん両立がままならなくなっていきました。おまけに当時タイに移住したての夫は職が上手くみつからず、あれこれ手を尽くしていた時期で、子育てには消極的、家計もわたしが支えるという始末でした。

体力も精神面もキャパオーバーから、いつ精神崩壊してもおかしくないような危うい状態でした。実は八方塞りに感じて、キャーっと発狂したこともあったという…。そんな時にいつも救ってくれていたのが、マインドフルネス瞑想でした。赤ちゃんがいると、ヨガ(アサナ)をじっくりする時間はどこにもありません。そんなこともあって、泣きながらでも、這ってでも、最終的には『瞑想』というところに辿りついていました。

わたしの周囲の人は30代半ばかその後に子供が生まれた人が多く、当時子育てをしていたのはわたし一人だったので、周囲からも子育てがどういうものなのか理解されず、海外なので実家に頼るという選択肢もなく、ひとりで必死でした。タイにはベビー・シッターさんがたくさんいますが、夫の姉が幼少期にシッターから虐待を受けていたことからそれも反対されて、その選択肢もとれませんでした。

そんな中で当時行っていたのが、授乳をしながら瞑想、食器を洗いながら瞑想、洗濯物を干しながら・たたみながら瞑想、という風に隙あらば瞑想をしていました(しないとどうにかなってしまいそうでしたから)。

幸いなことに、長らく修行に入っていたこともあって、『ただありのままみる』とか、『呼吸に意識を向ける』という単純なことだけではなく、哲学の知識やそれらの行へ入る心得のようなものが多少たりともあったので、それをもとに実生活に応用することを始めました。

辛かったですが、その時初めて瞑想ができたという実感が生まれました。静かなお寺にひと月入っていても、こんな『マインドを使えている』という実感はありませんでした。

過去に長時間の行で穏やかになったり、体が消えるような感覚になったり、神秘体験みたいなものもあったりしましたけれど、勝手に起こったそんな体験よりもずっと『あ、これだ!』という実感がありました。これが中道(空と実在の世界の真ん中にいること)のあるべき姿なのか、と。

ある一定の条件の下にサマディ(集中が定まる状態)に入るのではなく、どんな条件であってもそこに行くことができる。混沌の中に静寂というものは同時に生まれるものなんだ、というこを実感しているうちに、握りしめていた条件の価値がわからなくなっていきました。

条件というのは、国際結婚しているということ、自分が経営者であるというプライド、海外でがんばってキャリアを築いてきたこと、努力してマルチリンガルになったこと、仕事に時間を奪われず好きに生きてきたこと、自立した女性であること、パイオニアであること、などなど、挙げるときりがない。

それらのアイデンティティに全く価値を感じなくなって、わたしは自由になりました。

だからと言って、キャパオーバーの状況がすぐに変化したわけではなかったので、わたしは思い切って家を出ました。家を出ることで夫との関係が修復できると思ったからです。

そして『修復』は決して復縁という形ではありませんでした。マインドに制限がない状態で求めたものは、『無条件に彼を愛せる環境』、そして別居、一年後には二人で話し合って、仲良くしていくために離婚しました。そうしていくうちに、彼の生活も安定、それを期にわたしは復学しました。

この実感をもっときちんとした形で、みなさんに興味を持ってもらって、話を聞いてもらうために、学問という形でやり直すことにしました。そしたらほら、これを今読んでいるあなたのように、ああこの人は説得力があるって思うでしょう?

もちろん外の世界から見ての説得力も大切なのですが、一番大切なのは自分を納得させることです。ブッダはパリヤティ(ダルマという自然の法を学ぶこと)、パティパティ(ダルマをありのまま見るために瞑想を実践すること)の両方を実践するようにと説いています。どちらが欠けても、『わたし自身』にとって説得力が薄れて、またあいまいなまま現実だと思っているこの世界の茶番に巻き込まれてしまいます。

人生まるごとマインドフルネスでいるためには、いつも学びと実践のふたつが必要です。たとえどんなことが起きても、自分で自分の人生を腑に落ちるものにしていくことがマインドフルネスですから。


いただいたサポートは、博士課程への学費・研究費として、または息子の学費として使わせていただいています。みなさんのサポートで、より安心して研究や子育てに打ち込むことができます。ありがとうございます。